出来立て!今日の一首
〜平成三十年二月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜
2018/ 2/1 2/2 2/3 2/4 2/5 2/6 2/7 2/8 2/9 2/10 2/11 2/12 2/13 2/14 2/15 2/16 2/17 2/18 2/19 2/20 2/21 2/22 2/23 2/24 2/25 2/26 2/27 2/28
平成30年2月28日(水)
有 終 之 候
おやまゑみゐぬ ふゆされり
うめほころひ はるのなす
むねへそかせえ きもちよけ
にくわつしんとて いをあらた
昨日、今日と、いっぺんに暖かくなり、本格的な春の到来を実感しています。
今日は二月の終わり、俳句の季語で言うところの「二月尽(にがつじん)」です。『角川俳句大歳時記』には、
《梅見の盛期で、各地の梅林は人で賑わう。街の花壇は葉牡丹から三色菫に変わり、歩道を歩く女性の春の装いも本格化する。山はまだ枯色だが、足許には草が萌えそめ、いぬふぐりが咲き、土筆や蕗の薹が顔を出している。》
という、情緒ある解説が見られます。季節を感じ、心がほっと落ち着きました。
さらに、ワニ文庫『緊急電話はなぜ119、110なのか? 数字の謎が解ける本』(武内一平取材班 著) では、古代ローマ人は三月を一年の始まりと考えていたこと、当時は農耕が生活の基盤であったため、種を蒔く春を年初の月と決め、作物の生長に合わせて暦を作ったこと、植物が育たない冬場の一月・二月は暦から除外されていて、のちに暦に加えられたことなどが説明されています(「2月が閏月になってしまったのは?」の項)。つまり、二月は一年の最後の月だったわけです。
そして明日から、いよいよ年初の℃O月です。何かと慌ただしい時期ながら、今が本来の節目、芽吹く春の始まりと考えると、なかなかに味わい深い「二月尽」です。
平成30年2月27日(火)
面 影 之 道
ゆふやけにそめ あかとんほ
ゑみゐをさなし おもひてよ
わすれえぬろち うはくるま
こねむらせたり のへいきつ
今朝目覚めた時、どういうわけか童謡「赤とんぼ」(三木露風 作詞) が浮かんで来ました。
夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か……≠ニいう、あの歌です。そこから私自身の幼年時代へ想いが飛び、蒲団の温もりに浸りつつ、とても懐かしい気持ちになりました。
今日の歌題はこれだ! そう心に決め、さっそく苦吟に入ります。
「ゆふやけ」「あかとんぼ」「をさなし」「おもひで」と単語を拾ってゆくうちに、ふと「うばぐるま」の語がひらめきました。
思い出す一番古い記憶といえば、二歳頃でしょうか。晩、乳母車に乗せてもらい、町の灯りや自動車を見に連れて行ってもらったのを憶えています。昔のことですから、家の周りは田畑ばかりで、車は滅多に通りません。自宅から少し離れたバス通りや、もっと大きい道路まで、走る車をわざわざ見物に行ったのです。幼い私は車のことを「ブーブー、ブーブー」と言って喜んだそうです。遠くに灯るお店のネオンなど、青い灯を見るのも好きだったと聞いています。そう言われれば……夜の灯りがなんとなく目に浮かぶ気がします。あとから作られた記憶かもしれません。しかし、私は間違いなく愛情に包まれていたんだなぁと思うと、胸の中に温かさと懐かしさがあふれてくるのです。
新いろは歌第四句目「子眠らせたり 野辺行きつ」の「子」とは、当然私自身のことです。
「眠らせたり」の主語は「乳母車」(擬人法) でしょうか。あるいは乳母車を押す「母」(省略法) でしょうか。いずれにせよ、大人になった現在の私が、赤ん坊の時の私を客観視する形となりました。幼少の自分は今も胸の中で生きている、そんな気がしました。
平成30年2月26日(月)
四 温 感 触
てふくろせぬに われゑみゐ
あさこちよけや かんゆるむ
はなおほいうめ そのえたへ
まひしとりきつ ねをもらす
今朝、自転車通勤中に踏切で止まった時、ふと手袋を脱ぎました。風を受けても手が冷たくないことに気付いたのです。そういえば、夜明けの時刻もだんだん早くなっています。ほんとに春が来たんですね!
先日来、あちこちで咲く梅の花も見ました。紅梅、白梅、黄梅、薄紅梅。神社、公園、民家の塀越し、マンション脇……。早春を彩る、一輪ほどの暖かさ。
今日は、この手袋≠ニ梅≠ワンセットで詠んでみようと思い立ちました。ちょうど親子丼とミニそばがセットになったような感覚ですね。二つのお題が調和すると、ちょっと得した気分です。創作過程ではどうもしっくりいかずに苦労したけれど、自分としてはまあまあ気に入った出来となりました。
四句目「舞ひし鳥来つ 音を漏らす」は、早く鳴いてほしいという願望です。昨日、公園の林で鴬を真似て口笛を吹き、樹の枝に留まっていた鳥(何の鳥かは知りません)にホーホケキョと呼び掛けたら、全く無視されてしまいました。まぁ、そりゃそうでしょうね……(笑)。
平成30年2月25日(日)
山 盛 宝 石
さてめにゆうひろけ おせきへゐ
わかむねもえ そのしなを
いくらとんや つふあまた
はちよりこほれ みすゑぬる
いやぁ、もう見ただけで嬉しくなってしまいますねぇ!
北海道レストラン知床漁場(伊丹店)の「こぼれいくら丼」です!! この盛付け、こぼしてあるところがミソですね。山盛りであふれ返って、贅沢感満点です。目にも御馳走、ほんとに素晴らしいですよ!
美味しさについては、もはや言うまでもありません。食べ応え充分、思わず満悦の吐息が漏れます。食後、旨味の余韻に浸りきることなど、滅多にありませんからねぇ。イクラ好きにはたまらないメニューです。
ここの「イクラ丼」を初めて食べたのが、正月五日。今回(昨日の昼)は三度目の来店ですが、「こぼれいくら丼」については初体験だったのです! だからこのこぼれ°合にいたく感じ入りました。
ところで、二つあるメニュー、片仮名の「イクラ丼」と平仮名の「こぼれいくら丼」の違いについて、前回、若い女店員さんに尋ねてみたところ……。
「さぁ……」という、少し困ったような笑顔が返って来ました(笑)。
「イクラ丼≠フほうは、みそ汁が付いてるんですけどねぇ……」とのことです。
あくまでも私が賞味した感想としては、「イクラ丼」のほうが粒が硬めでぷちぷちとした食感が強く、「こぼれいくら丼」のほうは軟らかめで滑らかな味わいでした。前者のイクラのほうが新鮮だった気がします。実際はどうか知らないけれど、「こぼれ…」のほうは冷凍保存かな……、と。
その片仮名の「イクラ丼」、今はもう売切れのようです。シーズンが終わったのでしょう、ウニ丼、ウニ・イクラ丼、北海親子丼、北海三色丼とともに売切れ御免≠ノなっていました。ちょっと残念ですが、次の秋には当然復活するでしょうね!
平成30年2月24日(土)
朝 間 之 帳
きりにそのまれ みわたすち
せかいしろやな こゑあらぬ
おもひはとほく けんさうへ
ゆめをよふむね えつてゐる
去る二月二日の朝霧を、今日ようやく新いろは歌に詠みました。一度詠みたいと思いつつ見過ごしにした事柄は、いつまでも頭の片隅に残ります。私の生活圏ではほとんど体験することのない霧≠ニいう珍しい現象を、どうにかこうにか表現できて良かったです。
ところで「霧」と「霞(かすみ)」はどう違うのか、ふと気になりました。『広辞苑(第六版) 』で「霧」を見ると、
《古くは春秋ともに霞とも霧ともいったが、平安時代以降、春立つのを霞、秋立つのを霧と呼び分ける。》
と書かれていて、そもそもの違いがはっきりしません。なぜ春が霞で、秋が霧なのでしょう……。
他の辞典や歳時記などでも調べたてみたところ、『講談社版 カラー図説 日本大歳時記 座右版』に、その明確な説明がありました! 「霞」の項に、
《霞の本意は、語源的に見ても、微かで仄かな現象》で、《濃霧や濃い煙霧(スモッグ)は、霞ではない。》
《気象学では視程一キロ以下のものを霧と言い、霧の薄いものが霞だと決めている。霞は気象用語には使わない。》
《霧と言えば目の前に深く立ちこめるが、霞は遠く微かなもの、ほのかなやさしい感じのものである。》
と述べられています。だから、優しい気持ちになる春が「霞」、愁いに閉ざされる秋が「霧」なのだな、そう思いました。さらに、
《「たちのぼる」は霧、雲に言うが、霞には言わぬ。そして「たなびく」は霞、雲に言うが、霧には言わない。》
という、表現の違いも指摘されています。なるほどね。確かに「たちのぼる」は濃い、勢いのある、近景のイメージ、「たなびく」は薄い、ゆっくりとした、遠景のイメージ、と言えそうです。
なかなか繊細な感覚ですね――。とても良い勉強になりました!
平成30年2月23日(金)
牡 丹 夕 餉
まあほおとうふ にえけるを
れたすへもりぬ はんかのせ
むねてゆめさく いろなしつ
わらひこゑみち ゐやそよき
昨日の夕食は麻婆豆腐でした。
皿の上に新鮮なレタスを敷き詰め、その上に麻婆豆腐が盛ってありました。てっぺんにはプチトマトが一つ。「お花にした」という妻の言葉に、なるほどとうなずきました。
これはまさしく牡丹≠ナすね。食卓に置くと、やっぱり大きな牡丹の花に見えます。
新いろは歌にしなければならない! 即座にそう感じました。
トマトは別名で「ばんか(蕃茄)」と言い換えよう。豆腐は現代仮名遣いと同じ「とうふ」で良かったよなぁ。そんなことを考えながら、ほろ酔い機嫌でゆったりとご飯をいただきました。
食べ物の話題というのはいつも楽しいですね。おいしい物を味わうと、しぜんに歌が詠みたくなります。今回は目で味わう≠ニいう視覚効果が創作意欲を刺激しました。昨夜苦吟しつつ床に就き……。
今日、寝覚め一番にまとめ上げた一首です。
平成30年2月22日(木)
菜 乃 花 哉
あめもゆやけか いりひせに
ちへなたねむれ おほろつき
まことはるらし てうわをえ
よさふそんのく みすゑゐぬ
与謝蕪村と聞いて、第一番に思い出すのが「菜の花や月は東に日は西に」の句です。
桜楓社『俳句辞典 鑑賞』(松尾靖秋、堀切実、楠本憲吉、伊吹一 編) によると、この句は安永三年、蕪村五十九歳の時の作だそうです。また、句の背景には陶淵明「雑詩」其二の、
白日淪西河 白日は西河に淪(しづ)み
素月出東嶺 素月は東嶺に出づ
遙遙万里輝 遙遙たり万里の輝き
蕩蕩空中景 蕩蕩たり空中の景
があったのではないか、との解説もありました。さらに、蕪村には菜の花の句が多いことが指摘され、他に「菜の花や摩耶を下れば日のくるゝ」「なのはなや昼ひとしきり海の音」「菜の花や鯨もよらず海暮ぬ」「菜の花や皆出払ひし矢走舟」の句が挙げられています。そうかぁ、蕪村も菜の花が好きだったのか、と思うと嬉しくなりました。
「……それから、別の鑑賞の仕方もあるんだ……つまり、この俳句は、地球と月と太陽をいっぺんに詠み込んだということで、日本人の宇宙観を表わしているという解釈もある……いずれにしても、俳句はわずか十七文字の中に、人生観や宇宙観を謳い込むという日本独特の文学であるわけだ……」
一九八三年公開の角川映画『時をかける少女』(原田知世主演、大林宣彦監督作品) では、このような解釈も紹介されていて、非常に印象深かったのを覚えています〔尚、上記の台詞は角川文庫『シナリオ 時をかける少女』(筒井康隆原作、剣持亘脚本) から引用しました〕。
これらのことを踏まえた上で、何とか新いろは歌にまとめてみました。その際、「よさぶそん」の名前は必ず詠み込み、本元を明記しようと考えました。しかし、苦労したわりにはパッとしない出来ですねぇ……。いやはや、三番煎じかなぁ?(苦笑)
平成30年2月21日(水)
昨 日 之 空
しゆんけいなす えとへゐて
ゑのやうにめつ かせぬくき
おほそらまさを はれわたり
よろこひもみち むねあふる
朝から曇天でしたが、午後は少し日が差しました。まだ薄ら寒いけれど、心の中はもうすっかり春です。冬からの解放感に、ほっと気持ちも和みます。
この時季、いつも思い出すのが与謝蕪村の句「凧(いかのぼり)きのふの空のありどころ」。
江戸時代の真っ青な空。一筋の糸を頼りに悠々と飛ぶ凧。何物にも囚われず、自由に風を受け、夢を描き、天空へ身を任せる。自分の気持ちがその凧に投影されているのでしょう。
凧とは、我々人間の姿です。運命というしがらみはあるものの、その一筋の糸が我々を生かすのです。
糸とは玉の緒、すなわち命のことでしょう。糸が切れたら、無常の彼方へ消えてゆく。儚い存在でありながら、昨日も、今日も、そして明日をも生きてゆく。
飛び続けることが、存在の証しなのです。大空を舞うことが、自己表現なのです。
昨日、確かに私は存在した。そして今日も、こうして私は存在している。明日も。
糸の切れた凧となって、いつ消えるかも分からない。しかし、私は大らかに今を生き続ける……。
深読みしすぎかもしれません。今日はどういうわけか、句の意味をこんなふうに解釈しました。
胸いっぱいに江戸の青空を感じつつ、ふと思います。凧のように生きたい――、と。
平成30年2月20日(火)
一 転 充 足
かまにえぬゆゑ めしのない
けさよろこへす あせるわれ
きうとんやをそ たつねゐて
おほもりくふひ はらみちむ
一昨日の夜のことです。
いつも朝起きてから炊飯器のスイッチを入れていると妻から聞いたので、なんだ、それならタイマーにすればいいじゃないかと言ったのです。すると妻は、タイマーは使わないと答えました。理由を尋ねると、以前、タイマーをセットしたのに作動しなかったことが二回ぐらいあったので、また炊けなかったら困ると言うのです。そんな馬鹿な! 故障?
そこで今度は私が時刻を設定し、セットしてみました。べつに異常は無いようです。なんだ、これでいいじゃないかと、眠りに就きました。
翌朝、炊飯器の蓋を開けると、水の中に米が泳いでいました! なぜだぁぁぁぁぁ!?
よく調べてみると、タイマーは正常だったのです。馬鹿ですねぇ、現在の時刻が間違っていたのです……!(苦笑) 炊飯器の時計が十二時間程ずれていることがわかりました。そりゃあ炊けんわ(大笑)。
出勤前の慌ただしい時間帯、急いで牛丼店へ飛び、優雅に牛あいがけカレーの大盛をいただきました。
わずか十数分の、心和むひととき……。二十四時間営業というのは、ほんとにありがたいですね!(笑)
平成30年2月19日(月)
餡 麺 麭 人
むねにゆめみち そらをこえ
まろきはんの くわいけつよ
あすしれぬひと うゑゐるや
かほたへさせて おもふなり
サンリオ出版『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』(やなせ・たかし著 昭和五十二年二月刊) は、現代社会の矛盾を追及した皮肉たっぷりの大人向け小説で、時々説教的な解説が入るところが非常に興味深く、面白かったです。また、その内容はメルヘンなのに妙に現実的で深刻で、その点、子供向けの愉快なアンパンマンとは大違いです。腹ペコの人を救うという設定は同じながら、状況はもっと切実です。
「今は時間が足りないんです。早くいかなくちゃいけない、子供たちが死にかけています」
そうして怪傑≠ヘ、悲痛な思いで世界中の空を飛び回るのです。
ここに見る本来のアンパンマンは、決してかっこいいヒーロー≠ニしては描かれていません。
《ヨタヨタととびあがった》
《アンパンマンの顔はほとんど喰べつくされて首なしになっていた》
《そしてマントはズタズタに破れて、まるでボロキレの旗のようになっている》
《身体はヘトヘトに疲れていた。果して日本まで飛べるだろうか》
《例によってひどく格好わるく、おっこちそうになってよちよち飛んでいる》
この弱さや不格好さこそが、アンパンマンへの愛おしさを募らせるのでしょう。頑張れアンパンマン! そう応援したくなるのです。
「なにしろ首はないし、マントに包まれた全身は潮水の為にグシャグシャに崩れていて、パンになる前の溶かしたメリケン粉のような状態になっていました」
そんな瀕死の状態からも甦った、奇跡のアンパンマン。もう語られることはないのだと思うと、淋しい気持ちでいっぱいです。
平成30年2月18日(日)
可 愛 小 片
きやらくたあの かまほこなと
わそはへいれ よけゑんて
おもしろみをえ ゆるりゐむ
ねつさめぬうち せひにすふ
昨日の晩は、家で蕎麦を食べました。
丼を手渡してくれた妻が「驚かないでね」と言うので、何のことかと思ったら、麺の上にバイキン、いや、ばいきんまん≠ェ三つも載っているじゃありませんか! ははぁ、アンパンマンのキャラクターかまぼこかぁ……。あとから主役も一つ、ちゃんと登場しました(笑)。
それにしても、昨今はどこもかしこもアンパンマンですね。アンパンマンはもはや、子供の日常生活とは切り離せない存在になっています。我が家の中を見回しても、絵本、DVDはもちろんのこと、カレンダー、カップ、皿、クッキー缶、ゼンマイ仕掛けの歩く人形、ラッパ、ポシェット、リュックサック、キャリーケース、パジャマ、スリッパ、靴、靴下、風呂の腰掛けに至るまで、そっちもこっちもアンパンマンですよ!
アンパンマンといえば、思い出すのは昭和五十年から五十一年頃の雑誌連載です。サンリオの「詩とメルヘン」に掲載された当時は『熱血メルヘン 怪傑アンパンマン』と題する大人向けの小説でした。ジャムおじさんのパン工場が悪徳業者によって買収を迫られ、立退きに応じないからといって強制的に爆破されてしまうのです!
「もうそれだけではがまんできない。ぼくは人間じゃない。パン粉の頭ではなんにも考えられない。それでもぼくの胸の中は怒りのためにはりさけそうだ。
ぼくはあいつらをやっつけたい。
いくらアンパンでも、もうぼくはがまんできない。」
アンパンマンとは、そういう怒りと苦悩に満ちた、非常に人間臭い小説でした(なんせ熱血メルヘン≠ナすからね)。私は子供心にも、そんなアンパンマンに心酔しました。作者やなせ・たかし氏が「第一部 誕生篇」のみで執筆を中止してしまったことが、未だに残念でなりません。もう永久に幻≠ニなった「第二部 冒険篇」を、是非とも読んでみたかった!!!
平成30年2月17日(土)
海 老 鮪 丼
まくろあほかと ねきしらす
えひをものせむ こはんなり
おちついてたへ よさうるに
ゆふやけそめゐ われゑみぬ
今日のお昼は妻が海老やアボカドの入った鮪丼を作ってくれました。それを食べながら、頭の中ではしぜんと具材を仮名に置き換えていました。「まぐろ」「アボカド」「えび」「ねぎ」そして「しらす」、さらに「ごはん」。ここまでで、仮名が一つも重複しないんですよ! これほど完璧に詠み込めるなんて、素晴らしい偶然の取合せ、ほんとに驚きです。食後、筆記具を執ってすぐさま仮名埋め作業を進め、十五分程ですらすらと上記の新いろは歌が完成しました。波に乗る≠ニいうのか、久々の快感でした。
ただ、「夕焼け染めゐ」の部分は少し引っ掛かりました。昼食のはずが、いつの間にか夕食なってしまったなぁ……と。「け」「そ」「ふ」「め」「や」「ゆ」「ゐ」の仮名が終盤まで残ったので、そのまま「ゆふやけそめゐ」にしたわけです。でも、まぁいいやと割り切りました(笑)。べつに事実そのままを詠む必要はないですからね。夕焼けのほうが、情景としては綺麗ですよねぇ? 怪我の功名……と言えるかな?
それはともかく、葱しらすがけアボカド入り海老鮪丼≠ヘ、もちろん美味しかったです! ごちそうさまでした(笑)。
平成30年2月16日(金)
竜 宮 馳 走
よきなおもふに むねへえつ
われうまさをや ほたるいか
しゆんのひみそ くちてはせ
ぬめりとろけゐ こゑあらす
昨夕、初物のホタルイカを賞味したので、こりゃあ一首詠まねばと思ったわけです。
ビールにギョーザにホタルイカ、晩酌としては最高ですね。パックで買った塩茹でのホタルイカには、たいてい酢味噌が添えてありますが、私は何も付けずにそのまま食べるのが好きです。素材そのものの微妙な風味が酢味噌の甘味で消されてしまう気がするのです。もちろん、酢味噌が悪いというわけではありません。まぁ、そこは好みの問題ですね。
さてそのホタルイカ。カタカナで「ホタルイカ」と書くと、なんだか味気無く見えませんか? 単に私の思い込みでしょうか。「螢烏賊」と書くほうが、より新鮮に、滋味たっぷりに感じませんか? ホタルも新字体の「蛍」ではなくて、旧字体の「螢」が良いと思います。「蛍」は蛍光灯のような無機質なもの、「螢」は自然そのままの生き生きとしたもの、そんな印象を受けるのです。「螢」は「火」が二つも踊っているから、人工ではない命の躍動≠感じるのかもしれません。
竜宮の使者と呼ばれ、海面を青白く光らせて群游するのは、やはり「ホタルイカ」ではなく「螢烏賊」でしょう! ついついそんなことを考えました。
平成30年2月15日(木)
南 風 到 来
はるあさいころ かせつよう
ぬくみをおほえ ゑまふやな
ゆめのきもちす ゐしわれに
ひそてりむねへ とけたらん
昨日、朝日放送『おはよう朝日です』で春一番≠フ定義について説明していました(毎年のことながら、はっきりとは知らないので、きちんと聞いておきました)。それによると、
@ 立春から春分の間
A 日本海に低気圧
B 南よりの風8m以上
C 気温が平年を上回るか前日よりも上がる
この四つの条件が揃うと、気象庁により春一番と認定されるそうです。昨日の風の予想では、その春一番が近畿地方に吹く可能性があると言っていたので、それを題材に一首詠もうと考えました。
しかし結果としては、近畿地方には吹かず、北陸地方、中国地方、九州北部地方で春一番が発表されたとのことです(昨日現在)。
歳時記などでも調べてみました。「一気に荒々しく吹きまくる」「フェーン現象による大火事や海難事故などの災害のもととなる」(『角川俳句大歳時記』) とあるように、春一番とは、いわば警戒を促す意味で用いられた言葉のようです。春一番と聞いただけで私などは、ただもう嬉しくなってしまうけれど、そう呑気に喜んでばかりはいられないのですね。
今では気象用語としてすっかり定着していますが、「能登・志摩以西、あるいは壱岐の島の漁師たちが言っていた風の名」で、「気象台役人が作り出した机上の言葉でなく、前から漁師たちに使われていた風の名を採用したものだから、生活用語としての自然さがある」(『講談社版 カラー図説 日本大歳時記 座右版』) 馴染み深い言葉です。「桜の咲くまえに、春二番が吹き、春三番、時には春四番ぐらいまでもある」(同・講談社版) らしいですね。
平成30年2月14日(水)
去 年 今 年
さむうひろかり おほそらを
みあけつゐて としのせや
ねんないはるたち こゆへくも
すゑきめえぬに われまよふ
旧暦では、明日が大晦日、明後日がいよいよ年明けです。
そこで、在原元方の歌「年のうちに春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ」を題材に、一首詠んでみました。しかし、私が作った新いろは歌は出来映えが今一つですね(苦笑)。舌足らずだし、変に理屈っぽくなってしまいました。
寒々と広がる大空を見上げながら居る、年の瀬だなぁ。年内に立春が来たので、年を越えるべきところだが、年の末がいつであるかを決めることが出来ないので、私は迷っている……。
一応、そういう意味のことを述べたつもりです。苦しい表現ですね。
その点、本歌「……去年とや言はむ今年とやいはむ」はさすがに軽妙です。正岡子規は「呆れ返つた無趣味の歌」(歌よみに与ふる書) と酷評しているようですが、私は遊び心≠フ感じられる楽しい歌だと思います。春が来た喜びをそのまま言い表すのではなく、一旦冷静に受け止め、その上で陽気に浮かれる様を演出しているのでしょう。
私が二十数年前に買った参考書『要説 万葉・古今・新古今 付 古典名歌』(日栄社編集所 著) は《歌が心の中の叫びではなくて、知的に遊戯的に扱われるようになっている特色をよく表している》とあり、《いい意味にも悪い意味にも、古今集の巻頭にのせるのにふさわしい歌である》という意味がよく解りました。
平成30年2月13日(火)
春 節 福 食
いまみんちを ねるあとて
なほうすかはへ こめもせむ
ふそろひゆゑに たのしけや
きよおさつくりえ われらゐぬ
先日の立春で、昔の暦でもすっかり年が改まったように錯覚していました。しかしそれは、いわゆる年内立春≠セったんですね……。旧暦では、立春の前に正月になるか、立春の後に正月になるかが毎年違うため、季節と暦とのズレにはやはり違和感を感じてしまいます。
よく言われるように、「年のうちに春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ」(古今和歌集、在原元方) 、まったくその通りですよ。
今日二月十三日は、旧暦ではまだ去年の十二月二十八日ですから! まだこれからが旧正月≠ネんですねぇ……!
さて、春節を盛大に祝う中国では、お正月には家族で一緒に餃子を作って食べる習慣があるそうですね。我が家もそれに習い、昨日は手作り餃子で一足早く旧正月を祝いました。妻が餃子の皮や具を一から作り、子供も手や顔を小麦粉で真っ白にして手伝って(笑)くれたようです。私が帰宅すると、全て準備は調っていました。私自身は餃子の形に包む作業を少し手伝っただけで、最初は少し面倒だなと思ったけれど、やってみるとそれなりに楽しかったです。餃子の形、不揃いなところが好いんです!
春節に餃子を食べる由来については、あれこれネットで検索してみると、いろいろな説が紹介されていました。
まず、餃子の形が「元宝」という中国の昔の貨幣に似ていることから金運に恵まれる∴モ味があるそうです。
また、「餃子」という字面や「チャオズ」という中国の発音が「交子」に通じるため、子の刻(夜の十二時)に年が改まるという「更歳交子」の意味と、子供を授かる「交子」の意味があるとのことでした。
それにしても……。新暦一月も新春、二月四日が立春、二月十六日が春節、まさに春真っ盛りですね!
兎も角も、目出度い事は良い事です。
平成30年2月12日(月)
手 作 鮪 丼
かいせんふうそ ねきまくろ
とひこをもらむ めしにのす
われよさゑみぬ はなやけり
たへてゐるあち えつおほゆ
昨晩、妻が作ってくれたネギトロ丼を食べました。おまけに私の大好きなトビコ(飛魚の卵)も用意されていて、それをたっぷり載せたので、もう大満足でした! 鮪のとろみ、飛子のぷちぷち感、葱の香り、それらが混然一体となって、ほんとに美味しかったです。こりゃあ、一首詠まねばなりますまい(笑)。
ところで、この「ネギトロ」という言葉、葱とトロ(鮪の脂身)のことではないそうですね! まったくもって、驚きです。だって、『広辞苑(第六版)』で「ねぎとろ」を調べると《マグロのとろを叩いて刻み葱とまぜあわせたもの。鮨や丼の具とする。》との説明があり、《ねぎとろ【葱とろ】》と、葱の漢字まで添えてありますよ。
その「ネギトロ」の由来に関してです。私は見逃してしまったんですが、TBS系『林先生が驚く初耳学』一月二十九日放送分で、次のような解説があったそうです。
ネギトロは元々捨ててしまうマグロの中落ち部分を使用。身を骨の周りから削り取ることを「ねぎ取る」と呼んでおり、そこから「ネギトロ」に変化したと、寿司職人の説明があったらしいのです。
さらに、元の語源は建築用語「根切る」から来ているとのことです。再び『広辞苑』で調べると、「ねぎり【根切り・根伐り】」の語が見つかりました。意味は《建築の基礎をつくるため地面を掘ること。また、ほった穴。》と書かれていました。その土を掘る作業と、身を削り取る作業とが似ているということでしょうか。
しかし、なぜ建築用語が寿司業界に定着したのでしょう? 考えるに、建築業の方々が寿司屋にお客として来た時、板前さんと世間話をするうちに広まっていったのかもしれませんね。
平成30年2月11日(日)
三 種 油 漬
くわんつめのかき たらこさは
よいあちやな ゆゑにおす
ほねとろけぬる ひみをえて
れうりへもそふ しませゐむ
先月、Amazonオリジナルの「Wickedly Prime プレミアムおつまみ3個セット」(製造元は岩手缶詰[株]) というのを試食用に頂いたので、それを思い出して一首詠んでみました。
牡蠣の缶詰、鱈子の缶詰、鯖の缶詰、以上3個セットで1,380円とのことです。中身が違うので均等には割れませんが、1缶460円ですね。高いかな? しかし、ちょっと贅沢をしてみたいという気持ちさえあれば、充分買える値段ですね。それぞれ燻製油漬けされた魚介類が入っていて、その名の通りお酒のおつまみ≠ノは最適です。一度食べると忘れられないというか、私はとても気に入りました。
最初に食べた時は吟味しようとして、どうしても厳しい目で見てしまいますね。燻製なので身が硬めだとか、味が濃すぎて素材の風味が感じられないとか、いろいろ思いました。特に牡蠣缶は、決して不味くはないんだけれど、鶏の肝だかなんだか分からないような味に感じられ、牡蠣を食べる意味がないじゃないか、というのが正直な感想でした。
でも……。一通り試食し終えた後、また食べたくなるんですよね! 牡蠣、鱈子、鯖、三種三様に楽しめるから良いのかもしれません。牡蠣は滑らかな食べ応えがありました。鱈子はぷちぷちとした食感が好かったです。鯖はほろりとした背骨の味わいが最高でした。どれも濃厚な味で、しっかり食べたという気持ちになりました。
これらの点を総合的に判断し、結局は「美味しい! 好き!」ということです(笑)。
今度、きちんと買おうかな……。
平成30年2月10日(土)
弥 生 節 句
おひなさまゐて よろこふや
ゑかほゆめみち うれしいわ
はるつけとりも えたへきぬ
そらあをくのに すむねせん
御雛様を飾る季節がふたたび巡って来ました。孫可愛さに義理の母が、去年の初節句に贈ってくれた五人雛です。私が帰宅すると、硝子ケースの中で行儀良く並んだ雄雛、雌雛、三人官女が、妻子の笑顔とともに待っていてくれました。私自身は一人息子だったので、これまで雛祭りには縁がありませんでしたが、今は松尾芭蕉の句「草の戸も住替る代ぞひなの家」の心境です。
さて、飾られている物をよく見ると、格子戸、桃花模様の垂れ幕、雪洞、桃花を活けた壺、紅梅白梅の鉢植え、箪笥、長持、挟箱、針箱、鏡台、細かい所まで実に良く出来ています。
三人官女はそれぞれ金の長柄(ながえ)、盃の載った島台(しまだい)、金の提子(ひさげ)を手にしています。雄雛が持つのは杓、雌雛は扇、その扇には松竹梅と鶴亀が描かれていました。
しみじみ見入ると、自分も小さな人形世界の、雅な住人になってしまいます。今までじっくり眺めたことはなかったですからねぇ。ほんとに綺麗で、うっとりと時間を忘れてしまいます。これこそが桃源郷≠ゥもしれません!
「雛人形って、いつから飾ったらいいの?」と妻に尋ねられ、そう言われると、さっぱり分かりませんでした。歳時記や百科事典をいくつか見たのですが、なかなかそこまでは載っていません。ネットで検索してみると、だいたい立春(二月四日頃)に飾るのが一般的なようですが、結局は地域によって違う(早い所ではお正月)とのことです。
仕舞う時期については、啓蟄(三月六日頃)が良いそうです。これは二十四節気の節目に合わせたものでしょう。
また、「雛人形をいつまでも片付けずにいると嫁に行けなくなってしまう」とよく聞きますが、あれは「きちんと片付けの出来る女性になりなさい」という教育的な意味合いと、「娘が早く片付く(=嫁に行く)ように」という縁起をかつぐ意味合いと、二つ理由があるようです。面白いですね。
平成30年2月9日(金)
炎 暑 紀 行
ひよけそらをは ことりなき
うちいてゑんろ へたるふむ
めさすわかやま くものみね
あせにぬれゐし えつおほゆ
この時期は、凍て付く寒さと、年度末に向けての忙しさとで、とても外へ出掛ける心の余裕≠ェありません。サイクリング好きの私としては、それが非常に残念です。
のんびりとした春の野辺や、太陽がぎらつく夏の土手を、早く自転車で走り回りたいなぁ!
思い出されるのは二年以上前、和歌山まで遠乗りした日のことです。大阪堂島の四つ橋筋をひたすら南下し、大阪市内を抜け、堺市、高石市、泉大津市、忠岡町、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、田尻町、泉南市、阪南市、岬町をも突き抜け、和歌山県に入ったあたり、和歌山市大川まで行って来ました! もちろん一人で、です。兵庫県尼崎市の自宅から、片道七時間ほどかかりました。疲れたけど、楽しかったぁ!
是非もう一度実行したいと思いつつ、なかなか機会がなく、未だに実現していません。出来れば今度は和歌山城まで足を伸ばしたいんだけど、可能かなぁ? 私の遠乗りは、ママチャリで、日帰りが原則です。どこまで行けるか、限界まで挑戦したい!
そんな思いを新いろは歌に詠んでみました。
誰かに話すと必ず「えっ、和歌山!? 行って、どうするの?」と聞かれますが……、やっぱり私は物好き≠ナすかねぇ?(笑)
平成30年2月8日(木)
飛 翔 幻 想
おのかみぬけゐ たましひは
ことりになるよ やすきむね
ゆめちへいせん そらあをさ
えつてほろゑふ われもうく
人の魂が鳥になるという話は、伝説や昔話に多く見られます。それを題材に、一首詠んでみようと思いました。
しかし、あまり楽しい話は残っていないようですね。中でも特に悲惨なのが「ほととぎす兄弟」です。
昔、あるところに二人の兄弟がいて、兄は優しかったが弟は根性が悪かった。兄は山からの帰り道で掘った山芋を炉で焼き、自分はあまり美味しくない茎の部分を食べ、そのあと帰って来た弟には根元の美味しい部分を食べさせた。根性の曲がった弟は、俺にくれるのさえこんなにうまいんだから、兄貴はもっとうまいのを食ったにちがいないと邪推し、兄を殺してしまった。兄の腹を裂いて中を確かめたところ、胃袋には茎ばかり入っていた。さすがの弟も後悔し、なんとか兄を生き返らせたいと、毎日毎日、兄の魂を探しに出掛けた。悲しそうな声で、あっち飛んでいったか、こっち飛んでいったかと探し回るうち、弟の魂はほととぎすになってしまった。それで、ほととぎすは今でも、あちゃとてた、こちゃとてた、と悲しい声で鳴いている……。
岩手県九戸郡に伝わる話として、岩波文庫『こぶとり爺さん・かちかち山 ―日本の昔ばなし(T)―』(関敬吾 編) に出ていました。
ほととぎすがこうした暗いイメージで捉えられるのは、口の中が赤いことと、その鋭い鳴き声から血を吐く思い≠想起させることに原因があるようです。
白鳥の声なども、悲しそうに聞こえる時がありますね。「白鳥の歌」(=没前最後の作歌) という語にも、そのことが表れている気がします。
私は明るいイメージで、幽体離脱のような心地好さを、天空を翔ぶ小鳥全般に重ねました。肉体に囚われない自由の境地≠感じていただければ幸いです。
平成30年2月7日(水)
余 寒 雑 踏
とりなくよいね めをやれは
うすしろにつき のこるそら
ちまたへむかふ あわてゐん
けさひえおほゆ ゑみもせぬ
出勤前、南の空に有明の半月を見ました。下弦の月ですね。
そこから昨日の「徳大寺嚴島詣」を思い出しました。この話の大納言實定卿というのは、百人一首に出てくる歌、
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有り明けの月ぞ残れる
を詠んだのと同じ人物(=後徳大寺左大臣、藤原実定)らしいので、本歌を真似て、鳥と、有明の月とを新いろは歌に取り込もうと考えました。
ただ、今はもちろん夏でもないし、しかも朝っぱらから町なかで鳴くのは、せいぜい鴉か雀です。鴉がガアガアわめきながらゴミを漁る姿など、思い浮かべないで下さい! 雀なら「好い音」と言えるかな?
さて、今回は珍しく「た」の字が最後まで余ってしまいました。いろいろ悩んだ挙句、最初「街(まち)へ向かふ」と表現していた部分に「た」を加えることを思い付き、なんとか「巷(ちまた)」で収まりました。歌の出来映えは今一つですが、今朝の寒さと通勤の慌ただしさが実感として表現できた点は、それなりに良かったと思います。
平成30年2月6日(火)
嚴 島 神 社
ゑむちみやしま ひをなせる
ゆめのくわいらう おほとりゐ
ぬれにもあかさ きえはてす
ねんけつたへ よろこふそ
広島旅行を思い出して、もう一首詠みました。
安芸の宮島、嚴島神社です。その由来については拝観券裏面に「御社殿の創建は推古元年(593)で、仁安3年(1168)に平清盛公が現在の規模に造営」、また「宮島は昔から神の島として崇められていたので御社殿を海水のさしひきする所に建てたといわれている」とありました。
境内の説明板には「その後焼失し、鎌倉時代に再建されました」とありますが、それにしても、海水や海風にさらされ「海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら」よく何百年も受け継がれて来たものだと、深く感じ入りました。
そうかぁ、平清盛が大規模な造営をしたんですね。それなら当然『平家物語』にも嚴島の話があるだろうと調べてみると、巻二に「徳大寺嚴島詣」というのが出ていました。徳大寺の大納言實定卿(じっていのきょう)が大将の地位を得ようと、平家の崇め敬う嚴島へお参りして盛大に祈祷を行ったら、清盛の気に入られ、他の者を差し置いて左大将に任ぜられたということです。
清盛の信仰の深さが、間接的にうかがえる話ですね。
平成30年2月5日(月)
平 和 公 園
もゆるほうゐを めにそみて
けんはくとおむ こゑあらぬ
たえすへいわや ちよのさき
ねかふひろしま れつなせり
広島市内では原爆ドーム、平和記念公園、平和記念資料館を見学して来ました。写真や遺物、資料等、間接的にではありますが、戦争の悲惨さをこの目にし、やはり胸が痛く、気持ちが重くなりました。夕陽に照らされた原爆ドームの残骸鉄骨は、強烈な印象となって、私の脳裏に焼き付きました。
そしてその時、頭の中ではもう新いろは歌を考え始めていました。
人の死に関わる悲痛な出来事を言葉遊び≠ノしてしまって良いのかという問題は、私が以前から深く考えされられるところでした。しかし、止まぬ創作意欲が私を捉えて放しませんでした。それに、新いろは歌というのは決して遊び半分で作れるものではなく、一首々々がまさに真剣勝負です。作品≠ニは、そういうものでしょう。
加えて今回は、戦争被害者の方々への鎮魂と、千代の平和を祈念する歌であるという点を、ご理解いただければと思います。
実際に現地へ赴いて生まれたヒロシマ≠フ作、私にとっては貴重な一首です。
平成30年2月4日(日)
海 乳 堪 能
よいかきぬめり ひろしまそ
てんとのおみせ われさする
やけはあくふた へらもちゐ
なほこねゑむに ゆえつをう
町内のお付き合いで、だいたい二月の初め、年に一度の旅行に行きます。
今年は広島へやって来ました。私にとって、初めての広島です。あまり旅行経験のない身としては、どこへ行っても新鮮ですね! 安芸の宮島、原爆ドーム、旧海軍兵学校、大和ミュージアムと、てつのくじら館、いろいろ見学できました。寒くて少し風邪を引いてしまったけど、とても楽しかったです。
それと、広島はなんといっても牡蠣三昧! 会食のお店では、酒煎り、土手鍋、塩焼き、ガーリックバター焼き、フライ、オイル漬け、そして釜飯と、牡蠣のコースを存分に楽しみました!!
さらに、江田島小用港のカキ小屋では、新鮮な牡蠣を炭火で貝ごと網焼きにし、ジューシーでぷりぷりの身を心ゆくまで堪能できました。貝に溜まるあの汁も、堪えられません……! あぁ、ほんとうに美味しかったぁぁぁ。しばらくは服に牡蠣の匂いが染み着いていたほどです(笑)。
一盛千円(七〜八個はありました)、安い!!
どうも、ごちそうさまでした――。
平成30年2月3日(土)
向 南 南 東
さちえしむねや せつふんの
ゑはうまきたへ よろこひぬ
われおほそらを ゆめみゐて
あすもかけいく とりになる
朝目覚めるとすぐに、恵方巻の歌を詠みました。季節の節目、春の節分です。
大阪海苔協同組合の包み紙に書かれた説明によると、
《「節分の夜 恵方(本年は西南西)に向かって無言で家族そろって巻ずしを丸かぶりすると必ずその年は幸福が回ってくる」と昔から伝えられています。》
とあります。この解説は三年前の、平成二十七年のもの(それをたまたまケータイで撮影していました)なので、恵方が「西南西」となっていますが、今年は「南南東」ですね。
さて、今日は早くに出掛ける必要があったので、起床後さっそく丸かぶりの準備を始めました。「夜」でもないし「家族そろって」でもないですが、緊急事態だからやむをえません。妻が朝、食べて行ってね≠ニ買っておいてくれた巻ずしです。一人ベランダへ出、夜明けの恵方を眺めながら、無言で一本食べ尽くしました(今年食べたのは上の画像、イオンの「7品目の和風太巻」でした。胡瓜、玉子、椎茸、かに風味蒲鉾、かんぴょう、高野豆腐、おぼろ、以上七種が入っています)。
さあ、行って来ます!
平成30年2月2日(金)
節 分 寒 波
もんのかきさへ こほるゆゑ
おすにあけえぬ つめたいと
をねしろなせり やまみゐて
ちらはくひよう われふむそ
今朝、門の戸を開けようとしたら、固くて開かないんですね。昨日降った雨の湿気が戸の内部の錠を凍らせてしまい、鍵が回らなくなったらしいのです。急いでたせいもあって考えが至らず、ツマミを強引にペンチで回そうとしたもんだから、ツマミ自体が壊れてしまい、本当に戸が開かなくなってしまいました。私も馬鹿ですね。今日はともかく別の出入口から外へ出ました。
遠く六甲の山もうっすらと雪化粧、空気の冷え切った通勤時、道路のあちこちでまたもや氷が張っているのを見ました。吐く息は白く、昨日の春の気分がいっぺんに冬へ逆戻りしました。おまけに八時頃から霧が出て、あたりがだんだん真っ白になりました。滅多に見られる現象ではないので、いやはや驚きです。
実は、私は霧が大好きなのです! 幻想に包まれるワクワク感、先が見えないからこそ味わう期待感、自然の神秘と浪漫。胸に熱い血が騒ぎ、このまま霧の中をどこかへ行きたくなってしまいましたが……。
現実を忘れてはいけませんね(笑)。さて、今日も一日頑張ろう!
――そんな思いがいろいろ詰まった、今朝の一首となりました。
平成30年2月1日(木)
飛 遊 浪 漫
かいきけつしよく おほろやな
あまりみえす さふうてぬ
とこへのひゑむ せはねもち
そらをわたれる ゆめにゐん
昨夜の皆既月蝕では一人で勝手に盛り上がっていましたが、薄曇りだったので、結局はっきりとは見えませんでした。
九時ごろ夜空を見上げたら、朧月のような満月の左下にぼんやりと黒い影のようなものが映っていて、この時が最も月蝕らしい雰囲気を漂わせていました。皆既蝕の始まりですね。その次に見たのは九時半頃だったかな? 月が半分欠けていて、あぁ、かなり蝕が進んだなぁと嬉しく思ったけど、薄い雲を隔てているせいで、見かけは普通の半月となんら変わりませんでした。ちょっと残念です。
妻にそう報告したところ、半分あきれたような笑顔で「あぁ、そう!」「なに子供みたいにはしゃいでるの?」「興味な〜い」だとさ! べつにいいけどね……(笑)。
上の画像は十時八分にケータイで撮影した皆既蝕を拡大したものです。ぼんやりとしか写っていませんが、一応赤い月が撮れたので、良い記念にはなりました。この後すぐに雲が厚くなりはじめ、赤い月はさらにぼやけて見えなくなってしまいました。まぁ、しかたがないですね。でも、おかげで夜更かしせずに済んだかな。皆既蝕の終わりまで見ていたら、翌0時すなわち今日未明ですからね。
明けて今朝は微雨となりました。いよいよ立春も間近、二月の始まりです! 西高東低が緩むとか天気予報で言っていたので、こりゃもう春雨の風情だなぁと、またもや一人で勝手に盛り上げました(笑)。
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