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【 井伏鱒二 作「山椒魚」 あらすじ 】

 谷川の岩屋に棲む山椒魚は、二年の間に体が発育し、頭が出口につかえて外へ出ることができなくなってしまった。彼は悲嘆にくれ、岩屋へ偶然まぎれ込んだ一匹のかえるを、自分同様に閉じ込めてしまう。彼らは激しい口論をくりかえし、更に二年の月日が流れ……。
 かえるはすでに衰弱しており、極めて遠慮がちにこう言った。「今でも別に、おまえのことを怒ってはいないんだ」

 さて、教科書に載っている名作の、続編を書いてみました。飛躍した展開に、やや無理があるかもしれませんが……。
 

     山椒魚、その後

                               中村菜花群



 
 山椒魚は何も言えなかった。長い間、沈黙が続いた。
 彼は考えた。無論、かえるには何の罪もない。二年前のあの日、かえるはただ水底から水面へ、水面から水底へと、活発な往復をしていただけである。あいつはその時、わたしの存在さえ知らなかったろう。岩屋の主をうらやましがらせてやろう、自由を見せびらかしてやろう、そんな悪意のあろうはずもない。
 一方、わたしは確かに悪意をもってあいつを閉じ込めた。しかしあいつはわたしを恨んでいないという。そんなはずはあるまい。わたしはたとえ一言でも、かえるに詫びるべきではないだろうか――。
「今でも別に、おまえのことを怒ってはいないんだ……」
 山椒魚の頭の中に、かえるの言葉が何度もこだました。今になって、彼の心の隙間に罪悪感というものが芽生え始めた。それは、胸の奥からじわじわと全身へしみわたる、悲しく淋しい痛みであった。
 彼は自らを正当化しようと、更に思いをめぐらせた。
 自分だってこんな岩屋に一生涯閉じ込められるいわれはない。ついうっかりと時を過ごしてしまったことがなんだというのだろう。そんな失策は誰にでもあるものだ。どうして自らをコロップの栓とし、ブリキの切りくずにおとしめねばならないのだろう。どうした気まぐれか、神様はほんとうに情けないことをなさる。これはやはり神様の横暴なのだ。
 わたしが罰を受けて当然というのなら、かえるが受けた罰も当然なのではないか。わたしがそうしなくても、あいつはもともと岩屋に閉じ込められる運命にあったのだ。わたしは神様の道具にすぎない。神様がわたしをあやつって、かえるに罰を下したのだ。これは自業自得なのだ。かえるもわたしも、運命にもてあそばれただけなのだ――。

 その時である。突然、岩屋全体がひっくり返らんばかりに揺れた。激しい揺れはしばらく続いた。天井のすぎごけは無数に花粉を散らし、岩屋の中の水面は大きく波立った。見上げると、天井の岩の隙間からは、ばらばらと土や小石の欠片が降り始めている。
 自分への言い訳で頭がいっぱいになっていた山椒魚は、突然の異変にあわてるばかりであった。かえるはというと、岩のくぼみから顔ものぞかせない。山椒魚は、思わず叫んだ。
「地震だ。岩屋が崩れる。このままだと、おれたちは岩の下敷きになってしまうぞ。おい、おまえだけでも、早く出てゆけ」
「…………」
「おい、聞いているのか。おまえだけでも、早く出てゆけ」
「だめだ……。おれにはもう、そんな気力がない……」
 地震はひとまず治まったが、山椒魚は、今にも死にそうなかえるの声を聞いて、胸をえぐられるような気持ちになった。
「弱音を吐くな。いいから早く出てゆけ」
「…………」
 焦る気持ちとはうらはらに、体は根が生えたように動かない。向かい合った二個の生物は、お互いをじっと見据えながら、そのまま二個の鉱物と化してゆくようであった。
 一秒が永遠のように感じられる時間の中で、かえるの目が、次第に大きく見開かれた。その目には、今までになかった生気と驚きが宿っている。かえるの口からうめくような言葉が漏れた。
「い、岩屋が……」
 見ると、地震のおかけで岩が崩れ去ったらしく、岩屋の出口がぽっかりと大きく開いているではないか。谷川のよどみに揺れる藻の林が、ゆらゆらと自分たちを招いている。
 外へ出られる――。
 そう思った瞬間、今度は激しい余震が襲って来た。崩れかけた岩屋に新たな衝撃が走った途端、哀れなかえるは「逃げろ」という叫びを最期に、降って来た岩石に押しつぶされてしまった。
 山椒魚はもう無我夢中であった。あちらこちらに頭をぶつけながら、水の中を突進した。ようやく揺れが治まった時、彼は岩屋の外にいたが、背中には大きな岩が載っかっている。身動きの取れない状態で、すでに彼の意識は朦朧としていた。

 おい、かえるよ、許してくれ。わたしはただ、淋しかっただけなのだ。その孤独を埋め合わせようと、わたしはお前に罪なことをした。わたしは悪い夢を見ていたのだ。
 ああ、谷川の水が揺れている。光にもまれて揺らめいている。水天井が遠く見える。
 その水面を泳いでいるのは、おお、君ではないか。元気よく、すいすいと、何物にも囚われずに、滑るように泳いでゆく。かえるよ、君は自由なのだ。君こそが自由そのものなのだ。わたしも今すぐ君のところへ行こう。どうか待っていてくれ――。

 水の濁りがよどみに沈殿し、谷川は静寂を取り戻した。
 山椒魚は息絶えた。



【「山椒魚」の物語をイメージした新いろは歌 】


 山椒魚の 寝ゐし身は
 室抜け得ずや 慌てたり
 蛙迷ひ来 故無きに
 閉ぢ込められ 思ふ壷ぞ

   さんせういをの ねゐしみは
   むろぬけえずや あわてたり
   かへるまよひく ゆゑなきに
   とぢこめられ おもふつぼぞ




・ 掲示版
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