前月へ 翌月へ HOME

出来立て!今日の一首

〜平成三十年四月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜

2018/ 4/1 4/2 4/3 4/4 4/5 4/6 4/7 4/8 4/9 4/10 4/11 4/12 4/13 4/14 4/15 4/16 4/17 4/18 4/19 4/20 4/21 4/22 4/23 4/24 4/25 4/26 4/27 4/28 4/29 4/30


平成30年4月30日(日)

        深 愛 自 然


 緑茂れる 地を訪ね

 すぐ夢気分 覚えゐぬ

 そこらへ色も 鮮やかで

 世に花笑まむ 昭和の日


       みとりしけれる ちをたつね
       すくゆめきふん おほえゐぬ
       そこらへいろも あさやかて
       よにはなゑまむ せうわのひ


 昨日、上坂部西公園(尼崎市都市緑化植物園)へ行って来ました。敷地のほぼ全体が緑に覆われた大きな公園なので、ゆったりと花でも観たいと思って気楽に赴いたところ、たまたま「2018 春の花と緑のフェスティバル」(9:00〜16:00) というのをやっていて、多くの人で溢れ返っていました。びっくり!
 中央の草原に設けられたステージでは、高校の吹奏楽部による演奏会が催され、まずその音楽にしばし聴き入りました。その近くには、巨大なスーパーマリオのふわふわエアートランポリン、一回三分で無料、中では子供が喜んで跳ね回ります。そのあと出店のスーパーボールすくい、一回百円。うちの子はまだ幼いので、一度すくっただけで紙ポイを破ってしまい、それでも二個すくえました(すくった中で二個だけもらえるそうなので、ちょうど好かったです)。茶道部・筝曲部による青空の下でのお茶会や、他にも飲食物販売コーナーなど出店がいっぱいありましたが、遠慮して混雑を避けました。温室の花も観たかったけれど、また今度にしました。
 折しも四月二十九日「昭和の日」だったわけですね。
《学者として造詣(ぞうけい)の深かった昭和天皇をしのび、「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを目的として、みどりの日と名づけられた》(小学館『日本大百科全書』)、その「みどりの日」が平成十九年から五月四日に変更され、四月二十九日の祝日は「昭和の日」として残されました。あれからもう十一年になるんですねぇ。
 ひと昔前に思いを馳せつつ植物を観賞し、お腹が空いたので(笑)、帰りは「そば処 武蔵坊」でそば三昧≠フお昼にしました。私は以前に一度しか来たことがありませんが、自家製粉の、挽きたて、打ちたて、湯がきたてをモットーにしたお店≠ニいうことで、結構有名だそうです。ここもかなり混雑していましたが、待った甲斐があって、とにかく美味しかったです!



平成30年4月29日(日)

        春 咲 小 盛


 海神想ふ 桜蝦

 薄紅色や これぞ好げ

 茹でぬる香り 潮嘗めゐ

 葱載せ食むと 味笑まん


       わたつみおもふ さくらえひ
       うすへにいろや これそよけ
       ゆてぬるかをり しほなめゐ
       ねきのせはむと あちゑまん


 昨夕、回転寿司「すし一流」伊丹店で食事しました。その時に食べた桜えび軍艦が春らしくて好いなぁと感じ、強く印象に残ったので、一首詠んでみました。
 さて、その「サクラエビ」という名前についてです。
 まずは「海老」と「蝦」の漢字の使い分けについて。小学館『日本大百科全書』の「えび」の項に《クルマエビ類やコエビ類には「蝦」の字があてられ、「海老」はイセエビ類に対して用いられる》とあります。要は、大型で海底を歩くエビが「海老」、小型で水中を泳ぐエビが「蝦」ということですね。私は「桜海老」と表記したいところなのですが、上記の理由に従い「桜蝦」を用いました。「海老」は腰が曲がるまで長生きする≠ニいう、おめでたいイメージがあって好きなんですけどね……。漢和辞典には「蛯」「鰕」等の字も出ていますが、そこまで考えると、かえって混乱するでしょう……。
 次に、桜蝦の「桜」です。『角川俳句大歳時記』に《透明で桜色をしていることからこの名がある》《海岸いちめんに干してある光景は、鮮やかな桜色》とあり、ずばりそれが名前の由来ですね。また、《四月頃、深海から浮き上がってくるところをとる》とも出ていて、春の季語になっていることから、ちょうど桜の時季を指す意味もあるのかなと思いました。いずれにしても、桜の花のように優しい印象を受ける小エビです。
 花の比喩というのは面白いなぁと、先日から考えていました。風に舞う雪を「風花」と言って、雪が花にたとえられ、風に舞う花を「花吹雪」と言って、花が雪にたとえられたりします。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言って、美人が花にたとえられるかと思えば、「虞美人草」「月下美人」は花が美人にたとえられます。これも、世の中持ちつ持たれつ≠ニいうことでしょうか……(笑)。



平成30年4月28日(土)

        週 末 安 堵


 鮪 長芋 柴漬ら

 味好う御膳 食べゐるぞ

 骨休めをと 夕に我

 さて飲み酔ひぬ 凝り消えむ


       まくろなかいも しはつけら
       あちようおせん たへゐるそ
       ほねやすめをと ゆふにわれ
       さてのみゑひぬ こりきえむ


 昨日の夕食はマグロ丼≠ノするようにと、妻が刺身の醤油浸けと、摩り下ろしたとろろ芋とを準備してくれました。それをそのままご飯に掛けても良かったのですが……。
 一週間の仕事が終わり、居間に座してほっと一息。クーッと一杯ビールを飲むと、刺身もとろろ芋も、添えられた柴漬も、大部分がおつまみになってしまいました……!(笑) ほろ酔い機嫌にお茶碗を取り、皿や器に残った物をおかずに白いご飯を食べましたが、これがなかなか美味しかったです! 鮪、長芋、柴漬という取り合せが良いのかな? この三点セットで、晩酌、食事、二重に満足できました。
 これはもう、新いろは歌に詠まねばなるまいなぁ! 美味の余韻に浸りつつ、例によって頭の中では「まぐろ ながいも しばづけ……」と、仮名の作業が進みます。一晩寝かせて寝覚め一番、わりとすんなり仕上がった今日の一首≠ナす。
 それから、例の小学館『日本大百科全書』で「しばづけ」を調べたら、
《柴漬けは平安末期、平家滅亡後、建礼門院が洛北(らくほく)大原の寂光院に隠棲(いんせい)したとき献じられた紫蘇(しそ)漬けが最初で、もとは紫葉(しば)漬けといっていた。のちに、大原の里にちなんで、柴の文字を用い柴漬けになったといわれている。》
 とありました。何でも載ってるんですねぇ!



平成30年4月27日(金)

        端 午 悠 悠


 五月生まれの 縁ゆゑに

 威勢良げ食べ 柏餅

 大空澄み 菖蒲咲き

 胸を撫でぬる 一人風呂


       こくわつうまれの えんゆゑに
       ゐせいよけたへ かしはもち
       おほそらすみ あやめさき
       むねをなてぬる ひとりふろ


 一昨日、スーパーに柏餅パックが並んでいたので買いました。そういえば、もうすぐ五月五日だなぁ……と。
 私自身が五月生まれということもあって、緑萌えるこの季節には少なからず親しみを覚えます。目に鮮やかな若葉、木々を渡る涼しい風、青空に泳ぐ鯉幟――。端午の節句は特に、新暦に倣ったほうが良いようです。旧暦だと梅雨に入ってしまいますからねぇ、昔はなかなか五月晴れ≠ェ拝めなかったでしょうね。
 さて、柏餅について少し調べてみました。どうして柏の葉で巻くのだろうと思ったのです。いくつか見た中では、小学館『日本大百科全書』の解説文が非常に印象的でした。
《『万葉集』に「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕(くさまくら)旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る」とあるが、古代は堅い葉が簡便な食器として使われた。》
《とくに「かしは」が葉椀(くぼて)、葉盤(ひらで)の類とされ、膳夫(かしわで)がそれをつかさどる人とされたのは、カシワの葉がしなやかで、食べ物を盛るのにはもっとも都合がよかったからである。》
 葉が食器の役割をしたことを言うのに『万葉集』の有間皇子の和歌を引くとは、なかなかセンスが良いですね。短い解説の中に多くの情報が盛り込まれ、柏餅の説明がさりげなく「膳夫(=料理人)」の語源にまで及ぶとは、いやはや恐れ入りました。さらに、端午に柏餅を食べる理由については、
《男子の節供である5月5日に柏餅が使われたのは、夏の新葉が出るころに古い葉が落ちる、つまり跡継ぎができたという意味で一家繁栄を祈り、祝う心情がこめられている。》
 とのことです。たいへん勉強になりました。



平成30年4月26日(木)

        夕 月 幻 想


 谷を越え来ぬ 道うねり

 空と風和す 野辺居ける

 待宵草や 出逢ふ花

 檸檬色咲む 夢多し


       たにをこえきぬ みちうねり
       そらとかせわす のへゐける
       まつよひくさや てあふはな
       れもんいろゑむ ゆめおほし


 夜の花として、月下美人の次に思い浮かんだのが「待宵草」でした。
 私がこの待宵草という花の名前を知ったのは、小学三年生の時です。国語の教科書に「植物も動く」という説明文が載っていて、それで習いました。西尾実 監修『新版 標準国語 三年上』(教育出版) です。
植物は動物のように場所を変えて動いたりしないが、光や温度が変わったり、物に触れたりすると動くのがはっきりわかるものがある≠ニいう趣旨の文章で、クローバー、たんぽぽ、まつよいぐさ、ねむのき、おじぎそう、以上が紹介されています。
《まつよいぐさの花は、昼間はとじていますが、夕方になると開きます。そして、夜には、ががとんできて、花ふんを運んでいきます。やがて、次の朝になると、花はしぼんでしまいます。》
 子供の時には「へえ〜、そうなんだ」ぐらいにしか思いませんでしたが、今読み返すと胸がいっぱいになります。ほんとに懐かしいですねぇ。ひらがなが多いところが小学生らしくて可愛い感じがします。特に、「蛾が飛んで来て」と書きたいところを「ががとんできて」と漢字を無くしたり、「花粉」が「花ふん」と漢字仮名交じりにしてある辺り、大人が読むと情緒≠感じてしまいます。「説明文」も「せつめい文」になっていました。
 文章に添えられた絵も、なかなか味わいがあります(右の画像)。今なら写真を添えるところでしょうが、こうした手描きのカラー絵に時代≠感じ、改めてしみじみと見入りました。
 ちょうど家の庭にも待宵草が咲き、郷愁を覚える夕べです。



平成30年4月25日(水)

        白 色 絢 爛


 月下美人ぞ 夜頃在り

 我を招いて 花咲みぬ

 幸得たく居む 安らぎに

 夢乗せ翔べる 鳳想ふ


       けつかひしんそ よころあり
       われをまねいて はなゑみぬ
       さちえたくゐむ やすらきに
       ゆめのせとへる ほうおもふ


「満天星(どうだんつつじ)」という夜向きの植物名から、今度は本当に夜に咲く花を連想しました。真っ先に思い浮かんだのが「月下美人」です! 『ブリタニカ国際大百科事典』(小項目電子辞書版) によると、
《メキシコから南アメリカにかけて自生するクジャクサボテンの近縁種。》
《純白の花は、直径約12p、長さ20〜30p前後になる。夜8時頃から咲きはじめて芳香を漂わせ、遅くとも朝方までにはしおれる。》
 とあります。また、
《花はてんぷらや吸い物などの食材としても利用でき、ぬめりがあって、舌にもほのかに香る。》
 とも出ていました。美味しそうですが、清純な花のイメージに天ぷら≠ニいうのが意外で、なんだか笑ってしまいました。
 月下美人と聞いていつも思い出すのが、沢口靖子が唄う「白の円舞曲(ワルツ)」(荒木とよひさ 作詞、三木たかし 作曲) です。

   真白き 毛糸 編む夜は
   切なさ ともす 窓あかり
   月下美人の あわれ草
   いつ咲くことぞ この庭に

 この歌を初めて聞いた頃、私は月下美人を知らず、未知の花への想像がふくらみました。
 そしてもう一つ思い出すのが、高浜虚子の俳論「熱帯季題小論」です。熱帯地方で俳句を詠もうとした際、日本のような季語が無いため、虚子は熱帯特有の風物を季語として夏の部に収めようとしたのです。そこに月下美人≠烽りました。虚子が編んだ『改訂 新歳時記』(三省堂) には、熱帯の季語として、

   熱帯 赤道 馬來正月 朝陰 木蔭 オアシス 貿易風 スコール 赤道祭 嫁選び
   象 水牛 鰐 鱶 極楽鳥 熱帯魚 火焔樹 無憂華 鳳凰樹 寶冠木 佛桑花
   ドリアン マンゴスチン マンゴー パパヤ 龍眼 バナナ パイナップル 椰子
   檳榔樹 護謨樹榕樹 クロトン 月下美人 ブーゲンベリア

 が取り上げられています(昭和十五年版にて確認しました)。私は学生時代に初めてこの熱帯季題≠ニいう考え方を知り、俳句の世界の広がりに深く感じ入りました。



平成30年4月24日(火)

        難 読 躑 躅


 夜終へ明けぬる 陽も昇り

 満天星真白 清楚和す

 米粒くらゐ 鐘に見え

 小きお花や 揺れて咲む


       よをへあけぬる ひものほり
       とうたんましろ せいそわす
       こめつふくらゐ かねにみえ
       ちさきおはなや ゆれてゑむ


「満天星」と書いて何と読むか? 答は「どうだんつつじ」(略して「どうだん」とも読みます)。難読漢字の問題によく出る植物名です。なんともロマンチックな当て字ですね。
 しかし、どんな植物か全然知りませんでした。ツツジと名の付くからには花弁が五つに分かれて星形になった花だろう、だから「星」の字が入っているのだろうと、勝手に思い込んでいたのです。
 さて、昨年の秋頃だったか、職場の中庭を歩いていて注意を引くものがありました。何気なく植込みを見ると、植物名を示した白いプレートに「ツツジ科 ドウダンツツジ 落葉低木」と出ています。
 これか! これがあの「満天星」の木だったのか!
 忘れた頃に、そのドウダンツツジの花を、昨日初めて見ました。そうかぁ、これが本物かぁ……! 木は確かにツツジだけれど、花はスズランのように見えますね。小学館『日本大百科全書』に《放射状に出る枝の状態が、昔夜間の明かりに用いた結び灯台の脚に似ることから、灯台ツツジといわれ、それから転訛(てんか)した》と、名前の由来が述べられています。「結び灯台」というのは《細く丸い3本の木を緒で結び合わせ、その上下を拡げ、上に油皿を置いて点火するもの》(『広辞苑(第六版)』) だそうです。時代劇でよく見る室内照明のことですね。トウダイツツジ≠ェドウダンツツジ≠ナすか……。
 枝は「灯台」にたとえられ、花は満天の「星」にたとえられ……。偶然でしょうが、いずれも夜向きの名前である点が面白いなぁと思いました。



平成30年4月23日(月)

        空 中 遊 走


 大阪訪ね 出逢ふ夢

 モノレエル居ぬ 見晴らせり

 変化に富む 街広う

 良い景色ぞや 声を為す


       おほさかたつね てあふゆめ
       ものれえるゐぬ みはらせり
       へんくわにとむ まちひろう
       よいけしきそや こゑをなす


 先週四月十八日放送の『おはよう朝日です』(朝日放送)で大阪国際空港がリニューアルされたと知り、昨日、家族で遊びに行って来ました。
 番組では、ピザの店「ウルフギャング・パック・ピッツァ」、スイーツの店「キットカット ショコラトリー」、城崎温泉山本屋プロデュースの店「海キッチン KINOSAKI」、世界初空港内のワイン醸造所「大阪エアポートワイナリー」、親子の遊び場施設「ボーネルンドあそびのせかい」、以上五件を紹介していました。大いに興味はあったのですが、あまりにも人が多かったので、結局はなるべく静かな場所を探す形となってしまいしまた。簡単な昼食をと、空港中央ブロック2F「丸福珈琲店」でカレーセットを頼んだところ、量的には少し物足らなかったけれど、カレーと珈琲の味には大いに満足しました。
 展望デッキから滑走路の飛行機を見たあと、今度はモノレールに乗ろうということになり、大阪空港駅←→門真市駅間を遊覧乗車して来ました。私にとってはめったに乗る機会のないモノレールです(実際、少年時代から現在までで、二回ほどしか乗ったことがありません)。大の大人が、内心は子供のように燥いでしまいます。
 大阪空港、蛍池、柴原、少路、千里中央、山田、万博記念公園、宇野辺、南茨木、沢良宜、摂津、南摂津、大日、そして門真市――。
 一駅ごとに胸が躍りました。丘の風景、公園や森の風景、街の風景、終盤は淀川の風景……。あらかじめ往復切符を買っておき、終点ですぐに逆方向へ乗り換えて帰って来るだけですが、ほんとに楽しくてしかたありません。遙か見晴らす大阪平野の眺めは最高で、空中散歩の気分を存分に味わうことが出来ました。



平成30年4月22日(日)

        小 幸 福 感


 野辺見渡すや 花咲んで

 白詰草 陽に揺れゐぬ

 青い大空 舞ふ小鳥

 胸気持ち好う 風得ける


       のへみわたすや はなゑんて
       しろつめくさ ひにゆれゐぬ
       あをいおほそら まふことり
       むねきもちよう かせえける


 白詰草。いわゆるクローバーですね。小学館『日本大百科全書』によると、《江戸時代に、オランダから長崎に輸入されたガラス製品の梱包(こんぽう)材として、この草を乾燥したものが用いられ、その中の種子が発芽して広がったのが始まりで、詰草の名の由来もこれにある》とのことです。
 この白詰草の花を見るといつも思い出すのが、アニメ『あらいぐまラスカル』の主題歌「ロックリバーへ」(岸田衿子 作詞) です。

   しろつめくさの はながさいたら
   さあ いこう ラスカル
   六月のかぜが わたるみちを
   ロックリバーへ とおのりしよう

 懐かしいですねぇ……!
 さて、青春BEST文庫『花[FLOWER] 面白すぎる雑学知識 なぜ母の日はカーネーションか?!』(博学こだわり倶楽部 編) を見たところ、クローバー(詰草)の葉の枚数による花言葉の違いが紹介されていました。
 葉が三枚のものは、イギリスでは勤勉∞生産(赤)∞約束∞私のことを想ってください(白)∞将来の用意のよい∞先の考えのある(紫)≠ナ、フランスでは私は幸福を望んでいいかしら∞誘惑≠セとか。四枚のものは幸運∞私のものであれ=Bさらに五枚のものは、それを見つけると病気になる、隠しもっていると不幸になるそうです。
 また、四つ葉のクローバーが幸福のシンボルになった由来については、
《一六〇二年に書かれた占星術の本からだといわれている。》
《「中夏節(六月二四日)前夜の夜中に処女が摘んだものには魔力が宿る」(フランス南部のベリ)、中夏節前夜の晩祷の鐘が鳴っているときに摘んだものには、魔法的な力が生じる」(アルプスのチロル地方) などといわれるようになった。》
 とありました。なかなか詳しい解説ですね。
 それにしても、夜の暗がりで四つ葉のクローバーを見つけるのは至難の業かと……(だからこそ魔力が宿るのかもしれませんがネ)。



平成30年4月21日(土)

        躑 躅 名 所


 御願塚の地 遊べるに

 胸安まらん 花覆ふ

 朱色燃えゐぬ 咲き乱れ

 美を寄せけり 絵と愛で得


       こくわつかのち あそへるに
       むねやすまらん はなおほふ
       しゆいろもえゐぬ さきみたれ
       ひをよせけり ゑとめてう


 御願塚古墳へ行って来ました! ツツジは八分咲きぐらいでしょうか。つぼみも若干残っていて、あと数日で満開かな、と思います。ほんとに良い天気で、陽射しが夏のように感じられました。若葉を渡る風がとても涼しかったです。輝くばかりの青空、木々の緑、ツツジの朱色が鮮やかに、この目に焼き付きました。綺麗……!
 ところで「躑躅(テキチョク)」という語は『広辞苑(第六版)』にも載っていて、
《@足ぶみすること。ためらうこと。ちゅうちょ。Aツツジの漢名。》
 とあります。しかし、足ぶみする≠アとがなぜツツジ≠フ名前になったのかという説明がありません。気になったので、手元にあった漢和辞典で「躑」や「躅」の字を調べたのですが、やはり判りませんでした。あきらめかけた時に、本棚の奥から出て来た一冊の書物! これだ!!!
 小学館『読めない漢字の読本』(尚学図書・言語研究所 編) です! その「躑躅(つつじ)」の解説を引きます。
《漢語「躑躅(てきちょく)」を当てたもの。「羊躑躅(ようてきちょく)」も当てた。躑躅は足ぶみすること、じだんだを踏むこと、などの意で、「本草綱目」の羊躑躅に「羊食其葉、躑躅而死、故名」とある。》
羊がその葉を食べたところ、じだんだを踏んで死んだ、ゆえにこの名がある≠ニいうことですね。つまり、ツツジの毒性を指摘しているわけです。
「れんげつつじ(蓮華躑躅)」というツツジには毒があるそうで、それは『広辞苑』にも「有毒」と出ていました。怖い……!

  

  



平成30年4月20日(金)

        星 形 満 開


 躑躅多し 今日そこを

 訪ね参りぬ 是非に観ん

 並べる色 赤さ映え

 夢の様子と 我も笑む


       てきちよくおほし けふそこを
       たつねまゐりぬ せひにみん
       ならへるいろ あかさはえ
       ゆめのやうすと われもゑむ


 伊丹市にある御願塚古墳へは何度も行ったことがありますが、ツツジの時季に訪れたのは一昨年が初めてでした。たまたま近くを通りかかったら、ちらっと赤いものが見えたのです(右の画像)。何だ、あれは! さっそく塚の上の南神社境内へ上がってみたところ、辺り一面の真っ赤な花々に圧倒されてしまいました。その時ちょうど植込みの脇に立札が立ててあって、次のような手書きの文言が……。

      おしらせ   平成28年3月31日
             御願塚史跡保存会

   この御願塚古墳は昔「ツツジの名所」
   として親しまれてきたそうです。
   この 竹杭 は ツツジ を植える予定
   の位置を示すものです。
   御 願 塚 史跡保存会 では、御願塚
   古墳を「ツツジの名所」として復活さ
   せるため、苗木作りから始め 今年の
   10月頃から植える予定です。

 そんなことを思い出しながら、一首詠んだ次第です。
 今年はまだ様子を見に行く機会がなかったのですが、今日あたり、ちょうど花盛りかもしれません。さほど遠くはないので、さっそく明日にでも行ってみようかな!



平成30年4月19日(木)

        夕 陽 公 園


 風と和すなり 良くぞ居て

 鞦韆乗れる 今笑みぬ

 天に唄へば 悦覚ゆ

 気持ちを広げ 胸優し


       かせとわすなり よくそゐて
       ふらんこのれる いまゑみぬ
       あめにうたへは えつおほゆ
       きもちをひろけ むねやさし


 子供と公園のブランコで遊んだ昨夕を思い出しつつ、一首詠んでみました。
 さて、俳句で「鞦韆(ぶらんこ)」は春の季語になっています。その、なぜ春なのかについて、調べ直してみました。小学館『日本大百科全書』では、
《古代ギリシアなどでは春が訪れると性的な生産の意味や豊作のまじないに、女性がこれに乗って動かす習俗があった。中国では春の季節、寒食(かんしょく)(冬至後105日目の日)に長い縄を高い木にかけ、横木の両端をその2本の縄で吊り、女子がこれに座し揺り動かして遊ぶ行事があり……》
 との説明があります。歳時記などでは、漢詩に春の景物として詠まれていることを理由とし、特に、蘇東坡「春夜」の詩、

   春宵一刻 値千金
   花に清香有り 月に陰有り
   歌管楼台 声細細
   鞦韆院落 夜沈沈

     春の宵はわずかな時間でも千金に値するほどだ。
     花は清らかな香りを放ち月にはおぼろに雲がかかる。
     高殿からの歌や笛の音はかぼそく聞こえ、
     ブランコの下がる中庭はひっそりと夜が更けてゆく。

 を挙げていました(漢詩と訳文は、向嶋成美 監修『名言・名詩・故事から生き方を学ぶ 中国古典の便利辞典』<小学館> より引用)。
 それにしても、春の景物である「鞦韆」になぜ「秋」の字が入っているのだろう、単に「シュウ」の音を借りただけの形声文字だろうか……。そう思って今度は漢和辞典(藤堂明保・加納喜光 編『学研 新漢和大字典』)を見たところ、手偏に「秋」と書いて「シュウ」と読む漢字があり、その「ぐっと引きしぼる」という意味も含んでいることが判りました。つまり「鞦韆」とは革のひもを引き締めて、前に後ろに遷(うつ)る≠サういう乗り物だということです。
 季語では「鞦韆(シュウセン)」を「秋千」と書くこともあるようですが、これはいくらなんでも紛らわしいでしょう! 秋の季語ではないんだから! まさか「一日千秋」を意味してるんじゃないでしょうね? 春を待ち焦がれた気持ちを「秋千」の二字に重ねたのだとしたら、実によく出来た話ですが……。



平成30年4月18日(水)

        端 午 吹 流


 青空へと 風渡るや

 列成し泳ぐ 鯉幟

 胸は燃えゐて 夢色に

 運気幸増す 今日笑みぬ


       あをそらへと かせわたるや
       れつなしおよく こひのほり
       むねはもえゐて ゆめいろに
       うんきさちます けふゑみぬ


 近所に鯉幟が揚がっているのを目にし、そうか、もうそんな時季になったんだなぁと思い、一首詠んだ次第です(但し、上の画像は大阪府門真市で昨年に撮影したもので、ご近所ではありません)。
 端午の節句に鯉幟を立てるのは、男児の出世と健康を祈る意味があること、鯉は「登竜門」の故事から立身出世の象徴として親しまれていること、菖蒲を飾ったり菖蒲湯に入ったりするのは「菖蒲(しょうぶ)」の読みが「尚武(=武道を尊ぶ)」に通ずること、菖蒲の葉は芳香があり根茎は健胃薬となること等々を、国語辞典や百科事典で改めて確認しました。
 それから、日本民話の会 編『決定版 日本の民話辞典―読んで面白い ひいてわかり易い』(講談社+α文庫) では、五月節句の由来を語る昔話として「食わず女房」と「蛇婿入り」を挙げていて、面白いなぁと思いました。
「食わず女房」では、正体のばれた女房が鬼の姿となって追いかけて来るのを、男は菖蒲と蓬の茂みに隠れ、難をまぬがれます。菖蒲・蓬の強い芳香が疫病や魔物を追い払うというわけです。
「蛇婿入り」では、蛇の子どもを宿した娘が三月の桃酒、五月の菖蒲酒、九月の菊酒を飲んだところ、蛇の子が下り、元気を取り戻します。いわば、解毒の作用でしょう。
 鯉幟がきっかけとなって、色々興味が広がりました。一旦調べ出すとハマってしまい、時間の経つのを忘れてしまいます。菖蒲の薬効についても、もっと知りたいところではありますが……。とりあえずこの件は、これまでとしておきましょう。明日は明日の興味。今日はもう寝ますわ。



平成30年4月17日(火)

        微 微 結 実


 細い莢に 種増えつ

 烏野豌豆 黒むなり

 我忠実で居ぬ 小道行き

 好げ幸せを 思へる日


       ほそいさやに たねふえつ
       からすのゑんとう くろむなり
       われまめてゐぬ こみちゆき
       よけしあはせを おもへるひ


 花壇に生えていたカラスノエンドウにしみじみと見入り、一首詠んだ次第です。
 ふつうは雑草としてすぐに取り払われてしまいますが、小さいながらもこうして立派に実を結ぶ様には、ふと注意を引くものがあります。やがて莢が黒くなり、種が弾けて飛ぶのでしょう。それまで抜かれずに残っているかな? 私なら抜かずにそっとしておくのですが……。
 インターネットで検索したら、ちゃんと花言葉がありました。
「小さな恋人たち」「喜びの訪れ」「未来の幸せ」とのことです。なんともロマンチックじゃないですか! あの可愛い赤紫の花を見ると、納得ですね。並んで咲く姿は、まさに小さな恋人たち≠ニ言えるでしょう。未来の幸せ≠ェ実るよう、応援したくなります。
 ところで、「カラスノエンドウ」という名前について、一つ誤解していたことがありました。私はてっきり「烏の豌豆」だと思っていたのですが、実際は「烏野豌豆」でした。そうです、「野」です!
 野に生える豌豆だから「野豌豆」。野に咲く菊が「野菊」というのと同じですね。熟すと黒くなるから「烏」というのは解るのですが、この「野」には気付きませんでした。
 辞書などでも「烏の」としているものがあり、あぁ、私と同じ過ちを犯しているんだなぁ……、そう感じました。「烏の食べる豌豆」あるいは「烏のような豌豆」という見方もできますが、やはり「烏・野豌豆」のほうが説得力があると思います。



平成30年4月16日(月)

        山 茱 萸 園


 春黄金色 枝に小き

 星屑の様 数多咲む

 日和なすとて お空へも

 夢見せん我 今日を居ぬ


       はるこかねいろ えにちさき
       ほしくつのやう あまたゑむ
       ひよりなすとて おそらへも
       ゆめみせんわれ けふをゐぬ


「分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡」と来て、その次の「須臾(しゅゆ)」から、植物の「山茱萸(さんしゅゆ)」を連想しました(まぁ「須臾」と「茱萸」は、単なる同音異義語でしょうけどね)。
 先月下旬に西宮市里中町の寿公園で観た、星屑のような黄色い花を思い出します。昨年も同じ頃にここを訪ね、初めて「山茱萸」という名前を知りました。公園内に立てられた案内板には、以下の説明が出ています。

  サンシュユ(ミズキ科)
    サンシュユ(山茱萸)は江戸時代の中頃(1722年・享保7年)に
   中国・朝鮮から渡来し、当時から、その赤い実は薬用とされ、現在でも
   漢方薬に用いられています。近年では、しっとりと、落ち着いて気品の
   あるその花が、生け花の素材や茶花として愛用されています。
    早春に黄色い小さな花を咲かせるところから「春黄金花(はるこがね
   ばな)」、また、秋には熟した実が鮮やかな紅色となることから、「秋
   珊瑚(あきさんご)」とも呼ばれています。

 春は無数に黄金色の花を付け、秋には珊瑚のような赤い実が生る木――。仏教で言う「七宝」のうちの「金」と「珊瑚」を併せ持つとは、なんとも目出度い、縁起の良い木ですね。
 満開の林の脇には「山茱萸の静かに咲きぬ寮の庭 陽 春」と彫られた句碑もありました。
 今はもう時季外れですが、来春ここでまたこの花を見たいと、改めてそう思います。



平成30年4月15日(日)

        百 円 玩 具


 鮨のミニチユア マグネツト

 好げ小品が 揃へられ

 凝りたる細部 愛でゐ笑む

 和をも覚え 華やぎぬ


       すしのみにちゆあ まくねつと
       よけせうひんか そろへられ
       こりたるさいふ めてゐゑむ
       わをもおほえ はなやきぬ


 百円ショップでお鮨のミニチュアを買いました。裏に小さい磁石が貼り付けてあって、冷蔵庫へチラシなんかを留める時に使う、あのタイプです。俎板に敷かれた簀子の上に輪切りの巻鮨や刺身が並んでいるという、手の込んだ作りで、細部まで良く出来ています。眺めているだけで、楽しい気分になりますね。
 微細なものへの憧れの気持ちというのは、確かにあるでしょう。どこまでも、小さく、細かく、果てしなく……、ただ極小極微な単位を想うだけで浪漫≠感じてしまいます。
 たまたま手元にあった本、学研の『ニューワイド ずかん百科』の「すうじ」の項目を見ます。ページの一番下に、大きな字で、

   0.000000000000000000001

 と書いてあって、小数点以下一桁ごとに、分(ぶ)、厘(りん)、毛(もう)、糸(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(せいじょう)と示してあります。江戸時代の『塵劫記(じんこうき)』に載っているという、あの単位名です。何分何厘ぐらいまでは日常で使いますが、ずらり並んだ数の小ささは、全く見当も付きません。
 小学館『日本大百科全書』には「刹那」の項目があり、《仏教における最小の時間単位》として、《2人の成人男子が何本ものカーシー産絹糸をつかんで引っ張り、もう1人の成人男子が中国産の剛刀でもって一気にこれを切断するとき、1本の切断につき64刹那が経過する》という比喩を紹介していました。絹糸のほうは「何本もの」と大ざっぱなのに、どうして1本につき「64刹那」と数を明言できるのか、何だか解ったような、解らないような……(笑)。



平成30年4月14日(土)

        卵 包 炒 飯


 映えゐる黄に 茜の線

 玉子へ引く ケチヤツプぞ

 さてオムライス 猶よろし

 夢を盛り得と 我笑みぬ


       はえゐるきに あかねのせん
       たまこへひく けちやつふそ
       さておむらいす なほよろし
       ゆめをもりうと われゑみぬ


 今日の朝食は妻の手作りオムライスだったので、それを題材に一首詠んでみました。
 黄色い玉子焼きの上に、赤いケチャップで何か描いてあります。ミッキーマウス? でもないし、何だか知らないけれど、ちょっと愛嬌がありますね(上の画像)。これは顏≠ネのかと妻に尋ねたところ、
「わからん。適当に作った」
 とのことでした(唖然)。まぁ、本人がそう言うんじゃ、しょうがないですね(笑)。
 ところで「オムライス」の「オム」とは、もちろん「オムレツ」のことですが……、その「オムレツ」の語源について面白い話を見つけました。落合敏 監修『食べ物・酒おもしろ雑学』(梧桐書院) という本の中に、次の二説(よく知られている話だそうですが)が紹介されています。
 一つ目は《古代ローマ時代の美食家アピキュウスがつくった蜂蜜入りの卵焼き、オウオメレを語源とする説》。しかし「オウオメレ」という名前自体、わけわからん! たとえば「オウ」が蜂蜜で、「オメレ」が卵焼きという意味なのでしょうか??? こりゃあ、語源の底なし沼ですね……。
 二つ目の説。スペイン国王が田舎を散策中にお腹が空いたので、通りがかりの農家に食べ物を所望すると、その家の主人が即座にとき卵を焼いて差し出した。その手際良さに驚いた国王が「ケル・オム・レスト(何とすばやい男だ)」と叫び、この「オム・レスト」がオムレットになったという説です。こちらの方が、説明としてはスッキリしますね。
 まぁ、この手の話は《事実かどうか定かではないが、覚えておけば酒の肴ぐらいにはなるだろう》とのことです。



平成30年4月13日(金)

        噴 火 前 兆


 目に見えぬを 花も揺れ

 富士の峰 火山性微動

 恐るべき威や 声あらず

 掴まりて立ち 歩蹌踉けむ


       めにみえぬを はなもゆれ
       ふしのねくわさん せいひとう
       おそるへきゐや こゑあらす
       つかまりてたち ほよろけむ


 昨晩たまたま点いていたテレビで、TBS系『プレバト!!』の春の俳句タイトル戦を少しだけ観ることが出来ました。番組をご覧の方はご存知でしょうが、優勝したのが東国原英夫氏の次の一句です。

   花震ふ 富士山 火山性微動

 採点者の夏井いつき先生も絶賛の出来映えで、詩になりにくい科学用語「火山性微動」を句に活かした点が素晴らしいとのことでした。「花」「富士山」というありふれた取合せから一転して地震の恐怖へとつなげる句の展開、「微動」から「震ふ」へと遡って呼応する句の構成が評価のポイントだったようです。
 私もこの俳句を見て強烈な印象を受け、いつの間にか頭の中で「くゎざんせいびどう」と仮名に置き換えていました。一句をそのまま新いろは歌に詠み込めたら面白いけれど……、「ふるふ」「ふじさん」「くゎざん」では「ふ」「さ」「ん」の三字が重複するなぁと思いつつ、昨夜は眠りに就きました。
 下手な考えも一晩寝かせたのが良かったのか、今朝目覚めて一気に詠み上げた今日の一首≠ナす。完全な二番煎じですが、なんとか形にはなったと思います。
 それから、蛇足になりますが、上の画像は尼崎市内の桜でごまかしました。私、未だに本物の富士山を間近に見たことがないんですぅ(泣)。



平成30年4月12日(木)

        尼 崎 並 木


 薄紅色し 花水木

 美観新た 揺れけるを

 微風止まぬ この胸も

 幸覚えゐて ふと笑めり


       うすへにいろし はなみつき
       ひくわんあらた ゆれけるを
       そよかせやまぬ このむねも
       さちおほえゐて ふとゑめり


 尼崎市の公式ホームページによると、
《4月から5月に白や淡紅の花のような大型の総苞が美しく、秋には紅葉し、赤い実をつけるなど、四季の変化に富んでいる。市民選定投票で圧倒的多数であった。緑化空間の比較的狭いところでも植栽可能である。》
 との理由で、平成五年一月十八日にハナミズキ≠ェ「市の木」として選定されたそうです。
 ここ数日、美しく咲くハナミズキをあちこちで目にするので、それなら一首詠んでみようと思い立ち、以下の新いろは歌を作りました。

   開ける市花 そよ風で    ひらけるしくわ そよかせて
   数多揺れゐぬ 花水木    あまたゆれゐぬ はなみつき
   薄紅色や この胸も     うすへにいろや このむねも
   幸を覚えん ふと笑めり   さちをおほえん ふとゑめり

 わりとすんなり出来上がったなぁと喜んでいたところ、ある致命的なミスが……!
 なんじゃ、こりゃぁぁぁぁぁ! 無意識のうちに「市の木」を「市花」にしてしまったのです! 尼崎市の市花はキョウチクトウ≠ナ、ハナミズキは市の「木」なんですよ!
 三省堂『新明解国語辞典』でも《赤(白)の四枚の苞(ホウ)が花のように見える》と説明されているように、よく「花」と間違えてしまいます。
「市花(しくゎ)」という語を外して仮名を組み替えるのに四苦八苦。さんざん苦労した揚句の今日の一首≠ナす……。



平成30年4月11日(水)

        軒 下 犇 合


 燕の雛ら 巣で寝終へ

 威勢良さ見ゆ 顔揃ふ

 艶に舞うたる 親戻り

 口開け群れし 声沸きぬ


       つはめのひなら すてねをへ
       ゐせいよさみゆ かほそろふ
       えんにまうたる おやもとり
       くちあけむれし こゑわきぬ


 家の郵便受けに「兵庫県民共済」のパンフレットが入っていました。その表紙には、可愛いツバメのヒナが黄色い口を大きく開けて、巣に三羽並んだ写真が出ていました。それを見た途端、無性にツバメの歌が詠みたくなったのです。
 毎年この時季になると、ツバメのことを思い出します。阪神電車尼崎駅北出口には、今年もツバメが来ただろうか……。あるいは、いつか見た尼崎市大庄北のお好み焼屋さんの軒下には、今もツバメの巣があるのだろうか……。我が家にはなかなか巣を懸けてくれないけれど、黒い翼をひるがえし、低空飛行する姿を時々見かけます。おしゃれで、人里に親しみ、縁起の良い鳥。ツバメが来ると家が栄え、幸福を運んでくれると、昔からよく聞きました。親鳥の気配を察してすぐに大きな口を開け、騒がしく鳴き合うヒナたちの姿を見るにつけ、ああ、これが幸せな家庭の象徴なんだなぁと感じます。
 淡路夢舞台でも黒いツバメを見かけました(右の画像)。レストラン花屋敷の軒下のビスに、一羽の親鳥が留まっています。巣も、ヒナたちも見えませんでしたが、少し離れたところで賑やかに鳴き立てる声を聞いたのです。その可愛い鳥たちの喉の震えと、麗らかな淡路島の空気が、今もこの胸によみがえって来ます。
 こうした思いを全部詰め込み、わりとすんなり詠み上げた今日の一首≠ナす。



平成30年4月10日(火)

        郷 愁 之 苑


 知らぬ間に咲む 蓮華草

 微風の田居 寝転ぶや

 天へ挑みて 鳴く雲雀

 気持ち和するを 悦覚ゆ


       しらぬまにゑむ れんけさう
       そよかせのたゐ ねころふや
       あめへいとみて なくひはり
       きもちわするを えつおぼゆ


 尼崎市南清水を自転車で走っていて、細い枝道の果てにレンゲ畑を見つけました。その途端、懐かしさで胸がいっぱいになりました。子供の頃はよくレンゲの絨緞に寝ころがって、抜いた花弁の蜜を吸ったり、耳元に花虻の羽音を感じたり、目の前に広がる春霞の空に雲雀の姿を探したりしました。想えば長閑な時代でした。今はもう、そんなこと出来なくなってしまったなぁ……と、しばし郷愁に浸りました。
 さて、レンゲソウについて調べていたら、次のような逸話が見つかりました。青春BEST文庫『花[FLOWER] 面白すぎる雑学知識 なぜ母の日はカーネーションか?!』(博学こだわり倶楽部 編) にあったその話(ギリシャ神話らしいですが、明示されていません)を要約すると……。
《ドリュオペーとイオレという名の姉妹が、水辺に咲いたレンゲソウを摘んだところ、花から血が流れた。ドリュオペーは驚いて逃げようとしたが、足がみるみるうちに花と一体化し、草になってしまった。実は、このレンゲソウは、嫌いな男から逃れようとした妖精が花に身をかえたものだったのだ。ドリュオペーはイオレにそのことを告げ「もう摘まないで」と言い残したという。》
 悲しいというか、無気味な内容です。
 一方、レンゲソウといえば「手に取るなやはり野に置け蓮華草」の句が有名ですね。これは、播磨の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとした友人をいましめて作った俳句と伝えられるそうですが……(旺文社『成語林 故事ことわざ慣用句』を参照しました)。
 偶然の一致でしょう、しかし不思議ですね。遠く離れた西洋と東洋、状況も理由も全く違うのに摘んではならない≠ニされる花が、どちらもレンゲソウ≠ニいうのは!



平成30年4月9日(月)

        春 日 遅 遅


 娘と出掛け 好い日に居

 二人歩みぬ 我笑まん

 母子の名を持つ 草ら生え

 地へ根下ろせる 御形ぞ


       むすめとてかけ よいひにゐ
       ふたりあゆみぬ われゑまん
       ほしのなをもつ くさらはえ
       ちへねおろせる こきやうそ


 先日、子供と手をつないで散歩に出掛けた時、道端の母子草〔=御形(ごぎょう)〕に目が留まりました。小さい花ながら、その鮮やかな黄色と見事な咲きっぷりにはまったく恐れ入ります。されど母は強し≠ゥぁ……。
「ほら、お花!」
「きれいだねぇ!」
 私が女なら、今ちょうど母子≠ネんだがなぁと思いつつ、親子で花を誉めました。
 さてその母子草≠ニいう名前について、由来を少し調べてみました。
 まず小学館『日本国語大辞典』には、語源説として、
《(1) 葉に白毛があって乳児の舌に似ていることから〔名言通〕。(2) ハアカクサ(葉白草)の義〔言元梯〕。》
 とあります。(1)は赤ん坊が母親の乳を飲む様に見立てているのでしょう。(2)の「白」は「明(アカルイ)」に通じるので「アカ」とも読むわけです。
 大泉書店『花ことばミニ辞典』(中山草司 著) には、
《先に芽生えた株の周りに、次々と伸びる小さな芽が、母を追って寄り添う子どものような印象を与えるところから、ははこぐさ≠フ名がつけられました。》
 と紹介されています。また、『講談社版 カラー図説日本大歳時記 座右版』には、
《父に先立たれた母子が、寄り添って挫けずに生きている面影とも見える。》
 との感想も述べられていて、面白いなと感じました。
 さらに、私は『広辞苑(第六版)』に挙がっている漢名「蓬蒿」の語に注意が行きました。音韻変化の問題もあるということです。「ほうこう(蓬蒿)」の発音が「ははこ(母子)」に転じたのではないか……、と。
 無論、どれが正解というわけではありません。むしろ全部が正解なのでしょう。白い綿毛に包まれた葉や茎の優美なイメージ、寄り添って咲く健気な様子、そこに母子≠フ姿を重ね合わせるというのは、至極自然な発想だと思います。



平成30年4月8日(日)

        今 春 最 後


 油で土筆 炒めゐむ

 稀有の珍味ぞ 我笑顔

 悦びを得 採り止まぬ

 お庭へ根差せる 杉菜萌ゆ


       あふらてつくし いためゐむ
       けうのちんみそ われゑかほ
       よろこひをえ とりやまぬ
       おにはへねさせる すきなもゆ


 庭の片隅が緑に覆われ、杉菜の原が出来ました。土筆の季節もとうとう終わりです。
 あともう一回ぐらいご飯のおかずになればと思い、杉菜を掻き分けるようにして探してみたのですが、辛うじて十本見つけただけでした。十本かぁ……。これで今春の土筆は採り納めです。
 小学館『食の医学館 体に効く食品を全網羅』(本多京子 著) によると、土筆はカロテンを多く含み、食べると体内でビタミンAに変わる、とありました。また、カルシウム、鉄分などミネラルも含み、食物繊維が豊富なので、美肌の維持、便秘の改善、利尿に効くとも出ています。私はただ美味しいから食べているのであって、薬効など考えたこともありませんでした。
 食べ過ぎると良くないとも聞きますが、薬も過ぎると毒になるというのは、いわば当然のことでしょう。なにも土筆に限ったことではありません。それに、土筆は食べるまでにかなり手間が掛かりますからねぇ、食べ過ぎたくても食べ過ぎられないですよ、実際!
 淀川の広い土手など、多く生えている場所で土筆採りをすると、二時間も採ったら(千本以上採れますが)クタクタになります。それを持って帰って、今度は一本々々、茎に付いているハカマ(かたい薄皮)を取り除く作業に四〜五時間費やします(自分一人で行うと、そのくらい掛かります)。目が疲れ、指先が痛くなり、首や肩が凝ってしまいますよ……。そのあと水洗いして、何時間か水に浸けておき、灰汁抜きをします。そして水切りをし、我が家の場合は油炒めにして醤油で味付けし、やっと食べられるわけです。
 こんなに苦労したんだから、いっぺんに食べてしまったりしませんよ! 楽しみながら少しずつ味わうわけで……!(千本以上でも、調理をすると大した量にはなりません)
 今日採った十本は、ほんとに貴重な、春の名残りを惜しむ十本です!!



平成30年4月7日(土)

        遅 咲 観 賞


 染井吉野も 見頃過ぎ

 風に花散りぬ 疾う覚ゆ

 訪ね歩いて 八重桜

 今日を艶美 我笑まむ


       そめゐよしのも みころすき
       かせにはなちりぬ とうおほゆ
       たつねあるいて やへさくら
       けふをえんひ われゑまむ


 今年の桜は咲き始めも早い分、散るのも早かったですね。これでは入学式の頃は「花吹雪」ではなくて、季語で言うところの「桜蘂(さくらしべ)降る」になりそうです。代わりに今は八重桜が満開となりました。通りすがりの民家で咲き誇るのを、毎年塀越しに見せてもらっています。綺麗!
 ところで、八重桜と聞いていつも思い出すのが、松尾芭蕉の句「奈良七重七堂伽藍八重桜」です。
「なら」「ななへ」が韻を踏んでいるとか、「七重」「七堂」が重ね字になっているとか、さらに「七重→八重」が伊勢大輔の和歌「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」の「八重→九重」を踏まえた上での作であるとか、仮名を用いず漢字ばかりで見た目にも重厚さを表現しているとか、工夫を凝らした様々な技法は諸本が指摘する通りです。
 ただ、「七重」の解釈がもう一つはっきりしません。いったい何が、七重(=多く重なっている)なのでしょうか。岩田九郎著『諸注評釈 芭蕉俳句大成』(明治書院刊) を参照したところ、奈良朝七代を指すとする説、南都七大寺とする説、仏経で説かれている極楽の荘厳さを形容する言葉であるとする説、立て込んだ街並とする説、植物の繁茂に用いる形容詞とする説など、数多くの考察がそれこそ七重≠ノ紹介してありました。
 私は単純に、重なり合う奈良の山々を指していると思ったんですけどねぇ。倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだとされる「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし」の歌を、なんとなく思い浮かべながら……。



平成30年4月6日(金)

        奇 跡 星 館


 緑植ゑられ 歓べる

 その温室 眺め居て

 ハアブ茶温げ 胸浸す

 まさに清気得 和も覚ゆ


       みとりうゑられ よろこへる
       そのをんしつ なかめゐて
       はあふちやぬくけ むねひたす
       まさにせいきえ わもおほゆ


 淡路島小旅行で、もう一つ歌に詠んでおくべきものがあったなぁと思い、一首捻ってみました。
「兵庫県立淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館」です。ここでは貴重な珍しい植物が数多く育てられていて、かなり見応えがありました。順路に従い三階から一階まで観賞しつつ下りて来ると、優に一時間半は掛かるでしょう。日頃あまり目にすることのない熱帯植物などを間近に眺め、悦に入ります。
 特に印象に残っているのは、細長い葉に鋭い棘がいっぱい付いた「プヤ・チレンシス(チリ原産)」、丸い大きなサボテン「金鯱(メキシコ原産)」、エメラルドグリーンの花が垂れ下がる「ヒスイカズラ(フィリピン原産)」、樹の根が蛸の足に見える「ビヨウタコノキ(マダガスカル原産)」等々です。
 二階には「ミラクルプラネットカフェ」という喫茶店があり、そこでハーブティーを味わいました。私が飲んだのはダイヤモンドブレンド≠ニいうメニューで、アップル、ローズヒップ、ブラックカラント、ヒース、レッドグレープリーフ、ジャーマンカモミール、ハイビスカス、リコリス、マローブルー、ステビアリーフ、以上十種の素材が配合されたものです。カタカナの植物名を見ても、アップルとハイビスカスぐらいしか分かりませんが……(苦笑)。お茶は透明な薄紅色で、ガラスのカップへ注ぐと一層透き通り、なんとも爽やかな味がしました。ガラス張りのテーブル、一階中庭を見渡せる席、明るくゆったりとした気持ちになって、しばらく香りを楽しみました。
 眺めても良し、味わっても良し、やはり植物は癒やされますねぇ……!

  

  



平成30年4月5日(木)

        八 島 之 始


 伊弉諾ら居て 国生まれ

 夢を満たすと 笑顔せり

 神話想へる 胸悦や

 今日その淡路 喜びぬ


       いさなきらゐて くにうまれ
       ゆめをみたすと ゑかほせり
       しんわおもへる むねえつや
       けふそのあはち よろこひぬ


 さすがは淡路島ですね。四月三日に一泊したウェスティンホテル淡路の2Fロビーに『国生み神話 日本のはじめと淡路島』という絵本が置いてありました(廣岡徹 監修/投石文子 編著/進藤晃子 絵/にこちゃん塾 財団法人淡路21世紀協会 発行)。

《伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)が、夫婦になって、日本で最初に生まれた「淡道之穂之狭別嶋(あわじのほのさわけのしま)」、それが「淡路島」です。稲穂のよく育つ、豊かな島になりました。
 伊弉諾と伊弉冉は、仲良く暮らし、どんどん島を生んでいきました。
 伊予の島、隠岐の島、筑紫の島、壱岐の島、対馬、佐渡の島、最後に大和の島を生みました。
 こうして日本の国、大八島国ができました。……》

《多くの島と、神様を生むという、国生みの仕事が終わりましたので、伊弉諾は、最初につくった立派な島「淡路島」の多賀の地で、お休みになることにしました。

 これが、日本の国のはじまりのお話です。》

 この国生み神話≠ノ触発され、一首詠んだ次第です。
 ホテルでは朝五時前に目覚め、そのまま一人で散歩に出ました。山の斜面に棚田のように造られた百の花壇「百段苑」を散策、空中回廊から夜明けの風景を見渡しました。そのあと海の方まで下りて行き、大阪湾の日の出も拝んで来ました。神話浪漫に浸りつつ、久しぶりに暁、あけぼの、朝ぼらけの風情を充分に味わえました。




平成30年4月4日(水)

        花 乃 中 海


 白鳥の船 漕ぎつるに

 少と足重め 池広さ

 微風を為す 我ら笑む

 牡丹百合見え 山辺居ぬ


       はくてうのふね こきつるに
       ちとあしおもめ いけひろさ
       そよかせをなす われらゑむ
       ほたんゆりみえ やまへゐぬ


 淡路夢舞台、国営明石海峡公園内にある大きな池「花の中海」で、スワンボートに乗りました。白鳥の形をした、足漕ぎの船ですね。この手のボート、実は今回初体験です。
 要領が分からないので、最初のうちは大変でした。足は重くて漕ぎにくいし、ハンドルがなかなか回り切らず、船が正面から岸に当たってしまい、二進も三進も行かなくなりました。桟橋から係員さんが、
「バックして下さ〜い!」
 と呼び掛けてくださったので、その時はたと気が付いたのです。そうか、逆回転か!
 自転車のペダルは逆回転では漕げないので、この船もそうだろうと、勝手に思い込んでいました。なんだ、バック出来るんだ!
 もう一つ気づいたのが、ボートのペダルは隣の席と連動しているということです。左右に座った二人が別々に水流を操るのかと勘違いしていました。一人で漕いでも、二人で漕いでも、進む方向は全く同じなんですね! あぁ、そのためにハンドルがあるんですね!
 いわば当り前≠フことに気づき、自分で自分に感心した次第です。
 今回の体験でよく解ったこと。
 一、先入観は恐ろしい。
 二、押しても駄目なら引いてみろ。



平成30年4月3日(火)

        海 峡 公 園


 紅 黄色 薄紅ら

 牡丹百合好げ 美を咲かせ

 この和想ふと 胸悦や

 愛で笑みぬるぞ 淡路島


       くれなゐきいろ うすへにら
       ほたんゆりよけ ひをさかせ
       このわおもふと むねえつや
       めてゑみぬるそ あはちしま


 親子三人で一泊二日の小旅行をしようということになり、淡路島の国営明石海峡公園へやって来ました。神戸三ノ宮駅前から淡路夢舞台前まで、高速バスで四十五分、着いてみると案外速いもんだなぁと実感しました。
 広々とした公園、見渡す限りのチューリップ畑はさすがに見事です。煩雑な日常を忘れ、メルヘンの世界に居る気がします。赤、白、黄色、ピンク、オレンジ、薄紫に濃紫、色鮮やかなチューリップ(別称「牡丹百合」)にムスカリの青も加わり、丘が虹の帯を成しています。園内には変化に富んだ遊歩道が設けられ、花の中海、花の丘道、花の島、大地の虹、滝のテラス、ポプラの丘、陽だまりの丘、月のテラス、天壇テラス、春一番の丘、空のテラス等々を見て回るようになっています。一日では回りきれない広さです。
 日差しの下でのんびりくつろぎ、やがてお腹が減ったので、レストラン花屋敷で淡路牛カレーと淡路麦酒をゆったり味わいました。
 食事中、妻がつぶやきます。
「家の庭も、このぐらい広かったらいいのにね」
 固定資産税、いくら掛かるんだ……。
「私は花よりも、もっと美しくなりたいわ」
 素材が違うので、最初から比較にならない……。
 何を夢みたいな事ばかり言うんだろうと、半分あきれてしまいましたが、よく考えたらここは夢舞台≠ナした!(笑)

  

  



平成30年4月2日(月)

        塚 新 繁 華


 トンネル成すや 桜花咲き

 伊丹川も 抜けて居り

 シヨツプの街 美覚えゐ

 夢揃へられ 声にせむ


       とんねるなすや あうくわさき
       いたみかはも ぬけてをり
       しよつふのまち ひおほえゐ
       ゆめそろへられ こゑにせむ


 尼崎市塚口本町にあるショッピングセンター「つかしん」へ、食事がてら時々買い物に行きます。商業施設は「にしまち」と「ひがしまち」に分かれていて、その間を流れるのが伊丹川です。川といっても細い水路で、日頃あまり意識したことがありませんでした。「伊丹川」という名前も、私は昨年秋に初めて知りました。川の脇に立っている表示板の説明文を引きます。

       一級河川
      伊 丹 川
      ITAMI RIVER

  この伊丹川は、細い川で、決して
  清流ではありませんが、大きな街
  を南北に横切るせせらぎとして、
  生きた川の魅力があり、その川沿
  いに葉を繁らす柳並木も50年の
  歴史を感じさせてくれます。

       つかしん
      TSUKASHIN

 川沿いの道は「せせらぎ通り」、中庭は「カリヨンガーデン」(時を告げる組鐘カリヨン≠ェ設置してあります) というそうで、なかなか風流ですね。
 今、その伊丹川沿いの桜が見頃です。満開の枝がトンネルのように川を覆う様はほんとに綺麗です。花吹雪を受けながら下の道を歩いたり、川を跨ぐ二階の連絡橋から花の雲を見渡したり、しばしゆったりとした気持ちにしてくれます。夜はライトアップもしているようです。
 それにつけても、伊丹川かぁ……! こんな細い川にも立派な名前があったんだなぁと思うと、なんだか嬉しくなりました。



平成30年4月1日(日)

        想 発 送 元


 遠いお店 新潟より

 来ぬる 電池パツクやな

 空を白うす この朝明

 我胸燃えゐ 夢へ笑まふ


       とほいおみせ にひかたより
       きぬるてんち はつくやな
       そらをしろうす このあさけ
       われむねもえゐ ゆめへゑまふ


 携帯電話用の電池パックをネットで注文したところ、早速届きました。注文する時には意識していなかったのですが、発送元がなんと新潟県小千谷市≠ノなっていました。遠い所からはるばると私の元へ送られて来たんだなぁと、改めて感じ入りました。情報網と輸送機関の発達は、ほんとにありがたいですね。
 今使っているケータイを買ったのが、平成二十五年十一月。今年で使用六年目になります。昨今は新しい機器がどんどん開発され、機能が充実し、次々と新機種に買い替えるのが普通になって来ました。「ガラケー」などと呼ばれ、普通の携帯電話はだんだん取り残されつつあります。私は「ガラケー」という言葉自体、意味が分からず、絵柄の付いたケータイのことかと誤解していました。念のために、旺文社『現代カタカナ語辞典』(電子辞書) を引きます。
《日本特有の多機能携帯電話を、自嘲的な意味を込めて使う。日本の中だけで独自に進化をとげ世界標準から掛け離れてしまった携帯電話を、独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の生物に例えている。略してガラケーとも言う。》
自嘲的な意味≠ナすか……。
 いいじゃないですか! ガラパゴス諸島も貴重な世界遺産なんですからね!
 電池パックある限り、私はこのガラケーをずっと愛用するつもりです。使い続けるほど、一層愛着を覚えるのでねぇ。今のところ、スマートフォンは必要ありません。



 2018年4月 1日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 8日 9日 10日 11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日 29日 30日

前月へ 翌月へ HOME

inserted by FC2 system