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【 別役実 作「空中ブランコ乗りのキキ」 あらすじ 】

 サーカスの花形、空中ブランコ乗りのキキは、三回宙返りの離れ技で人気と幸福の頂点にあった。ところが、隣町の「金星サーカス」のピピも三回宙返りに成功したという話がキキの耳に入る。自分の人気もこれまでと悟ったキキは、前人未到の四回宙返りを成功させるべく、決死の覚悟で本番に臨む。不思議なお婆さんにもらった青い水を口に入れ、四回転に成功するが、お客の大歓声と喝采の中、なぜかキキはどこにもいなくなっていた。翌朝、サーカスの大テントのてっぺんから、白い大きな鳥が悲しそうに鳴きながら飛び立ってゆく……。

 この主人公の「キキ」という名前には、二つの意味が込められていると思います。
 一つは、観客の割れるような拍手の中で「嬉々」としている、明るく華やかなイメージ。
 もう一つは、ブランコから落ちたら死ぬ(あるいは、人気が落ちたら死ぬ)という「危機」に直面している、暗く不安なイメージ。
 この「嬉々」と「危機」の間を揺れ動くのが、空中ブランコ乗りの「キキ」なのでしょう!
 さらに、ラストに登場する「白い大きな鳥」には、「白鳥の歌(=最後の歌、すなわち遺作)」という含みも持たせてあるように感じました。実際にキキが死んだとは思えませんが、行方不明という事実によってサーカス生命を絶たれたわけですから、やはり四回宙返りを「遺業」と捉えてよいと思います。

 さて、教科書に載っている名作の、続編を書いてみました。原作のイメージを損ねないかと、気を揉む限りですが……。



     空中ブランコ乗りのキキ、その後 〈老人編〉

                               中村菜花群



 それから何年、いや、何十年経ったでしょう。
 金星サーカスの大テントの中の客席で、一人の老人がしみじみと舞台の上をながめています。見上げるように高い天井のあたりを、ブランコからブランコへと飛び回っているのは、あのピピの孫のポポでした。ポポはいかにも楽しげに、軽やかに、連続で三回宙返りを見せています。お客さんはそのたびに、割れるような拍手と声援をポポに送るのです。
 老人は昔を思い出しながら、独りつぶやきました。
「私も若いころは、評判の空中ブランコ乗りなどと呼ばれたものだ……」
 老人の心の中に、当時の様子がよみがえってきました。

 あのころの私はとにかく夢中だった――。
 人々の評判の中で、いつも幸福だった自分。と同時に、人気が落ちて拍手をもらえないくらいなら、死んだほうがいいとさえ考えていた自分。この不安におののく気持ちは、団長さんにも、仲間のロロにも解ってはもらえなかった。
「心配しなくてもいい。だれにも三回宙返りなんてできやしないさ……」
「もし、だれかがやり始めたら、おまえさんは四回宙返りをしてみせればいいじゃないか……」
「いいじゃないか。人気なんて落ちたって死にやしない。ブランコから落ちたら死ぬんだよ……」
 時々港に飛んでくる一羽の白鳥だけが、私の本当の気持ちを解ってくれる、ただひとりの話し相手だった。私もお前のようになれたら、自由に空を飛べたらと、何度願ったことだろう。あの白鳥は、私がいなくなった後、どうしただろうか。
 私は四回宙返りにこだわりすぎた。だから、あの不思議なおばあさんにもらった青い水を飲んだのだ。しかし、あの水を飲もうが飲むまいが、私の気持ちは変わらなかった。私はあの時死ぬ気だった。いや、死ぬ気で四回宙返りを成功させるつもりだった。
 その結果、宙返りには成功したが、私は体をこわしてしまった。限界を越えた無理がたたって、二度とブランコに乗れない体になってしまった。このみじめな姿を私はだれにも見られたくはなかった。人知れず町から姿を消したのも、そのためだった。
 私は若かった。若さゆえにおろかだった。大切なのは、何回宙返りができるかということではない。私は自信を持って、堂々と、三回宙返りを演じつづければよかったのだ。
 今の、このポポのように――。

 ポポの三回宙返りは続きました。いかにも楽しげに、軽やかに。
 老人の目には、うっすらと涙がうかびました。老人は雲一つない青空のようなすがすがしい気持ちで胸がいっぱいになり、静かにまぶたを閉じました。
 大勢の観客たちは、そんな老人などおかまいなしに、相変わらず割れるような拍手を送り続けています。かりにその老人に気づいたとしても、彼の名前を知る人はだれ一人いませんでした。



     空中ブランコ乗りのキキ、その後 〈白鳥編〉

                               中村菜花群



 さて、キキはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。
 四回宙返りに成功し、割れるような拍手を受けながら、キキの意識は一瞬遠のきました。はっと我に返った時、キキは自分が暗い空の上にいることに気づきました。
「あれっ、わたしはどうしたというのだろう」
 見下ろせば、チラチラする町のあかりが、ピントの合わない双眼鏡でのぞいたようにぼんやり見えています。キキは冷たい風を受けながら、鳥のように夜空を飛んでいたのです。
 鳥のように? いいえ、キキの体はすでに大きな鳥に変わっているのでした。
 波止場の片隅では、あの不思議なおばあさんが、あいかわらずシャボン玉を吹いておりました。おばあさんが、ふくらんだシャボン玉の一つをのぞき込むと、そこには鳥になって飛んでいるキキの姿が映っています。おばあさんは、シャボン玉に映し出されたキキに話しかけました。
「キキや、気分はどうだい」
 キキはおどろきました。空の上にいるはずの自分の耳元へ、急におばあさんの声が聞こえてきたからです。
「あっ、あなたはあのおばあさんですね」
「そうだよ、キキ」
「わたしはなぜこんな姿になって、暗い夜空にいるのでしょう」
「それはおまえさんが望んだことじゃないか」
「じょうだんじゃない。わたしは四回宙返りを成功させたかっただけなのです。こんな姿になるくらいなら、宙返りに失敗して、人間として死んだほうがよかったのだ。それを、あんな薬を飲んだばっかりに……」
「あの青い水は、薬なんかじゃない。あの水は、飲んだ人の望みをかなえるための、ほんの手助けをするにすぎないのだよ。おまえさんにそのつもりがなければ、決して起こるはずのないことだ」
「えっ、わたしはそんな……」
 そう言いかけて、キキは急に思い出しました。そうだ、団長さんとのやりとりで、確かに自分はこう言ったんだと。
「四回宙返りを? できませんよ……。本当に、鳥でもないかぎり四回宙返りなんて無理なんです……」
 それなのに自分は四回宙返りをしようとした。お客さんから大きな拍手をもらうために、死んでもいいとさえ思った。鳥でもないかぎり無理なことを、自ら望んだのだ――。
 朝になってキキは、なつかしいサーカスの大テントのてっぺんに止まりました。ゆうべの出来事が、はるか昔のことのように感じられました。
 鳥になった今、もう人間としては暮らせない。団長さん、ロロ、そしてサーカスのみんな、さようなら――。
 キキの言葉は悲しげな鳥の声となってひびきました。そうです。キキはもうどこにもいなかったのです。白い大きな鳥は、ひときわ高く鳴いて港町に別れを告げると、あとはただあてもなく、遠い海の向こうへ飛び立って行くしかないのでした。



【「空中ブランコ乗りのキキ」の物語をイメージした新いろは歌 】


 ブランコへ乗る 身ぞ宙を
 四度回つて 技優れ
 笑むも夢やな 風に消え
 白い大鳥 音上げゐぬ

   ふらんこへのる みそちうを
   よたひまはつて わさすくれ
   ゑむもゆめやな かせにきえ
   しろいおほとり ねあけゐぬ




・ 掲示版
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