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出来立て!今日の一首

〜平成三十年一月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜

2018/ 1/1 1/2 1/3 1/4 1/5 1/6 1/7 1/8 1/9 1/10 1/11 1/12 1/13 1/14 1/15 1/16 1/17 1/18 1/19 1/20 1/21 1/22 1/23 1/24 1/25 1/26 1/27 1/28 1/29 1/30 1/31


平成30年1月31日(水)

        月 蝕 浪 漫


 月赤黒う 覆はれて

 目にせし美ぞや 声漏らす

 身の血沸けりと 寝ぬ夜間を

 偉大なる変 冴えむ冬


       つきあかくろう おほはれて
       めにせしひそや こゑもらす
       みのちわけりと ねぬよまを
       ゐたいなるへん さえむふゆ


 今日の晩は皆既月食が見られるというので、朝から胸がわくわくし、さっそく新いろは歌に詠みました(まだ見たわけではないのにね)。
 ネット等の情報によると、欠け初め(初虧)が20時48.1分、皆既食の始め(食既)が21時51.4分、食の最大(食甚)が22時29.8分、皆既食の終わり(生光)が23時08.3分、欠け終わり(復円)が翌0時11.5分だそうです。つまり、皆既食が1時間17分も続くわけです。陰って赤銅色になった神秘の月を、ぜひとも見たいと思いました。
 天気が下り坂だと聞いたので心配していましたが、夕方には満月が昇りました! 少し薄雲がかかって朧月のようになっているけれど、ぼんやりとでも月食が見たい!
 仕事が済んで帰り道、ふと駅前のそば屋へ行こうと思い付きました。この閃きは、私自身を大いに喜ばせました。はやる気持ちで店へ入り、食券を買い、席に着きます。
 もちろん、注文の品は月見そばです!! なんせ月食の晩ですからねぇ、月を食さねば!(笑)
「お待たせしました。月見そばの方〜」
「はい!」
 テーブルにも月、空にも月――。さぁ、もうすぐ本物の月食です!



平成30年1月30日(火)

        総 決 算 期


 往ぬ逃ぐ去るの 年度末

 猶慌てゐ 身追はれたり

 急かむを鎮め 余裕持ち

 今日山辺越え 空広き


       いぬにくさるの ねんとすゑ
       なほあわてゐみ おはれたり
       せかむをしつめ よゆうもち
       けふやまへこえ そらひろき


 昨日、職場の朝礼で「一月は行く 二月は逃げる 三月は去る」のお話がありました。私が昔に聞いたのは「一月は往ぬ(往ぬる)」でしたが、昨今は「行く」に置き換えられているようです。「いぬ(いぬる)」という語が古めかしくて意味が解りにくいからでしょう。いずれにせよ、毎年この時期によく聞く言葉です。
 それにしてもこの言い回しは、辞書ではあまり見かけないなぁ、そもそもどういう意味を込めているのだろうと思い、改めて調べ直してみたのです。すると、旺文社『成語林 故事ことわざ慣用句』(尾上兼英 監修) の「二月は逃げて走る」の項に、次のような解説がありました。

《二月という月は逃げるかのように早く過ぎてしまうものだ。正月が終わったばかりと思っているうちに、もう三月が目の前にきていることをいう。「二月は逃げて去る」ともいう。
 [参考] 日数が少ないこともあって、二月はだれしも早く過ぎるように感じるが、その感覚を「二月」と「逃げる」の「に」の音をそろえて表現したもの。同様な言い方に「一月いぬる〔=行ってしまう〕、三月去る」がある。》

 なるほど。「いち に さん」の音をそろえて「いぬ にげる さる」にしたわけですね。
 さらに、創拓社『新編 故事ことわざ辞典』(鈴木裳三 編) の同じ項には、

《陰暦二月という月は早く過ぎてしまい、正月が終わったと思うと、三月の働く月がやってくるということ。[類] 二月ひと月は粉糠(こぬか)三合で暮らす/一月いぬる二月逃げる三月去る/二月は逃げ月(壱岐)》

 とありました。この「三月の働く月」という部分から察するに、一月、二月は正月や農閑期でのんびりできると思ったら、楽に過ごせる時間というのはあっという間に過ぎてしまい、また土を耕す三月がやって来た≠ニいうふうにも受け取れます。つまり、一月二月は骨休めの短さを、三月は仕事の忙しさを言っていることになります。おそらく雪解けの時季とも関係しているのだと思います。
 この『新編 故事ことわざ辞典』には「一月は往ぬる二月は逃げる三月は去る」の項目もきちんと載っていて、(備後)正月、二月、三月という月は行事が多い月で、あっという間に過ぎてしまうということ≠ニありました。行事≠ニは何を指しているのかが、やや曖昧な説明ですね。一月は正月だとしても、二月の行事って、何? 三月はやっぱり、雛祭りなんですかねぇ?

 ところで、上の画像は今からちょうど八年前の、平成二十二年一月三十日の青空です。過去に撮影した中から、一月末の大空≠ェ感じられるものを選びました。歌に詠んだような「山辺」ではありませんけどね(笑)。ほんとは「山辺」ではなくて、仕事の「山場」と表現したかった……。



平成30年1月29日(月)

        摘 草 賞 味


 春待ち兼ねゐ 野へ行きぬ

 土手を見多さ 得ん土筆

 油炒めす 食に為せり

 我も笑むぞや 悦び得


       はるまちかねゐ のへゆきぬ
       とてをみおほさ えんつくし
       あふらいためす けになせり
       われもゑむそや よろこひう


 ついこの間まで午後六時前には真っ暗だと思っていた外が、だいぶ薄明るくなりました。帰宅途次、あぁ日が長くなって来たんだなぁと、心和むものを感じます。節分も間近ですね。
 待ち遠しい春です。昔は父母と一緒によく土筆採りに出かけました。藻川の上園橋から川沿いの土手を上流へ。藻川・猪名川の合流点から今度は猪名川沿いに猪名川橋まで下り、橋を渡って対岸の土手を再び上流方向へ。伊丹空港の北端付近まで順に採り進むと、優に二〜三時間はかかります。三人でビニール袋三つ分の収穫を家へ持ち帰り、皮むき作業を済ませて水に漬け、灰汁抜きした後、その土筆を母が油炒めにしてくれました。醤油等で味付けして出来上がり。私にとって、最高の旬の味覚です!
 近年は私が一人で大阪の淀川まで出向いています(妻はさほど土筆が好きではないようなので、単に私だけの趣味になってしまいましたが……)。こちらは土手が広いので、時季が良ければ見渡す限りの土筆の原≠ノ出逢えます。心からのびのび寛げて、大好きな味を愉しめる、嬉しい春の行事です……!
 とか言いながら、今はまだ一月でした。おめでたいのは私の頭。気持ちが飛んじゃってますよね……。



平成30年1月28日(日)

        想 早 春 賦


 牡丹雪やな 寒い空

 世に鴬も 声せぬを

 枝へ芽丸みゐ 我胸で

 春の足音 近づけり


       ほたんゆきやな さふいそら
       よにうくひすも こゑせぬを
       えへめまろみゐ われむねて
       はるのあしおと ちかつけり


 一昨日は午後から雪になりました。大きな雪片が無数に舞い、一時は吹雪かと思えるくらい激しく降ることもありました。ホワイトアウト≠ネんていう言葉を思い浮かべながら……。
 でも、牡丹雪ですからねぇ。短時間で一面真っ白に積もった雪も、大半がすぐに消えてしまいました。昨日の朝まで残っていた薄化粧の風景も、昼頃までには消滅しました。まだちらちらと白いものが舞うこともありましたが……。儚い淡雪ですね。
 このところ寒い日が続くけれど、気の早い私はもう春の気分ですね。日が差すといっぺんに明るい気持ちになります。春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど……≠ニいう唱歌「早春賦」(吉丸一昌 作詞) を想いながら、今日の一首を詠みました。なかなか来ない春のもどかしさを唱歌では唄っていますが、私は春の予感を詠みたかったので、唱歌とは違う「春の足音」という語句をぜひ入れようと思いました。



平成30年1月27日(土)

        四 季 心 象


 春 野辺温和 枝桜

 夏 瀬にて濡れ 愛い笑顔

 秋 お山好げ 紅葉染め

 冬 炉恋しと 居眠りす


       はるのへをんわ えたさくら
       なつせにてぬれ ういゑかほ
       あきおやまよけ もみちそめ
       ふゆろこひしと ゐねむりす


 新いろは歌を作り始めてまだ年月の浅い頃、この手の作品を何首か詠みました。「はる なつ あき ふゆ」には仮名の重複が無いので、それぞれの季節名を句の頭に据えて、四季の風景を描こうというわけです。わりとありがちな発想ですが、やってみるとこれがなかなか難しいですね。陳腐になってはいけないし、かといって、あまり季節感から掛け離れすぎると、支離滅裂になってしまいます。
 私が初めて四季の歌を詠んだのは、平成九年六月二十九日、以下の作品でした。

   春 若芽出で 鳥巣立ち   はるわかめいて とりすたち
   夏 蝉の声 魚も居ぬ    なつせみのこゑ うをもゐぬ
   秋 山装ひ 村時雨     あきやまよそひ むらしくれ
   冬 大根煮え 炉辺酒    ふゆおほねにえ ろへんさけ

 二十年ほど前の作と、今と、大差無いですかねぇ。
 まぁ今回は「愛い」「好げ」「恋し」等の心情語を用いたので、いくぶん人間味が感じられる歌になったかもしれません。特に「愛い」の語は、子供との一年を振り返る意味合いを、それとなく添えてくれたようです。公園での花見、せせらぎでの水遊び、嵐山での紅葉狩り、そして温い部屋での転た寝……。春夏秋冬それぞれに、幼い我が子の愛い♀轤思い出します。
 尚、上の画像は、私が中学生の時に趣味で作った四季の切り絵≠ナす。昔から季節感を味わうことが大好きで、今にして思うと、我ながら風流な子供でした(笑)。



平成30年1月26日(金)

        麻 辣 復 活


 席居て温げ 拉麺ぞ

 喜びの我 笑まへるを

 スウプ華やか 燃え立つと

 胸に沁み入り 幸覚ゆ


       せきゐてぬくけ らあめんそ
       よろこひのわれ ゑまへるを
       すうふはなやか もえたつと
       むねにしみいり さちおほゆ


 阪急武庫之荘駅北改札口を出た左手横にある「ラーメン横綱」のラーメンが大好きです。いつもは豚骨みそ味を頼むのですが、このたび期間限定商品担々麺≠ェ復活したことを知ったので、昨日今日と立て続けに食べて来ました。気に入った味というのは、まったくヤミツキになりますね(笑)。
 この担々麺には濃厚胡麻≠ニ麻辣(マーラー)≠フ二種類があって、麻辣のほうが辛味が強いです。隣のテーブルでも同じ品を注文するお客がいて、店員さんが笑いながら「あのメチャクチャ辛いやつですね?」と再度確認しているのを耳にしました。辛い物好きな人にとっては、そんなにメチャクチャ≠セとは思いませんけどねぇ(笑)。とにかく、堪えられない美味しさです! ピリッとした濃厚スープが脳裏に焼き付き、全身に浸み渡り、胸の奥から悦びが湧いて来ます……!
 歌に詠んだ胸に沁み入り 幸覚ゆ≠ヘ、まさしく私の実感です。



平成30年1月25日(木)

        末 梢 繊 細


 冬木枝は 大空へ

 網目の如し 広がりぬ

 地にや根群れゐ 末までを

 成せる 毛細血管よ


       ふゆきえたは おほそらへ
       あみめのことし ひろかりぬ
       ちにやねむれゐ すゑまてを
       なせるもうさい けつくわんよ


 この時季、落葉樹の大木にじっと見入ることがあります。
 当然、葉は一枚も付いていません。空を背景に大きく枝を広げ、堂々と立ち尽くす裸木は偉大かつ優美です。幹から何度も枝分かれし、梢の先に至るまで、まるで網目のように、迷路のように、細い枝の道が続くのです。土にも根が、まるで人間の身体の中にある毛細血管のように、地中深くへ広がっているのでしょう。
 萩原朔太郎の詩「竹」の一節を思い出します。

   地下には竹の根が生え、
   根がしだいにほそらみ、
   根の先より繊毛が生え、
   かすかにけぶる繊毛が生え、
   かすかにふるえ。

 微細な根っこの先端から、高い枝の末節まで、まるで血液循環のように、吸い上げられた水の旅が続いてゆくのでしょう。なんだか生命の神秘を感じさせられました。
 自分の身体にも、繊毛のような血管が張り巡らされているのですね。風は冷たくとも、身の中を流れる温かい血を、そして春になると一斉に芽吹くような秘められた力を、今こそ意識しようと思いました。

 ところで……。
 準確定申告の件は、昨日無事に片付きました! 細かい点をいろいろ指摘されるんじゃないかと不安でしたが、税務署の申告相談の方が、とても親切に、それこそ枝葉末節≠ノこだわらず、大らかに対応して下さいました。とてもありがたがったです。
「これで全部終わりましたよ」と言って下さったので、心底安心できました。



平成30年1月24日(水)

        春 風 浪 漫


 野辺に寝し我 また目開け

 空を見下ろす 気分せむ

 声も近うて 居る雲雀

 程好い温さ 愉悦やな


       のへにねしわれ まためあけ
       そらをみおろす きふんせむ
       こゑもちかうて ゐるひはり
       ほとよいぬくさ ゆえつやな


 昨日九時すぎに税務署へ行ったら、もう人でいっぱいでした。受付の順番が回って来るのがお昼ごろになると言われたので、記入すべき申告用紙だけ貰い、出直すことにしました。しかし……。
 家で書類を書き始めたのですが、もう悪戦苦闘です。どこに何を書くのかさっぱり解らず、一つ一つ項目を理解しながら作業を進めねばなりません。不慣れな私は下書きを仕上げるだけで何時間もかかりました。特に決算書は、すごく小さな欄に細かい字で数字をズラズラ埋めねばならず、単に写すだけでもグッタリします。おまけにあちこち書き間違えてしまって……。気がつくともう夕方でした。だめだ……。
 結局、一日では無理でした。残念無念……!
 心身ともに疲労困憊してしまったので、そこは気持ちを切り換え、安らかな春の夢でも見たいと思いました。寝床で新いろは歌を考えつつ眠り……。朝、寝覚め一番に詠み上げた今日の一首≠ナす。



平成30年1月23日(火)

        安 心 着 実


 高嶺との差は 猶も見ゆ

 焦らぬ様に 落ち着けり

 六十五点 マイペエス

 良き日をぞ居む 我笑める


       たかねとのさは なほもみゆ
       あせらぬやうに おちつけり
       ろくしふこてん まいへえす
       よきひをそゐむ われゑめる


 昨日は自己評価65点という話をしたので、今朝起きぬけにこの新いろは歌を作りました。
 たとえば人生の最終目標は高みを目指すとしても、普段は無理をせず、65点ぐらいがちょうど良いのかもしれません。
 それにしても、なぜ「65」という数字が浮かんで来たのでしょう。自分でも不思議に思ったのですが、次のような歌の一節をふと思い出したのです。これが頭の片隅にあったのでしょうね。

   0点なんかじゃ許さない
   100点とるひと大嫌い
   知っているのにワザとまちがえる
   65点のひとが好き 好き 好き

 曲のタイトルも唄っている歌手も忘れてしまっていたのですが、ネットで検索したところ、松本ちえこの「恋人試験」(伊藤アキラ 作詞/あかのたちお 作曲) という曲でした。いわゆる旧き良きアイドルの歌ですね。懐かしいなぁ……!



平成30年1月22日(月)

        苦 手 意 識


 答得られず 知恵も無い

 胸締めつけん 苦を覚ゆ

 闇居て這ふに 泥沼の

 悪足掻きせり 悲愴ぞよ


       こたへえられす ちゑもない
       むねしめつけん くをおほゆ
       やみゐてはふに とろぬまの
       わるあかきせり ひさうそよ


 準確定申告というのをしなければならないので、明日、税務署へ行きます。
 自分の手で納税をするのは全くの初めてで、ほんとに解らないことだらけです。また、期限が迫っていることもあり、焦りと不安でいっぱいです。しかし、やるしかありません!
 俳人・西東三鬼の句「算術の少年しのび泣けり夏」を思い出しました。夏休みの宿題に追い詰められる少年の気持ちが、この胸によみがえって来ます。もっと早くやっておけばよかった……、という後悔もあるでしょう。しかし、どんなに考えても解らない、力の及ばないこともあるのです。出来ないでは済まない、でも解けない、いつまでも終わらない……。
 大人になったら、泣いて済む問題じゃありませんね(苦笑)。
 まぁ私は根が呑気ですからあとは野となれ山となれ≠ナす。今の自己評価は65点ですが、書類の準備等、自分なりには頑張りました。解らないことは現地で聞けばいいのです。失敗しても、首を取られるわけじゃないですし(笑)。良い勉強になります。
 明日、何が待っているのか、どんなことを経験するのか……。知らないから不安になるのでしょうが、不思議にちょっと楽しみでもあります……! 自分自身を見の見物≠ナす。



平成30年1月21日(日)

        香 辛 浪 漫


 カレエライスを 好む故

 多めに装ひ たつぷりで

 身さへも跳ね 歓喜せる

 味とろけゐぬ 旨しやな


       かれえらいすを このむゆゑ
       おほめによそひ たつふりて
       みさへもはね くわんきせる
       あちとろけゐぬ うましやな


 昨日はCOWBOY家族(塚口店)で食事しました。
 ここのサラダバーにはカレーもあり、セルフサービスで何杯食べてもよいそうなので、注文を終えると第一番にカレーをもらいに行きました。私はカレーが大好きですからねぇ、もう子供みたいに嬉しくなってしまって、立て続けに二杯いただきました! 懐かしい家庭の味です。美味しかった!
 それで、こりゃあ是非歌にしなければ……! と、思ったわけです。「身さへも跳ね 歓喜せる」は表現がオーバーかもしれませんが、内心では小躍りしていましたよ(笑)。
 しかし私のカレー好きは、まだまだそこでは終わりません!
 今朝は五時に起床、すぐに自転車を走らせたのです。行った先は、すき家(伊丹野間店)です! 早々に「デラックスカレー しじみ汁サラダセット」というのを食べちゃいました!!
 朝から優雅に満足です――。



平成30年1月20日(土)

        希 望 赤 赤


 夕焼け燃えて 愛づるこの

 大空広さ 見据ゑゐぬ

 風に鳥鳴く 町平和

 良き明日を得 胸晴れん


       ゆふやけもえて めつるこの
       おほそらひろさ みすゑゐぬ
       かせにとりなく まちへいわ
       よきあしたをう むねはれん


 つまらない話ですが……。よくゴミ箱に「もえるごみ」「もえないごみ」等、分別のための表示が貼ってあるでしょう? あれを見ると、つい馬鹿々々しいことを考えてしまいます。そうかぁ、どんなことにも熱い血を燃やすファイト満々のゴミ≠ニ、何に対しても無感動無関心な冷めた性格のゴミ≠ェいるんだなぁ……って(苦笑)。今日もそんなゴミ箱に出会いました(笑)。
 ゴミ箱はさておくとして……。
 その「もえる」という言葉から連想したのが、真っ赤に燃える夕焼け空です!
 それでまぁ、朝っぱらから夕焼け空の歌を考えました(笑)。しかし私自身も、ゴミ箱から夕焼けにつながるとは思ってもみませんでした。さらに、苦吟しながらも頭の中を流れ続けたのが、

   夕焼け燃えてる そのむこう
   やさしい街が あるという
   愛にはぐれた 私でも
   生まれ変われる そんな街

 という歌い出しの曲「明日への旅人」(山川啓介 作詞、菊池俊輔 作曲) でした。これは、中村敦夫主演で昭和五十一年頃に放送された時代劇『江戸特捜指令』(毎日放送) の主題歌で、私が中学生の時から大好きだった曲です。キングレコード発売のCD『テレビ時代劇主題歌コレクション』解説書によると「歌い手の清水京子は兵庫県西宮市出身」とあります。お隣の町ということで、ますます親しみが湧きました。
 今日の新いろは歌には、かなりその影響が出たようです。
 尚、上の夕焼けの画像は平成二十六年七月八日に撮影したものです(過去に撮影した中から燃える∴象が強い一枚を選びました)。



平成30年1月19日(金)

        飛 遊 幻 想


 夢で浮く我 大空居

 胸へ風吸ふ 声上げん

 野山を飛びぬ 花見たり

 気持ちよろしさ 悦に入る


       ゆめてうくわれ おほそらゐ
       むねへかせすふ こゑあけん
       のやまをとひぬ はなみたり
       きもちよろしさ えつにいる


 この新いろは歌に詠んだような夢を、昔はよく見ました。
憧れ≠ニいう意味の夢ではありません。睡眠中に見る夢の話です。空を飛ぶ感覚は、一度体験すると忘れられませんね。実に気持ちが好いんです! 自分の魂が身体を抜け出し、実際にどこかの空を飛び回っているんじゃないかと思うほどです。ふわっと浮く感じが、なんともいえない喜びと寛ぎを与えてくれます。
 今日の明け方頃、久しぶりにその飛ぶ夢≠見ました。何年ぶりでしょうか……。昔と違ったのは、自分自身が飛ぶのではなくて、宙に浮くベッドで寝ている夢だったんですね。
 二十畳ほどの広い部屋で、吹き抜けになっているような天井の高い室内を、自由自在に飛ぶ夢です。ちょうど遊園地のアトラクションに乗っている気分でした。まるでリモコン操縦するように、ベッドが天井すれすれまで上に行ったり、下がったり。ゆっくりですが、静かに軽やかに、広い室内空間を何の抵抗もなく縦横無尽に飛び回るのです。昔味わった感覚が、目覚めた後もよみがえって来ました。
 あぁ、楽しかった! 今度はいつ見られるかなぁ。こればっかりはわかりませんね……。



平成30年1月18日(木)

        忙 中 優 心


 我が子寄せゐし 団栗は

 今朝雨に濡れ 地へ揃ふ

 想ひ出の種 猶笑まむ

 安らぎ見入る 愉悦を得


       わかこよせゐし とんくりは
       けさあめにぬれ ちへそろふ
       おもひてのたね なほゑまむ
       やすらきみいる ゆえつをう


 昨日の朝は雨でした。雨には雨の風情があるとはいえ、やはり出勤時にぐずついた空模様では気が重いなぁと感じてしまいます。
 そんな時にふと庭先を見たら、石畳風のタイルの上に団栗が三つ並んでいました。いつだったか、うちの子が公園で拾って来たのを並べたんですね。子供は木の実が大好きで、宝物のようにしっかり握りしめて放しませんが、手に余った分を置いたのでしょう。それがそのまま何日も残っていたのです。つい先日のことなのに、なんだかとても懐かしい気がしました。
 雨に濡れたどんぐりは、生き生きと輝いて見えました。朝の忙しいさなか、ほんのしばらく温かい気持ちになりながら、雨合羽を用意し身支度を整えます。
 さて、仕事に行くとするか――。

 昨日見た団栗、今日もそのままにしてあります。いつまでも心に残せたらと、一首詠んだ次第です。



平成30年1月17日(水)

        七 七 七 七


 四桁数あり 稀なるは

 ラツキイセブン 揃ひゐぬ

 夢のごと笑み 調和をや

 胸にも覚え 幸来べし


       よけたかすあり まれなるは
       らつきいせふん そろひゐぬ
       ゆめのことゑみ てうわをや
       むねにもおほえ さちくへし


 昨日家族で食事に行って、お金を払う時に一万円札を出したら、お釣がなんと! 七千七百七十七円だったんです!!
 レシートに並ぶ数字「7,777」を見て、ちょっと嬉しくなりました。でもスロットマシーンじゃないから、べつに「大当り!」ではないのだけれど、やっぱり喜んじゃいますね! セルフサービスの食堂で、各自好きなおかずを適当に選んだので、もちろん金額は意識していませんでした。思わず「めでたいなぁ……!」とつぶやいたら、女店員さんもにっこり微笑んでくれました。
 ところで、なぜ7はラッキーなんだろうかと、ふと疑問に思いました。私はまったく知らなかったのですが、これは野球から来ているようですね。『広辞苑(第六版)』で「ラッキーセブン」を見ると、《野球で、1試合9回のうち、第7回目の攻撃。この回を幸運の回とし、得点を期待するところからいう》とあります。他にもいくつか国語辞典で調べたところ、第7回目頃になると打者が球に慣れてくるから得点のチャンスに恵まれる、とかなんとか説明がありました。なるほどね。
 日本でも、七福神とか、七夕とか、七五三とか、やはり七はおめでたい数(陽の数)ですよね。
 さらに、インターネットで「7777」を検索したら「エンジェルナンバー」という言葉が出て来て、天使があなたを応援してくれているとか、あなたの願いが現実のものになるとか、非常に好いことが書かれていました。まぁ、素直に喜んでおきましょう!(笑)



平成30年1月16日(火)

        遣 気 之 源


 腹の減るゆゑ 闘志絶え

 戦も出来ず 落ち着かぬ

 目眩や弱音 不安に居

 身細り転げ 名折れせむ


       はらのへるゆゑ とうしたえ
       いくさもてきす おちつかぬ
       めまひやよわね ふあんにゐ
       みほそりころけ なをれせむ


 今日は火曜日です。火のように燃える元気が欲しい!
 このところ雑用に振り回され、落ち着かない毎日です。あれもしなければならない、これもしなければならないと思い、頭がパニックになってしまいます。
 市役所へ住民票を貰いに行くとか、銀行引落しが出来なかった料金を振り込みに行くとか、そんな些細な用事でも、それが幾つか重なると、もう面倒で面倒で……。そこへもって、一年分の医療費をチェックしなければならないとかいう、ある程度手間の掛かる仕事が加わると、何もしないうちから精神がどっと疲れてしまうのです。「○月分の領収書が無いじゃないか……! うわぁ〜、もうダメだぁ〜!」とかね。冷静に考えると、べつに世を儚むような問題ではないのにね(苦笑)。
 そこでふと気が付いたのですが、そういうアブナイ精神状態の時は、たいてい空腹で、手足が冷たくなっていることが多いんですね。雑用に心を奪われ、食事や防寒にまで気が回らないわけです。「飯食ってる場合じゃない!」なんてね。
 でもやっぱり「腹が減っては戦は出来ぬ」ですよ! まずは食事をしましょう。体の栄養は、心の栄養です。寒かったら手足を温めましょう。それだけでかなり気持ちが落ち着きます。
 一息ついたら、すぐに出来る簡単なことから手を付けましょう。頭で考えている間に、行動に移りましょう。悩むより、体を動かすこと。案ずるより産むが易しです。一つ一つ片づいてゆく喜びを実感しましょう。――そう自分自身に言い聞かせました。
 あ、こんな文章書いてる場合じゃないか(笑)。



平成30年1月15日(月)

        小 寒 月 曜


 白の弧なせる 月細さ

 目をやれば寺 鐘打ちぬ

 音澄み渡り 冬に居ん

 笑むも冷えいく 夜明け前


       しろのこなせる つきほそさ
       めをやれはてら かねうちぬ
       おとすみわたり ふゆにゐん
       ゑむもひえいく よあけまへ


 暑がりの私も、今朝は冷えるなぁと感じました。息が白かったですし。
 寒いうえに月曜日、またなにかと慌ただしい一週間の始まりです。今日は生ゴミの日だなぁ……。ポリバケツを開けてゴミ袋の口を結びながら、ふと東の空を見ました。すると……。
 白糸のような月が出てるじゃないですか!
 三日月? いや、三日月は夕方ごろ西の空に見えるんだから、違うな。朝東の空に見えるのは、二十日を過ぎて新月に近づく月ですね(あとで調べたら、今日の月齢は二十八日でした)。
 日の出前の、束の間の細い月です!
 ちょっと嬉しくなって、すぐさまケータイで撮影したのですが、やっぱり巧く写りませんねぇ。上の画像の、電線の間に見える白い光の点が、今朝のお月様です。
 さらに、それを拡大したのが右の画像です。光が広がって、何倍か太っちゃいました。ほんとはもっともっと細かったのに……。



平成30年1月14日(日)

        清 涼 満 腹


 炭の香冴ゆと 猶好うて

 火は燃え焜炉 落ち着きぬ

 焼ける河豚食べ 威勢増し

 胸に青空 我笑めり


       すみのかさゆと なほようて
       ひはもえこんろ おちつきぬ
       やけるふくたへ ゐせいまし
       むねにあをそら われゑめり


 先週の日曜日、町内の人らと新年会で河豚を食べに行きました。
 刺身、天ぷら、焼き、お鍋、どれも良いですが、河豚料理はやはり最後の雑炊が絶品ですね! 美味しさのエキスが凝縮されて、ますます味が深まりますからね。
 それはさておき、その日は特に炭火≠ニいうものの良さを実感しました。河豚を焼く時に目の前へ据えられた焜炉です。なんとも清々しい香りがして、気持ちがすうっと落ち着きます。頭の中が冴え渡るような、胸がシーンと鎮まるような……。この香りが人間の感覚を研ぎ澄まし、料理の味を引き立てるんだなぁ……と。
 そういえば、『枕草子』で清少納言が言っている「いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし」というのは、この香りのことではないでしょうか。もちろん、朝の慌ただしさや張り詰めた気持ちが冬には似つかわしい≠ニいうことかもしれませんが、その中には必ず炭火の香りが漂っているはずですね。胸がシーンと鎮まるような清々しい香り、それが凍ての朝をきりっと引き立てる、そういうことでしょう!
 文章に書かれた内容を思い浮かべる時、視覚的な事柄はすぐに想像できますが、なかなか嗅覚までは再現できませんね。味覚となると、ますます無理でしょう。それだけに、実際の味覚や嗅覚というのは記憶に頼らず直接心に訴えやすい@v素だと、改めてそう感じました。



平成30年1月13日(土)

        一 面 冬 色


 常は見られぬ 大雪よ

 外へ居たうて 声上げん

 さくり地を踏む 冷え忘る

 目にも真白の 世界やな


       つねはみられぬ おほゆきよ
       そとへゐたうて こゑあけん
       さくりちをふむ ひえわする
       めにもましろの せかいやな


 昨日の朝の天気予報で「今晩から翌13日は西日本でも大雪となり、鉄道にも影響が出そうです」とかなんなとか言っていましたが……。朝起きたら雪どころか、ものすごく良い天気だったので拍子抜けしました。雪景色が見られるかと思っていたのに、ちょっと残念です。
 豪雪地帯の苦労も知らず、雪の被害にも遭った経験のない私は、呑気なことを言っています。たまに積雪があると、子供みたいに嬉しくなりますね。そりゃあ被害があっては困りますが、唱歌「雪」(作詞作曲者不詳) のように雪やこんこ(=来い来い) 霰やこんこ≠ニはしゃぎたくなる気持ち、よく解りますよ。
 この歌に登場する犬と猫、どちらかと聞かれたら、私は間違いなく犬のほうです。もし雪が降って来たら、こたつで丸くなってなんかいません! 喜んで庭を駈けまわっているでしょう!
 そういうわけで、今日は降ってもいない大雪の歌を詠んでみました。
 ちょうど十年前の平成二十年二月九日・十日の両日は、関西でも珍しく多めの積雪が見られたので、その時の画像を以下に添えたいと思います(上の画像もそうです)。

  

  

  



平成30年1月12日(金)

        五 月 人 形


 重く鎧着 馬へ乗る

 出立ち映ゆ 若武者なり

 常に目冴え 空見据ゑ

 褪せぬ威厳と 武を誇れ


       おもくよろひき うまへのる
       いてたちはゆ わかむしやなり
       つねにめさえ そらみすゑ
       あせぬゐけんと ふをほこれ


 先日、空腹時に「腹が減っては戦は出来ぬ」ということをしみじみと実感しました。その戦≠フイメージから、今度は武者人形のことをふと思い出しました。白馬に乗った若武者の人形が、我が家にあったなぁ……と。
 もう何年も忘れていたけれど、今朝探してみると、ちゃんとありました。物置のようになってしまった部屋の、普段は目にすることのない床の間にきちんと飾られています。それを見た途端、懐かしさと心安らかさで胸がいっぱいになりました。
 これはぜひ歌にしなければならない……! 今日は強くそう感じ、一首詠んだ次第です。
 この武者人形は、母方の伯父が私のために、端午の節句に贈って下さったものだと聞いています。そして、幼い頃から私を見守ってくれていた人形です。日頃は意識しなくとも、家族のような、心和む故郷のような存在だったのでしょう。忘れてしまってごめんなさい。
 やはり、人の想いというのは永遠に残るものなのですね。伯父伯母の想い、父母の想い、そして、まだ小さかった頃の私の想い。もう一度胸の奥に、大切に仕舞っておこうと思います。
 武者人形よ、ありがとう……。不思議な安堵感を覚え、私はいま幸せです。



平成30年1月11日(木)

        氷 結 夜 明


 冬型気圧配置せん

 冷えに今朝外 凍りゐぬ

 お山の上ら 白くなる

 峰を愛でもす 我笑むよ


       ふゆかたきあつ はいちせん
       ひえにけさそと こほりゐぬ
       おやまのうへら しろくなる
       みねをめてもす われゑむよ


 今朝通勤の途中、あちこちで道路に氷が張っているのを見ました! 昨日雨が降ったせいでしょう。雨量は少なかったけれど、夕方に大きな雷が鳴りました。一夜明けてそれが凍ったのですね。
 空気が張り詰めたように冷たく、いかにも冬らしい光景に出合えて、なんだか嬉しくなってしまいました。ふと目をやると、遠く六甲山も白い雪をかぶっています。青空に照り映える雪化粧の山というのもなかなか見られないので、またまた嬉しくなって、こりゃぁ是非歌に詠まなければならないと思ったわけです。少し遠回りしてわざわざ尼宝線(兵庫県道42号線)が阪急の線路を越える坂の上まで行き、見晴らしの良い場所からケータイで六甲連山の写真も撮りました。私も物好きですね(笑)。
 そういえば今日は西高東低、典型的な冬型の気圧配置となっているとかなんとか、朝の天気予報で言ってましたね。もう頭の中には「ふゆがたきあつはいち」「こほり」「ひえ」「みねしろく」等々の文字列が浮かんで来ます。仮名に重複が無いのを何度も空で確認していました。
 今の時季は、やっぱりこうでないとね! 冬はつとめて(早朝が好い)、と清少納言も言ってましたね。まったく同感です! 凍てつく寒さ、これこそが冬です!
 凍った道路の画像も、右に添えておきましたよ!!



平成30年1月10日(水)

        繁 昌 祈 願


 幸呼ぶ年始 めでたう居

 空も明け笑む 宮行きつ

 十日戎の 大いなる

 鮪へ小銭 我貼りぬ


       さちよふねんし めてたうゐ
       そらもあけゑむ みやゆきつ
       とをかえひすの おほいなる
       まくろへこせに われはりぬ


 お正月が終わって仕事が始まると、やはり何かと忙しいので、なかなか十日戎にお参りに行けないのが残念です。我が家では例年、京都の伏見稲荷、宝塚の中山寺と清荒神、東大阪の石切神社へ初詣に行きますが、西宮戎神社へはほとんどお参りしたことがありません。お隣の西宮市内だから、さほど遠くないんですけどね……。そういうわけで、おそらく十年以上も前にお参りした時の記憶を呼び起こし、一首詠んでみました。大きな奉納鮪へ小銭を貼り付けてお祈りしたことを、懐かしく思い出します。
 ところで、十日戎はなぜ一月十日なのか、ふと疑問に感じました。いろいろ調べてみたのですが、確かな理由は判りません。ただ、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』には次のような記述がありました。
《えびす(戎・夷・恵比須)は本来漁業神であるが、東日本などでは農業神とも考えられ、旧暦10月20日と1月20日にえびす講がある。それに対して兵庫県西宮市の戎社(西宮神社)では、市(いち)の日と結び付けたものか1月10日で、9日を宵戎、11日を残り戎という。》
 一つの説ですが、市が立つ日と祭礼の日とを合わせたわけですね。市が繁盛するよう神に祈りを捧げよう、ということでしょうか。
 数字が持つ宗教的な意味合い(十は神界を意味するとかいうような)よりも、やはりそういう現実的な、生活に密着した理由なのかもしれませんね。
 尚、上の画像は、戎様へお参りして来た人から頂いた福笹を撮影したものです。



平成30年1月9日(火)

        想 拾 億 円


 当てにせぬ様 少と見ゐむ

 絵も綺麗なり 宝くじ

 侘をば覚え 喜べず

 年末の夢 去る今日ぞ


       あてにせぬやう ちとみゐむ
       ゑもきれいなり たからくし
       わひをはおほえ よろこへす
       ねんまつのゆめ さるけふそ


 妻が9枚買ってくれていた年末ジャンボ宝くじ。妻子と私の3人で各3枚ずつ配分してもらい、その当籤番号を、昨晩一緒に確認しました!
 うわぁぁぁぁぁ!! なんと! 結果は、一枚も当たらず……。
 といっても、私は宝くじにあまり興味が無いんですよネ。
 まぁ、全く興味が無いと言ったら嘘になります。思わぬ大金が万が一にも手に入ったら、そりゃァとても嬉しいし、天から頂戴した幸運に、感謝感激雨霰です。でも、当たるはず無いですもん。一獲千金なんて、起こり得る確率は0.0000……何%でしょう。だから、自分ではまず買いません。
 私がもし自ら宝くじを買うとすれば、それは当籤金目当てではなくて、くじの紙片そのものが欲しい場合です。だって、絵やデザインが綺麗でしょ! 郵便切手や旧紙幣の収集家みたいに、宝くじ自体をコレクションしても好いかな、と思います(実際にそういう人もいらっしゃるはずです)。今のところまだその気はありませんが、くじの絵柄鑑賞に心底喜びを見出せるなら、それだけで幸せです! 毎回1枚だけ買ってアルバムに整理するかなぁ(いや、やっぱり2枚かな。大金が当たったら換金してしまうでしょうからね、予備が必要ですね。笑)。そんな楽しみ方も好いですねぇ!
 そういえば、子供の頃は仮面ライダーカードを熱心に集めてたなぁ……(笑)。今でも大切に持ってますよ! その一部を御覧頂きましょう(下の画像)。

  

  

  



平成30年1月8日(月)

        吉 列 麺 麭


 早も匂ふぞ 珈琲の

 我を招ける 店行きぬ

 カツサンド食べ 味よろし

 豪う好くなり 愛でゐ笑む


       はやもにほふそ こおひいの
       われをまねける みせゆきぬ
       かつさんとたへ あちよろし
       えらうすくなり めてゐゑむ


 休日の朝など、たまにコメダ珈琲(伊丹山田店)へカツサンドを食べに行くことがあります。軽く食事をしたい時には最適のメニューです。カツは揚げ立てでサクッと美味しく、適度なボリュームもあり、私はとても気に入っています。何日か前に食べたその味を、なぜか今朝急に思い出したので、一首捻ってみました。
 揚げ物はやはり熱々が一番ですね! 家ではなかなか朝から出来立てのカツサンドなど食べられませんからね。優雅な気分に浸りつつ、更に食後のコーヒーを味わいます。なんという贅沢、胸に浸み渡る満足感! 寛ぎのひとときを堪能しました。
 それにしても……。この数日、食べ物の歌ばかり詠んでますねぇ(笑)。
 にぎり寿司、イクラ丼、七草粥、チーズカレー、そして今日のカツサンド。美味しそうで良いけれど、食い意地ばっかり張ってるみたいで、我ながら笑っちゃいますねぇ。
 正月気分もそろそろ最後にしないとね……。しばらくは、食べ物から離れましょうか(とか言いながら、美味しい時に創作意欲が湧くのも事実でして……)。



平成30年1月7日(日)

        牛 掛 辛 飯


 大皿へ飯 肉盛りぬ

 温玉子添ひ 牛カレエ

 チイズよ蕩け 粘つて居

 載せ合ふ和やな 笑み緩む


       おほさらへめし にくもりぬ
       をんたまこそひ きうかれえ
       ちいすよとろけ ねはつてゐ
       のせあふわやな ゑみゆるむ


 昨日午前中、用事で出掛けた帰りに少し遠回りし、すき家伊丹野間店で「牛あいがけチーズカレー」を食べました。朝ご飯食べそびれたのでね……。
 出て来た品はおんたま付き≠ニのことで、温泉玉子も載っているじゃないですか! 豪華ですねぇ!
 大皿へ広がるカレーの海、浮かぶ牛肉の島、とろけるチーズの波。暖房の利いた店内、ちょうど日の当たる席で、心地好い南国情緒に浸ります。陽射しに照り映えるカレーをそっと一口……、美味い!
 胸によみがえる思い出に包まれ、独り過ごすカウンター。ほんのしばらく、ささやかな幸福感を充分に味わうことが出来ました。お腹も満たされ、冷たい水をクーッと飲み干し、ひとときの安らぎを締め括ります。
 さて、日常へ戻るとするか――。

 あっ、そうそう。昨日は七草粥の歌を先取りで詠みましたが、今日がほんとの七日正月ですね。今年は愛媛県西条産の七草パックで、妻がお粥を作ってくれました。その画像を、以下に添えておきましょう!
(七草が青々としていないのは、米といっしょに炊飯器で炊いたためです。これは緊急措置でして、早朝に出掛ける私が一人で先に食べられるよう、昨夜のうちに妻がセットしておいてくれました。七草を煮過ぎてるとか、言わないでね! 自分にとって、これも一つの思い出になりますねぇ……!)



平成30年1月6日(土)

        七 草 汁 粥


 芹 繁縷 仏の座

 揃ひ得ゐむを 重湯にす

 七日正月 笑み食ぶる

 良き一年 忠実であれ


       せりはこへら ほとけのさ
       そろひえゐむを おもゆにす
       なぬかしやうくわつ ゑみたふる
       よきいちねん まめてあれ


 明日は五節句の一つ「人日(じんじつ)」です。『角川俳句大歳時記』の解説によると、
《元日=鶏日、二日=狗日、三日=猪日、四日=羊日、五日=牛日、六日=馬日とし、七日は人を占い、人を尊ぶ日と定められた。人勝節などともいい、中国の前漢時代に定められた日という。元日から六日まで、天候によりその年の禽獣や農作物が豊かかどうかを占い、七日は人の世界の運勢を占ったらしい。》
 この日に七種の菜を入れた粥を食べて祝ったことが現代に引き継がれている、とのことです。いわゆる「七日正月」ですね。これを歌に詠んでみたわけですが……。
 仮名の制約上、七草全部は詠み込めないので、「なづな(薺)」「すずな(菘)」「すずしろ(蘿蔔)」をまず却下。「なぬかしやうぐわつ(七日正月)」の語を入れたかったので、「ごぎやう(御形)」も断念、そのうえ「かゆ(粥)」も「おもゆ(重湯)」になってしまいました。重湯だったら七草自体は食べられず、エキスを吸うだけになりますね(苦笑)。
 尚「はこべら」については、本当は草冠に「繁」と書く漢字と、草冠に「婁」と書く漢字、以上二字を使いたかったのですが、ネットでは使用できない文字らしいので、やむなく別表記「繁縷」で代用しています。草冠の熟語のほうが植物らしく見えるのに……、残念!
 最後に、過去三年間に我が家で食べた正月七日のお粥の画像を以下に添えました(あ、上の画像は六年も前の、平成二十四年のものです)。毎年同じように祝っているつもりが、こうして並べてみると、年によってだいぶ風情が違いますね。
 それにしても、現在は生野菜パックやフリーズドライで春の七草が買えるんですよねぇ。便利になったものです。

  
平成27年/フリーズドライ七草使用       平成28年/生野菜七草パック使用

  
平成29年/大根と水菜の二草粥           福岡県産博多七草   



平成30年1月5日(金)

        知 床 直 送


 海を成しける 悦びの

 赤き粒ぞや イクラ丼

 大盛り据ゑ 夢増せば

 胸に幸得て 我食べゐぬ


       うみをなしける よろこひの
       あかきつふそや いくらとん
       おほもりすゑ ゆめませは
       むねにさちえて われたへゐぬ


 伊丹市鴻池のオアシスタウン内にある「北海道レストラン 知床漁場」伊丹店へ行って来ました!
 お目当てはイクラ丼です! 丼一面に泡立つ赤い海が広がっていました!! 1杯1,980円也(レギュラーとハーフがあって、ハーフ盛りは1,280円。レギュラーと言っても、大盛りに等しいです)。めっちゃ美味しくて、もう大満足です! 久々に、心の底から幸福感に浸ることが出来ました。
 いっぺんで大大大好きになってしまい、お代わりを頼もうかと思ったくらいでしたが、そこはぐっと我慢です。何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。腹八分目。まだ食べたいと思うところで止めておくのが賢明と、妻にたしなめられました。ごもっとも。
 ところで「イクラ」というのはロシア語なので、外来語として本来はカタカナ表記が良いのでしょう。このお店では、ランチとして「イクラ丼」、一品として「こぼれいくら丼」という、二つのメニューがありました(でも値段は同じなので、単に盛り方の違いだけなのでしょうか? 今度聞いてみよう)。
 一般的に、ひらがなは柔らかい印象を受けるため、「いくら」と書いたほうが魚卵の丸みや軟らかみを印象づけることが出来ます。それに比べてカタカナは少し硬いイメージですが、目立った特別な印象を与えることが出来ます。「イクラ」と「いくら」、両方あって面白いですね。
 それにしても……。今度はいつ食べに来られるかと、ついついそればかり考えてしまいます! 芥川龍之介の「芋粥」を自戒としたいと思います(笑)。



平成30年1月4日(木)

        豪 華 折 詰


 夕飯買へり 我笑みぬ

 良きネタ用ゐ 成せる鮨

 大とろ愛でつ 雲丹 いくら

 鮭 甘海老を 好むぞや


       ゆふはんかへり われゑみぬ
       よきねたもちゐ なせるすし
       おほとろめてつ うにいくら
       さけあまえひを このむそや


 華やかな和食というと、やはり定番はお寿司でしょうか。
 昨夕そのお寿司「大とろ・中とろ入り盛合せ」を食べたので、それを歌に詠んでみました。寿司ネタを多く詠み込みたかったので、頭の中で「おほとろ」「うに」「いくら」「さけ」「あまえび」に仮名の重複が無いことを何度も確認しました。昨日食べた中に「甘海老」はありませんでしたが、まぁ言葉の綾ですね(笑)。
 ところで「すし」には「寿司」「鮓」「鮨」と、漢字表記が三つあります。その違いについて調べてみました。小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、
《鮓は「漬け魚」すなわち塩・麹や糟で漬け込んで醸した魚、鮨は魚醤[うおびしお](塩辛の類) の意味をもつ語である。「寿司」は江戸時代の中ごろになって好字をあてたものである。》
 これは、スシの歴史に関わる話ですね。つまり、元来スシとは「魚だけを食べる副食物」で、保存食だったわけです。現在のスシとはかなり違うので、厳密に言うと、酢飯に刺身を載せて食べるスシに「鮓」「鮨」の字は当てはまらない、ということでしょう。
 私自身は「寿司」「鮓」「鮨」を、漢字の見た目で次のように使い分けています。
「寿司」は寿≠フ字が表すような、おめでたい<Cメージ。
「鮓」は漢字が酢≠ニ似ていることから、酢飯≠ニしてのイメージ。また、作≠ニも似ていることから、料理という作品≠ニしてのイメージ。つまり、職人の技が光るイメージ。
「鮨」は旨≠フ字が表すような、旨い食物≠ニしてのイメージ。それに魚の新鮮さがプラスされ、どちらかというと、素材そのものの良さに重点を置いたイメージ。
 というわけで、今回の一首は寿司ネタの良さを表現したくて、あえて私流に「鮨」の字を使用しました。「寿司」や「鮓」では、微妙に印象が違ってくると思います。



平成30年1月3日(水)

        正 月 運 動


 ラケツトを持ち 羽根追うて

 冷えさへ忘る 汗滲む

 振り急ぐやな この身揺れ

 また蹌踉めきぬ 笑顔居ん


       らけつとをもち はねおうて
       ひえさへわする あせにしむ
       ふりいそくやな このみゆれ
       またよろめきぬ ゑかほゐん


 昨日、親戚の子と一緒に公園でバドミントンをさせてもらいました。
 お正月らしく羽根突き≠セなんて言いながら、軽く遊ぶつもりだったのが、いつの間にか親のほうが真剣になってしまいました。いくらか暖かい日だったとはいえ、ちょっと動いただけで額から汗が滴る始末です。私も子供の頃は庭でよく打ち合いをしたものですが、大人になってからはほとんど経験がありません。老若男女を問わず気軽に出来るスポーツですが、いざ勝負となると、かなりハードな球技ですね。
 さてその「バドミントン」の語。そのままでは「と」と「ん」の字が重複し、和名の「羽球(うきう)」に直しても、今度は「う」の字が重なってしまいます。それなら行動を言うしかないと思い「ラケツト」「はね」の語を用いました。色々苦労しましたが、自分としては、バドミントンの様子がわりと巧く表現できたと思っています。



平成30年1月2日(火)

        二 日 郷 愁


 一富士 二鷹 三茄子

 初夢 ごろ寝 我笑みぬ

 魚ら泳ぐ瀬 染むる野辺

 遠山燃えて 秋居けり


       いちふしにたか さんなすひ
       はつゆめころね われゑみぬ
       うをらおよくせ そむるのへ
       とほやまもえて あきゐけり


 お正月らしく、初夢を題材に一首詠んでみました。
 初夢に見ると縁起が良いとされる「一富士二鷹三茄子」については、小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』に諸説詳しく解説されています。それによると、

 @ 駿河の名物を「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」とする説
 A 徳川家康があげた駿河の高いもの「一に富士、二に愛鷹山、三に初茄子の値段」とする説
 B 富士は高く大きく、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」に通じて縁起が良いとする説

 などが挙げられていました。@については、富士も扇も末広がりで、鷹と煙草の煙は高く昇る、茄子も座頭(頭髪を剃った盲人)も毛が無いから「怪我無い」に通じて縁起が良い、という俗説をどこかで聞いたことがあります。面白いですね。
 旺文社『成語林 故事ことわざ慣用句』(尾上兼英 監修) には、「富士」は「不死」に通じるので不老長寿を、「鷹」は「高・貴」と訓が共通するので出世栄達を、「茄子」は実がよくなる野菜であるところから子孫繁栄を意味する≠ニいう説も載っていました。不老長寿、出世栄達、子孫繁栄、ですか……。四字熟語が三つも並ぶと、かなり印象が強いですね!
 さらに、東京書籍『雑学大全』(東京雑学研究会 編) では三大敵討説も紹介されています。富士の裾野の曽我兄弟の敵討、主君浅野(家紋が鷹の羽)の無念を晴らす四十七士の吉良邸討ち入り、そして伊賀上野の「鍵屋の辻」の敵討。鍵屋の辻については、「茄子のへたのいが越(伊賀越え)」の洒落だそうです。茄子のへたにイガイガ(とげの密生した外皮)がありますよねぇ。それを「伊賀」に引っ掛けたわけですね(ほんとかよ!?)。本書には「しかし、この三つの敵討を初夢に見て、何がめでたいのかは、いっこうにわからない」とありました(笑)。まぁ本懐を遂げる≠ニいう意味で、おめでたいのでしょう……。
 色々調べ出すとハマっちゃって、時間を忘れてしまいました。
 最後に、以前にも同じ趣向で作った新いろは歌があったので、二首添えたいと思います(一首目は平成九年五月十八日詠、二首目は平成二十三年十一月二十四日詠)。

   一富士 二鷹 三茄子     いちふしにたか さんなすひ
   粟を濡れ手や ぼろ儲け    あはをぬれてや ほろまうけ
   笑みゐる眠り 夜の遅く    ゑみゐるねむり よのおそく
   笑へど雪後 夢も消え     わらへとせつこ ゆめもきえ

   一富士 二鷹 三茄子     いちふしにたか さんなすひ
   初夢を受く 我笑みぬ     はつゆめをうく われゑみぬ
   明けの空燃え 居家で起き   あけのそらもえ ゐやておき
   胸迫るほど 喜べり      むねせまるほと よろこへり



平成30年1月1日(月)

        戌 年 満 帆


 海温和にて 虞れ無き

 犬も吠えゐる 直ぐ初日

 夢や幸載せ 宝船

 年明け笑まむ 慶べり


       うみをんわにて おそれなき
       いぬもほえゐる すくはつひ
       ゆめやさちのせ たからふね
       としあけゑまむ よろこへり


 今日から新しい年です!
 昔から「一年の計は元旦にあり」と言います。「元旦」すなわち元日の朝≠ニいうのがミソですね。日が高くなると気持ちも緩んでしまいます。そう思い、目覚めるとまだ暗いうちに寝床で苦吟し、起きるまでにこの戌年の歌を作りました。おかげで初日の出は見られなかったけれど、自分としてはまず充実した朝を迎えることができました。
 平成三十年も頑張って一首でも多く、新いろは歌を詠みますよ!
 というわけで、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 ちなみに上の画像は、私が中学生の時に作った切り絵をさきほどケータイで撮影したものです。子供の頃から七福神や、宝船が大好きでした(笑)。



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