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出来立て!今日の一首

〜平成三十年五月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜

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平成30年5月31日(木)

        涼 味 弁 当


 気持ちを円く 安値好げ

 お稲荷さん 和蕎麦セツト

 買うて得たらむ 昼飯に

 笑み溢れゐぬ 野辺歩ぶ


       きもちをまろく やすねよけ
       おいなりさん わそはせつと
       かうてえたらむ ひるめしに
       ゑみこほれゐぬ のへあゆふ


 これから夏場はざるそば≠ナす! 蕎麦好きの私などはお昼の弁当に、コンビニのざるそばパックを買う機会も増えるでしょう。昨日食べたのが、ローソンの「ざるそばとおいなりさん」。稲荷鮨が三個付いて四百九十八円! ざるそばだけでは少し物足りないけれど、油揚げとご飯の甘味がそこそこ食欲を満たしてくれます。毎日食べても飽きない品目です。
 さて、今回ちょっと感動したのが「おいなりさん」の語です。これ、ちゃんと『広辞苑(第六版)』にも載ってるんですねぇ! 意味は《@稲荷神社の俗称。A稲荷鮨のこと。》とあります。このAです! 人間以外のものに丁寧語の「お」と敬称の「さん」まで付ける「お〜さん」という言い方って、滅多に無いでしょう? 人間の場合なら、「お父さん」「お母さん」のように関係を表す言い方、「お医者さん」「お菓子屋さん」のように職業を表す言い方、「お早うさん」「お疲れさん」のように挨拶を表す言い方はありますが……。人間以外のもので、私が思い付くのは「お豆さん」「お芋さん」「お粥さん」ぐらいですね(関西方言かな?)。「おいなりさん」が『広辞苑』に取り上げられたのは、神社≠ニいう本来の意味と、鮨≠ニいう付随した意味と、二つの意味があって解説を要するからでしょう。意味が一つだけなら、わざわざ「お〜さん」の形で取り上げる必要はありませんからね。
 ともかくも、鮨の「おいなりさん」という呼び方が市民権を得ていると知り、自分のことのように嬉しく思いました。単に「いなり」だけでは少しよそよそしいですし、「おいなりさま」では恐れ多くて食べられないでしょう。親しみと愛情のこもった「おいなりさん」という表現こそが、あの甘酸っぱい味にはぴったりだと、改めてそう感じました。



平成30年5月30日(水)

        涼 膳 満 悦


 安値頼むを 味も好げ

 駅前手頃 店に居ぬ

 食らふカツ丼 冷ゆる蕎麦

 我美味しさ得 猶笑めり


       やすねたのむを あちもよけ
       えきまへてころ みせにゐぬ
       くらふかつとん ひゆるそは
       われおいしさう なほゑめり


 昨日仕事帰りに食べた、阪急そば武庫之荘店の「カツ丼定食」を題材に一首詠みました。カツ丼に、そばかうどんが付いていて、六百二十円。麺は温かいのと冷たいのがあって、今回は初夏らしく冷たいそばを選びました。そばはあっさり涼しく、丼は温々で食べ応えがあり、充分美味しく満足しました。私は手軽に味わえる、蕎麦屋のカツ丼も大好きなのです。
 文春文庫『B級グルメのこれが美味しい! 純性東京5大丼3大ライスを探せ』(文藝春秋 編) には、一般的な蕎麦屋のカツ丼についての考察が載っていて、大いに共感を覚えました。「個性がないから万人に愛された」と題するその文章を、少し引用させていただきます。

《とんかつ屋に比べると、蕎麦屋のカツ丼は個性に乏しい。とんかつ屋は原則として揚げ立て、蕎麦屋は揚げ置きのカツを使うということが、そのことに大いに関係しているようである。とんかつ屋のカツ丼は、揚げ立てのコロモはパリッとして、肉も熱々で、目鼻立ちがしっかりしたものになりやすいのに対し、蕎麦屋のカツ丼は、揚げ置きのカツから余分な油が抜け落ちた分だけ、肉もコロモも丼つゆによく滲み、味が丸くなりやすい。いわば、とんかつ屋はカツが自己主張する=A蕎麦屋は協調的で出しゃばらない<Jツ丼になりがちなのである。》
《個性を殺したところに生きる道を見出したとでもいうように、それらは一見何気ない。しかし、肉のエキスとコロモの油とタマネギの精気とが沁み出し味覚の複合物となったつゆで、まんべんなく浸されたカツや卵やごはんを、一気呵成にかきこんでいくうちに、その何気なさが実に危ういバランスの上に築き上げられているのがわかってくる。固まるか固まらぬかの軟弱な卵、しんなりとして甘味を帯びたタマネギ、ほかほかで粒が立ったごはん、とろけ、ふやけたコロモ、野性味を一歩殺した肉が、誰が先頭に立つでなく一体となって、甘辛のつゆに一切身をまかせたグジュグジュの混沌。無個性という個性、主張のない主張とでもいうのか、カツから輝きが失せることで生まれるこの微妙な均衡こそが、蕎麦屋のカツ丼のうま味の真髄なのだ。》

 いやぁ、名文ですねぇ! 一気呵成に掻き込む感覚、グジュグジュの混沌……。言われてみると確かにそうだなぁ……と、改めて感じ入りました。
 大衆食堂系の味を、侮ってはいけない! 私自身、常にそう思っています。



平成30年5月29日(火)

        野 性 之 蕾


 芽出で根付きぬ 棘多し

 薊の花ら 我好くぞ

 咲むを待ちゐる 艶美萌ゆ

 風に歌ふや 歓べり


       めいてねつきぬ とけおほし
       あさみのはなら われすくそ
       ゑむをまちゐる えんひもゆ
       かせにうたふや よろこへり


 同じトゲのある植物でも、バラやサボテンは大切に育てられるイメージが強いですが、アザミは頭から不要な雑草≠ニして厄介者∴オいされている気がします。たまに近所の道端で見かけても、数日後にはきれいさっぱり抜き捨てられていたりして、なかなか花盛りにはお目に掛かれません。私はアザミが大好きなので、いつも残念に思っていました。
 それなら庭で育てようと、たまたま摂津市の道路脇で採って来た種を、家に持って帰って撒きました。三年前のことです。それが運良く芽を出してくれて、一昨年、昨年と、楽しみに花咲く季節を迎えています。今年ももうすぐ紅紫色の蕾が開きそうです!(上の画像)
 青春BEST文庫『花[FLOWER] 面白すぎる雑学知識 なぜ母の日はカーネーションか?!』(博学こだわり倶楽部 編) を見ると、
《アザミは、『旧約聖書』ではイバラとともに冷遇されている。禁断の実を食べたアダムとイブはエデンの園から追放されたが、そのとき神はその呪われた土地にイバラとアザミを生やすと宣言したくらいである。ギリシャ神話のなかでも、不毛のシンボル≠フ意味で用いられている。》
 とあります。その一方で、アザミの花に救われた国家≠フ話も紹介されていて、面白いなと思いました(やはり捨てる神あれば拾う神あり≠ナすね!)。
《十三世紀のことだった。スコットランドのアレキサンドロス王の城が、ノルウェーの兵隊たちに包囲されてしまった。彼らは城を落とそうと、さらに侵入をはかる。
 お濠に入るために裸足で突き進んだところ、お濠には水がなく、代わりにアザミが一帯に生えていた。裸足でアザミを踏んだ兵士たちはトゲの痛さに悲鳴をあげた。
 そのとき、すかさずスコットランドの兵士は反撃しノルウェー軍を敗退させたのだ。》
 それでアザミは、スコットランドの国花になったということです。
 ちなみに、日本語の「あざみ」という名の由来については《アラサシモチ(粗刺持)からという説、トゲの多いのをアザム(惘む=あきれる)ことからつけられたという説》があるそうです。――こちらは『花ことばミニ事典』(中山草司 著、大泉書店) より引用しました。



平成30年5月28日(月)

        香 辛 揚 麭


 カレエパン恋ひ 良きをも得

 熱すや割りて 食べゐるぞ

 美味しさ蕩け 味に載せ

 夢膨らまむ 猶笑みぬ


       かれえはんこひ よきをもう
       ねつすやわりて たへゐるそ
       おいしさとろけ あちにのせ
       ゆめふくらまむ なほゑみぬ


 昨日、今日と、カレーパンを買いました。そしてふと思ったのです。こりゃあ盲点≠セったなぁ……と。新いろは歌を作り始めて二十一年、今までにカレーパンの歌を詠んだことがなかったんですよね。私はカレーと名の付くものが大好きなのに……。それで、一首捻ってみました。
 今回、またまたショックだったのが、辞書に「カレーパン」の語が見つからなかったことです!(先々週に天津飯ショック≠味わったばかりです!)。『広辞苑(第六版)』でも「あんパン」「ジャムパン」「メロンパン」などは載っているのに、「カレーパン」はありません!(『それいけ!アンパンマン』に出てくるカレーパンマンも悲しんでいることでしょう。泣)
 それと、不思議に思ったのが、買った商品の袋の裏に書いてある名称≠ナす。
 フジパンの「金城軒カリーパン」では油菓子≠ニなっていて、まぁ無難な表記ですね。ところが、神戸屋の「牛ほほ使用 ビーフカレーパン」および、山崎製パンの「肉と野菜の旨み ビーフカレーパン」ではドーナツ≠ノなっているんです! えっ? カレーパンて、ドーナツの一種なのでしょうか? こりゃ一体全体、ドーナッてるの???
 その疑問はさておくとして――。カレーパンの歴史については、井上宏生 著『面白雑学 カレーライス物語』(双葉文庫) に詳しく出ていました。
《カレーパンはヨーロッパから伝わったのでも、日本にいた外国人が発明したのでもなく、東京の下町、深川でうぶ声をあげている。
 昭和二年(1927)、名花堂の二代目、中田豊治が発明したのだ。》
《彼はカレーいりのパンを油で揚げたのである。それまでのパンはオーブンで焼くものだっただけに、パンを揚げるという発想はユニークだった。》
 筆者は下町の人たちの順応力とアイデアにはただただ驚くばかりだ≠ニも述べています。
《額から汗がしたたり落ちる夏、ふっと街のパン屋をのぞき、カレーパンを発見し、反射的にカレーパンを買ってしまい、思わずかじりつき、やがてカレーの味が舌にからみつくときの感動……、その歓びは専門店の高級カレーにも負けない。》
 言い得て妙の名文ですねぇ! 胸に沁み入るカレーパンへの愛情……。まったく同感です!!



平成30年5月27日(日)

        新 鮮 薬 味


 生姜輪切り それら猶

 麺汁漬る 悦ぶを

 お酒の宛に 少と食へば

 胸燃え笑みぬ 威勢増す


       しやうかわきり それらなほ
       めんつゆひたる よろこふを
       おさけのあてに ちとくへは
       むねもえゑみぬ ゐせいます


 私が作った生姜漬け≠ナす!(上の画像)
 といっても、大して手間は掛かりません。スーパーで買って来た新生姜を水洗いし、薄く輪切りにします。それを漬け汁に入れておいただけです。漬け汁は濃縮のめんつゆを、素麺を食べる時と同じく、汁1に対して水3の割合で薄めます。私はピリッと辛いのが好きなので、そこへ鷹の爪も1本入れておきます。あとはスライスした生姜を2〜3時間漬ければ、味も浸みてすぐに食べられます。本当は生姜を一度湯がいて灰汁抜きをしてから漬け汁に浸したほうが良いのでしょうが、私は全く気にしません。なるべくなら自然のまま≠ェ一番だと思っています。
 新生姜は好いですね! 単に画像を見ているだけで、食欲が湧き、元気が漲る気がします。ほとんどパブロフの犬¥態ですよ。生姜をおかずに、白いご飯が無性に食べたくなって来ました(歌では「お酒の宛に」と詠みましたが、今は炊き立てのご飯が欲しいです! あとは何も要りません!)。
 しかし、俳句では「生姜」は秋の季語なんですよね。『角川俳句大歳時記』を見ると、
《七月頃に採ったものを新生姜というがふつう収穫期は秋である。その香り、清新な辛味は確かに秋を感じさせる。》
 との説明がありました。私は毎年初夏を待ちかねて新生姜を買いに行きますが、今の時期に出回るのはハウス栽培ということでしょうね。なんだか夏の季語のように誤解してしまいます。目には青葉 山ほととぎす 新生姜!≠ンたいに思っていました……(笑)。
 生姜の薬効については、小学館『日本大百科全書』に、
《胃健、利尿、鎮嘔(ちんおう)、鎮咳(ちんがい)、発汗剤として感冒、慢性胃腸炎、慢性気管支炎、嘔吐、つわり等の治療に用いる。》
 などと書かれていました。私はもう、さっきからお腹がぐうぐう鳴っています。やっぱり「胃健」は確かなようです!
 生姜は英語で「ジンジャー(ginger)」。「神社」みたいで、御利益があるかもしれません!(笑)



平成30年5月26日(土)

        奇 怪 植 物


 夢魔多き森 そこ訪ね

 ラフレシアを 見据ゑゐぬ

 一メエトルの 花咲かせ

 花弁広げて 余裕にや


       むまおほきもり そこたつね
       らふれしあを みすゑゐぬ
       いちめえとるの はなさかせ
       くわへんひろけて よゆうにや


 西宮の病院へ行った際に、廊下の待合席の前に置いてある棚から、小学館『キッズペディアこども大百科 大図解』という図鑑を引っぱり出しました。ページをめくるうち、ラフレシアの絵に目が留まります(上の画像)。あぁ、懐かしいなぁって。
 私がこの花の存在を知ったのは、小学一年生の時でした。父が『世界ふしぎめぐり 一年生』(中村浩 監修、渋沢青花 編著、偕成社) という本を買ってくれたのです(右の画像が、その表紙です。時代を感じさせる絵ですね……)。その中に「はなと はっぱの おうさま」という章があって、そこに「らっふるしあ(ラフレシア)」と「おおおにばす(大鬼蓮)」が紹介されていました。ラフレシアの部分を少し引用しましょう(原文はほぼ平仮名ばかりで読みづらいので、適宜、漢字や片仮名に改めました)。

《「旦那、すごく大きな花がある。早く来てご覧なさい。花の化け物です。」
 学者が飛んで行ってみると、これが花かと思われるような、不思議なものでした。
 草の中に、たった一つ、花だけがあるのです。
 花の大きさは、一メートルもあって、葉っぱも枝も付いていません。
 毒々しいレンガ色の花びらが、五つあって、真ん中の所には、水を入れたら、五リットルよりももっと入りそうな穴が空いています。花の匂いといえば、たいてい好い匂いがするものですけれど、この花は、まるで腐った肉のような、とても嫌な臭いをさせていました。
 これが、世界一大きな、ラッフルシアの花です。》

 今日はこの花の魔王≠題材に、一首詠んでみました。ところが……。
 自分でも忘れていたのですが、私は以前にもラフレシアの歌を作っていたことが判明しました。それを最後に添えたいと思います(以下の歌は、平成十五年六月二十三日詠)。

   肉の饐えゐる 香させをり   にくのすえゐる かさせをり
   地へ大き花 ラフレシア    ちへおほきはな らふれしあ
   身も蕩け来ん 熱帯で     みもとろけこん ねつたいて
   魔王笑むぞや 夢酔ひぬ    まわうゑむそや ゆめよひぬ



平成30年5月25日(金)

        水 辺 合 唱


 街の灯を避け 面白う

 闇愛で遊ぶ 澄む夜居ぬ

 田んぼ稲揺れ 月に映え

 蛙ら鳴くと 声和せり


       まちのひをさけ おもしろう
       やみめてあそふ すむよゐぬ
       たんほいねゆれ つきにはえ
       かへるらなくと こゑわせり


   月灯り青い岬に
   ママの眼をぬすんで来たわ
   真夜中に呼び出すなんて
   あなたってどういうつもり

   真面目にキスしていいの? なんて
   ムードを知らない人 ah…あせるわ

 松田聖子の歌「秘密の花園」(松本隆 作詞) が流行っていた頃、以下のなぞなぞを聞いたことがあります。
月灯りの青い岬で、一人の男性が松田聖子と待合わせをしていました。その男性は、あとからやって来た聖子ちゃんの顔を見て、非常に驚きました。なんと、聖子ちゃんの目が四つになっていたのです! なぜでしょうか?
 答えは……ずばり、歌詞の中にありますね! そう、ママの眼をぬすんで来た≠ゥらです(笑)。馬鹿々々しいけど、面白いですね。
 さて、今は俳句の季語で言うところの「蛙の目借り時」です。『角川俳句大歳時記』の解説を引きましょう。
《春も深まる頃、人は眠くてたまらなくなる。これは蛙が人の目を借りてゆくからである、という俗説に基づく俳諧味のある季語である。》
 なんと! 蛙が人間の目を借りて行っちゃうんですよね(それなら、聖子ちゃんがママの目を借りて行っても不思議はないですよね。笑)。
 まぁ「目借り」とは、本来「妻狩る」(オスが妻を追い求める) あるいは「雌離る」(メスが追い回されて逃げる) の意味らしいですから、目ん玉とは関係ないんですけどね。漫画的な洒落ですね。
 夕方から夜にかけて、あちこちの水田で蛙たちがにぎやかに鳴く頃合いとなりました。私はこの蛙の合唱≠聴くのが大好きです。暗がりにたたずんで、少しも飽きません。蛙らも、私の目は借りないようですね。
 クェッ、クェッ、クェッ、クェッ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケケケケケ……と、にぎやかに鳴いているかと思えば、急にぴたっと声が止んで、しばらく静寂が続きます。そのうちに一匹が、辺りの様子をうかがうようにして、……ケロッ、……ケロッと声を立てると、それに応えるように何匹かが鳴き始め、やがて再び大合唱となるわけです。
 昨夜はちょうどいい具合に、月も出ていました。水の張られた田んぼには、稲の苗が綺麗に植えられ、遠くの家の灯りが水面に揺れていました。



平成30年5月24日(木)

        愛 児 安 心


 雨ゆゑ煙る 街広く

 ゴンドラは昇り 上で居ぬ

 怖れも癒やし 我が胸に

 絶えず幼き 身寄せつ


       あめゆゑけふる まちひろく
       こんとらはのほり うへてゐぬ
       おそれもいやし わかむねに
       たえすをさなき みよせつ


 子供と梅田ヘップファイブの観覧車に乗った日のことを、ふと思い出しました。
「観覧車、乗りに行こか!」と言うと、「行く!」と喜んでいた我が子。実際に乗り込んでしばらくは、珍しそうに周りを見渡し、目を輝かせていました。それが……。
 ゴンドラが高くなるにつれ、だんだんとおとなしくなり、「だっこ!」と言って私の膝の上に乗って来たのです。窓から外を眺めることもなく、私の胸に顔をうずめ、目を閉じてじっとしています。高い所が怖くなってきたのかもしれません。
 しかし怖がる様子はなく、抱いてやると安心したのか、ほんとに穏やかで居心地が好いように見えました。私も黙って背中を撫でてやりました。今この瞬間、この子を守ってやれるのは私しかいないんだなぁと、こんな私でも親らしい気持ちになりました。
 その時、国語の教科書(東京書籍『新しい国語 2』)に載っている短歌が一首、心に浮かんで来ました。

  観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)   栗木京子

 この歌の「君」と「我」はおそらく恋人同士でしょうが、これを親子関係に置き換えて解釈することも可能だなぁと思ったのです。まさに今、私自身がそれを実感しています!
 観覧車に乗ったことも、幼児にとってはたった一日の出来事で、すぐに忘れてしまうでしょう。潜在意識の奥底には残るかもしれませんが、大人になってもはっきり記憶しているということはあり得ません。
 ところが親にしてみると、子供を抱きしめた「想ひ出」は、それこそ一生残るでしょう。私はこの日の観覧車を、これからもずっと思い出すでしょう。この子が小さい時、こんなことがあったなぁ……と。
 子宝――。言葉にすると月並だけれど、子供はやっぱり宝≠ネんですね!
「我には一生」をしみじみと味わった、雨の五月十三日でした。



平成30年5月23日(水)

        白 秋 誕 生


 先づ「白」据ゑ 抽籤で

 引く「秋」を添へ 名にされたり

 想はぬ理由や この由来

 ふと誉め見ゐる 名前かよ


       まつしろすゑ ちうせんて
       ひくあきをそへ なにされたり
       おもはぬわけや このゆらい
       ふとほめみゐる ねえむかよ


 詩人・北原白秋の「白秋」という筆名は、古代中国の五行説にちなんだ名前だとばかり思い込んでいました。
 五行説というのは、万物は木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)の五つの元素から成り立っているとする思想ですね。つまり、あらゆるものに五つの要素があるわけです。例えば季節なら、春、夏、土用、秋、冬。方角なら、東、南、中央、西、北。色なら、青、赤、黄、白、黒。これらを対応させると、春の方角は東(春の風を「東風」と言いますね)、春の色は青(いわゆる「青春」です)というふうになって、秋には白が当てはまります。そこから「白秋」(=秋の異称) という語も生まれました。
 しかし、北原白秋の場合は、この五行説とは無関係であることが判りました! 佐川章 著『作家のペンネーム辞典』(創拓社) によると、
《明治三十四年(一九〇一)の冬、福岡県立中学伝習館在学中の白秋は、学友と回覧雑誌「逢文」を発行する。そのとき、この同人のうちで、これを機会にみんながペンネームをつけようという話がまとまり、全員揃って「白」の下に一字置く筆名とすることになった。その字をくじ引きにしたところ、彼は「秋」の字を引き当てたという。……》
 ぎぇ〜〜〜〜、ほんとかよ???
 びっくりですねぇ! なぜ「白」の下に一字置くことになったのか、そこのところが曖昧ですが、「白秋」の名が偶然の産物だったとは……!
 これは一首詠まねばなるまいと、即座にそう感じました。新いろは歌で由来説明をするのは結構大変でしたが、一応意味は通ったと思います。第四句目の「名前」の語は「ネエム」と読んで下さいね!



平成30年5月22日(火)

        目 覚 辛 味


 今朝この広い 青空は

 胸に和すやな 町へ行く

 愛づる大盛 牛カレエ

 笑んで店居ぬ 好しと食ぶ


       けさこのひろい あをそらは
       むねにわすやな まちへゆく
       めつるおほもり きうかれえ
       ゑんてみせゐぬ よしとたふ


 つい寝坊してしまい、目覚めるとすぐに寝室の窓を開け放ちました。ひんやりとした空気に触れて頭をすっきりさせるつもりが、また横になって、寝ながら窓を見上げると、窓枠の中が青一色です! なんか飛行機に乗っているみたいだなぁと、しばらく空≠フ感覚を味わっていましたが……。いい加減に起きなきゃダメですね!!!
 朝ご飯は、手っ取り早く外食にしました。一人だから、それでいいんです。このところ牛丼店に行ってなかったので、よし、行くぞと意気込みます! おかげで眠気も吹き飛びました。
 家から一番近いのが、すき家伊丹野間店です。大好きな牛あいがけカレーをいただきました。まさに期待通りの味です。これが今日の活力源です!
 あれ? お皿、変わったなぁ。以前は平たい大きな皿にカレーが薄く広がっていたので、ルーが冷めやすいのが難点でした。今日のお皿は一回り小さくてやや深みがあるので、熱々の状態が長く保たれて良かったです。
 あぁ、美味しかった! 休日じゃない日に、たまにはこんな朝食も、素敵に愉快です!
 時計を見ると、七時二十分。さて、仕事に行くか。
 こうして私はお店の前の道路を、自転車でひたすら南下してゆくのでした――。



平成30年5月21日(月)

        単 身 生 活


 空映え愛でん 夕餉頃

 妻子の笑顔 想へるに

 薄闇立ちぬ 胸甘く

 切なき夜を居 我独り


       そらはえめてん ゆふけころ
       さいしのゑかほ おもへるに
       うすやみたちぬ むねあまく
       せつなきよをゐ われひとり


 今日、妻が子供を連れて里帰りしました。遠くもあり、なかなか帰れる機会がないから、この際ゆっくりして来たらいいということになりました。あちらの両親も孫の顔を見て喜ぶことでしょう。
 私は単身赴任の経験がありませんが、今回はそれに近い心境です。自由な反面、帰宅しても誰もいないというのはやはり淋しいものですね。昨日までキャーキャーにぎやかだった家の中が、今は物音一つしません。この状態が、これから一ヶ月続くわけです。薄暗く静まり返った部屋に入り、あぁ、独りなんだなぁと実感しました。子供の好きな熊のぬいぐるみや、アンパンマンにミッキーマウス、キティちゃんを見るにつけ、一緒に遊んでやりたい想いが募ります。家族への愛情を自覚するための、これも一つの経験ですね。
 単に実家へ遊びに行っただけなのだから、なにも大袈裟に考える必要はないのだけれど……。私は今のこの淋しさを、しっかり覚えておこうと思います。そして、自分一人の時間が出来た分、今度は私のやるべきことをやるだけです。
 雑用を片付けたら、少しはのんびりしようかな。休みの日には、久しぶりに遠乗りにも出掛けたいし……。真っ青な空の下、風を切って走る自転車、緑の土手を行く自分自身の姿が目に見えるようです。
 ママもベビーも、元気でね! パパは一人で大丈夫。明日も元気に頑張ります!



平成30年5月20日(日)

        散 歩 相 手


 風船の犬や 緒引けば

 歩む真似する 猶よろし

 我が子も笑みき 目ら冴えゐ

 お外へ連れ来 地に立てり


       ふうせんのいぬや をひけは
       あゆむまねする なほよろし
       わかこもゑみき めらさえゐ
       おそとへつれく ちにたてり


 妻の姉からうちの子にと、「お散歩バルーン」というのをもらいました。一目見て不思議に思い、よくよく見つめて笑いが込み上げて来ました。なにこれ〜! おもしろい!
 トイプードルの形をした風船です。中にヘリウムガスが入っているのでしょう、ふわりと浮くのですが、勢い良く空へ飛んで行かない程度にガスが薄めてあるようです。風船にくっつけてある四本の脚が錘(おもり)の役割も果たしていて、犬形の風船は飛び去りもせず、地に転がりもせず、ちょうど良いバランスで立つようになっています。私はこの手のすっくと立つ&卵Dを見るのが初めてだったので、けっこう感動しました。
 子供はもう大はしゃぎです! さっそく風船の犬を連れて散歩に出掛け、紐を引っ張っては大笑いし、風に吹かれて歩くのを見てはキャーキャーと狂喜します。そんな子供の様子を見て、今度は通りすがりの小父さんが微笑みながら行き過ぎました。犬も、夕風で浮かんだり、地面を進んだり、それこそ喜んで走り回っているふうに見えました。夕闇迫る中、ほんとに楽しいひとときでした。
 家に帰っても、そのトイプードルはリビングにいて、時々やんわりと体を揺らしています。生きているみたいですね(笑)。
 いつかはしぼんでしまうのでしょうが……、それは人間も同じだなぁと思うと、ちょっとしんみりします。月並な言葉ながら、人生一期一会≠ナす。限りある出会いを大切にと、改めて感じ入りました。



平成30年5月19日(土)

        駅 前 簀 垂


 我を招けり 笑む店舗

 選ぶメニユウ 冷やしそば

 好く夏の味 盛る威勢

 噛み応へ良さ 驚きぬ


       われをまねけり ゑむてんほ
       えらふめにゆう ひやしそは
       すくなつのあち もるゐせい
       かみこたへよさ おとろきぬ


 二日前に食べた「冷やしそば」を歌に詠まねばと、なんだか宿題のように心に引っ掛かっていました。他の題材に気を取られていたので、後回しになったのです。出来映えはあまりパッとしませんが、なんとか形になったのでホッとしています。
 さて、その冷やしそばとは、私がよく行く「ラーメン横綱」阪急武庫之荘店の夏向きメニューです。春までの担々麺と入れ替わりに武庫之荘店限定≠ナ登場しました。胡麻だれ味とレモン醤油味と二種類あって、私は胡麻だれをいただきました。
 麺の上には、焼豚、半熟玉子、胡瓜の千切り、メンマ、薬味の青紫蘇が載っていて、麺が見えないほどでした(上の画像)。一口食べて驚いたのが、麺の硬さです。しっかりとしたこの噛み応えは、絶妙だなぁと思います。味は想像通り酸味の利いた普通の冷やし中華ですが、胡麻だれの絡んだ麺の食感は、ちょっとクセになりそうです。もう一度じっくり噛み締めてみたい、そう思う美味しさでした。
 いつも「豚骨みそらーめん」が無性に食べたくなって(その一杯で大満足です!)このお店に立ち寄るため、なかなか他のメニューにまで気が回りませんが……。たまにはあっさりと夏の風情≠味わうのも好いものですね。



平成30年5月18日(金)

        南 武 庫 咲


 忘れ得ぬ赤 清楚白

 幸招くやな 美を見つむ

 来たる 大井戸公園で

 薔薇の夢にも 今日酔へり


       わすれえぬあか せいそしろ
       さちまねくやな ひをみつむ
       きたるおほゐと こうゑんて
       はらのゆめにも けふよへり


 今年は三か所、薔薇園に行くことが出来ました。尼崎市農業公園、伊丹市荒牧バラ公園、そして今回観たのが尼崎市南武庫之荘にある大井戸公園です。ここは阪急武庫之荘駅から徒歩約五分、私の勤める職場からも近いので、仕事の帰りなどに気軽に立ち寄っています。今ちょうど花の盛りを過ぎる頃で、昨日も多くの人が訪れていました。
「うわぁ、綺麗ですね! 薔薇は何色が好きですか? 私はやっぱり赤が好きです!」
 そんな話し声が聞えて来たので、私は心の中でうなずきながら、深紅の薔薇をくわえて踊るカルメンを想像していました(安直かなぁ? 笑)。まぁ好みは別として、薔薇と聞けば、確かに真っ赤なイメージが強い気がします。ドラマなんかに出てくる薔薇の花束も、情熱の赤が多いのではないでしょうか……。
 そこで、ふと疑問に感じたのです。
人生薔薇色∞薔薇色の明日≠ネどと言う時の「薔薇色」とは、決して真っ赤な色ではないはずです。『広辞苑(第六版)』で調べても《うすい紅色。淡紅色》と出ています。他の国語辞典を見ても、それぞれ表現こそ違いますが、たいていピンク系統の色になっています。ということは、一般的な薔薇の色とは、赤ではなくてピンクなのだろうか……、と。
 しかしよく考えてみると、それは単に象徴≠ニしての色や心理%Iな色合いというものが、実際の色とは違うというだけのことかもしれません。
 たとえば、愛とか、幸福とか、美というものを色にたとえると、何色になるかは人それぞれでしょう。「薔薇色」という表現には、あらゆる色を受け入れる包容力、イメージの広がりがあります。赤とかピンクとか、色を限定する必要は全くありません。つまりそれを比喩≠ニいうんだなぁと、いわば当り前のことに気づき、今更ながら納得した次第です。
 尚、以下の画像は、私なりに選んだ「薔薇色」です!

  

  



平成30年5月17日(木)

        金 糸 雀 夢


 円き陽も落つ 今日温和

 猶家に居て 安らぐぞ

 目閉ぢ眠れる 幸せ得

 ゆりかごの歌 好さ笑みぬ


       まろきひもおつ けふをんわ
       なほいへにゐて やすらくそ
       めとちねむれる しあはせえ
       ゆりかこのうた よさゑみぬ


 ご存じ、北原白秋 作詞、草川信 作曲の「ゆりかごの歌」を以下に引かせていただきます。

  一、ゆりかごの歌を カナリヤがうたうよ
    ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
  二、ゆりかごの上に びわの実がゆれるよ
    ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
  三、ゆりかごの綱を 木ねずみがゆするよ
    ねんねこ ねんねこ ねんねこよ
  四、ゆりかごの夢に きいろい月がかかるよ
    ねんねこ ねんねこ ねんねこよ

 日本コロムビア『日本の童謡』レコード全集(昭和四十四年発売)の解説書にも、
《愛情に満ちた、そして高尚な詩と曲が心をうつ。》
《レコードは原曲のもつあたたかさをよくいかし、美しく、夢のある子守歌にしている。しいたげられた子守娘がなげいてうたう子守歌とはまったくちがった高尚な歌である。》
 とあるように、ほんとに穏やかで温かい気持ちにしてくれる歌です。うちの子も、この歌が大好きです。
 詩を読めばすぐに気がつくと思いますが、一番が「カナリヤ」、二番が「びわの実」、三番が「木ねずみ」、四番が「きいろい月」と、すべて黄色で統一されています。「木ねずみ」とは栗鼠(リス)の別称ですね。栗鼠は茶色ですが、『広辞苑(第六版)』で《冬毛は黄褐色》と説明されているように、やはり「黄」に関係します(「黄色人種」「黄土色」という時の黄≠ニ同じです)。
 そもそも黄色とはどんな色でしょうか。その「黄」については、小学館『日本大百科全書』に詳しい解説が載っていました。
《人間の目は、同じ光の強さのもとでは、黄を他の色より敏感に感じるため、一般に明るく感じられる。》
《黄が象徴するものとしては、明朗、快活、活動、注意などがあげられる。》
《黄が象徴するイメージとしては、柔らかい、明るい、楽しい、幸福な、陽気な、肌ざわりがよい、といったことになるであろう。》
《黄に対する好みは、成人の場合にはそう高くない。しかし、子供のときには比較的高いといわれており、年齢が進むにつれ、好みが減少する傾向がみられる。》
 明るく、楽しく、柔らかく、そして子供が好む色。まさに子守歌にぴったりの色じゃないですか!
 さすがですねぇ、北原白秋! 詩人の鋭い感覚が、経験的に黄色≠フ特性を見抜いていたのかもしれません!
 視覚には黄色、聴覚には鳥のさえずりや葉擦れの音、嗅覚には枇杷や風の薫り、味覚には枇杷の甘さを想わせ、触覚には心地好い揺れと風のそよぎを感じさせる。五感に訴える優しいイメージが安らかな眠りを誘う……、素晴らしい歌ですね。
 この「ゆりかごの歌」を題材に、新いろは歌を一首詠ませていただきました。さて、出来栄えや如何に?



平成30年5月16日(水)

        寿 司 店 内


 魚誉めつ居る 良い鮪

 鮭 鱈 鯒や 鱚に海老

 鮎 沙魚 鮒と その漢字

 胸で想へり 我笑みぬ


       うをほめつゐる よいまくろ
       さけたらこちや きすにえひ
       あゆはせふなと そのかんし
       むねておもへり われゑみぬ


 昨日、「大起水産回転寿司」西宮ガーデンズ店で食事しました。お店に入るとお魚漢字四十八字≠フ額縁が壁に掛けてあって、魚の名前がずらりと並んでいます。それと同じものがミニポスターにもなっていてご自由にお持ち帰り下さい≠ニのことだったので、一枚もらって来ました。アイウエオ順の筆頭は「鯵」。魚偏に「参」と書く漢字の横に「参月から味がよくなる」と、字の覚え方まで添えてあって、一口メモのようで楽しいです。新いろは歌の仮名数と同じ四十八種、以下がその魚介名です。

 鯵(あじ)、鯏(あさり)、鮑(あわび)、鮎(あゆ)、穴子(あなご)、赤貝(あかがい)、烏賊(いか)、伊佐木(いさぎ)
 石鯛(いしだい)、鰯(いわし)、鰻(うなぎ)、雲丹(うに)、海鷂魚(えい)、海老(えび)、虎魚(おこで)、鯑(かずのこ)
 鰹(かつお)、蟹(かに)、梭魚(かます)、鰈(かれい)、間八(かんぱち)、鱚(きす)、鯨(くじら)、鯒(こち)
 鮗(このしろ)、鮭(さけ)、鯖(さば)、細魚(さより)、鰆(さわら)、秋刀魚(さんま)、縞鯵(しまあじ)、鱸(すずき)
 鯣(するめ)、鯛(たい)、鮹(たこ)、太刀魚(たちうお)、鱈(たら)、鳥貝(とりがい)、鰊(にしん)、沙魚(はぜ)
 鰰(はたまた)、八町(はまち)、鱧(はも)、鮃(ひらめ)、鰤(ぶり)、鮪(まぐろ)、真魚鰹(まながつお)、眼張(めばる)

 尚、パソコンの種類によって文字化けする可能性のある漢字(=環境依存文字)を含む場合はその字を使用せず、別の表記で代用しました。例えば、「はまち」は魚偏に「反」と書きますが、ネットでの誤表示を避けるため、俗に使われる「八町」の字を当てています。「えい」「おこで(おこぜ)」「かます」「さより」「たちうお」「まながつお」についても同様です。
 ……と、なんだか今回は漢字のお勉強になってしまったので、最後に彩りを添えておきましょう。お店で食べた、白魚(珍しいですね!)、とびっこ(大好きで必ず食べます!)、北海たらこ(軟らかくて美味しかった!)、ねぎ塩あぶりサーモン(ほろっととろける旨味!)です。華やか!

  

  



平成30年5月15日(火)

        揚 立 肉 汁


 逢ふ豚カツよ 我らをぞ

 招けるにて 店行きぬ

 衣サクリ 猶美味しう

 食べゐ 夷茶飲めば笑む


       あふとんかつよ われらをそ
       まねけるにて みせゆきぬ
       ころもさくり なほおいしう
       たへゐえひすちや のめはゑむ


 梅田ヘップファイブで観覧車に乗った後、阪急百貨店十二階の「豚かつ 本かつ喜」へ行き、親子三人で食事しました。
 私が注文したのは「めんちかつのお皿」というメニューです。メンチカツ、四元豚一口フィレカツ35gデミグラスソース味、海老のクリームクロケット、白御飯、蜆の赤出汁、ポテトサラダ、彩り野菜、香の物、以上八品目セットで一九五〇円。美味しかった!
 このお店は、御飯、赤出汁、サラダがおかわり自由なのも嬉しいですね。お客が多くて行列に並びましたが、待った甲斐あって、ゆったりとお腹いっぱいいただきました。ごちそうさまでした。
 店内には七福神の絵と、それにちなんだ七つのこだわり≠ェ掲示してあります。
 一、豚肉。二、御飯。三、パン粉。四、揚油。五、えびす茶。六、しじみ汁。七、とんかつソース。
 それぞれ良い素材を使用し、美味しく健康的だというような説明が出ていました。
 えびす茶の素となる「エビスグサ(夷草)」について少し調べてみたところ、小学館『日本大百科全書』に、
《種子は(略)、日本ではこれを決明子(けつめいし)と称して薬用に供し、はぶ茶と称して茶のかわりに用いる。》
《健胃、整腸、緩下(かんげ)、利尿、消炎作用をもつので、便秘、胃腸病、高血圧、眼病、口内炎などに用いる。》
 とありました。要するに、ハブ茶のことですね。「はぶ茶」の項を見ると、
《ハブソウあるいはエビスグサの種子を炒(い)ったもので、煎(せん)じて茶のようにして飲む。》
《一般にはぶ茶として流通しているのはエビスグサの種子である。》
 とのことです。「決明子」の項には《緩下、強壮剤。目の炎症にも用いられる。》ともあります。眼病、目の炎症に効くというのが意外でした。



平成30年5月14日(月)

        観 覧 車 上


 ゴンドラへ乗り 胸は燃え

 街を見下ろす 高さ居る

 今日雨露にぞ 猶濡れて

 植木 野性湧く美好し


       こんとらへのり むねはもえ
       まちをみおろす たかさゐる
       けふあめつゆにそ なほぬれて
       うゑきやせい わくひよし


 昨日は雨の中、大阪梅田へ行って来ました。
「今日は天気が良くないから、一緒に出掛けるの大変でしょう。家でビデオでも観て、二人で留守番しててね」
 と妻は言いますが、そんなことで黙っている子供と私ではありません! ただでさえ、うちの子は雨具が大好きなのです。晴れた日でもなぜか長靴を履きたがり、濃いピンクの雨傘が手放せないほどなのです。狭い部屋の中で退屈な時間を過ごすより、外へ出よう! と、いうことになりました。
 妻は阪急百貨店へ先行し、私は子供と梅田ヘップファイブの観覧車へ向かいます。雨に煙る街を高い所から見下ろすというのも、情緒があって好いものです。ゴンドラの窓ガラスに貼ってある、透明シートの展望図に描かれた建造物の名称や地名を、参考までに記しておきます。

【 東 側 】生駒山 都島 なみはやドーム 帝国ホテル大阪 大阪アメニティパーク(OAP)
     京橋 大阪ビジネスパーク(OBP) 大阪城 関西テレビ放送 扇町公園

【 南 側 】金剛連山 和泉山脈 大阪城 OMMビル 天満橋 天神橋 北浜 新御堂筋
     あいおいニッセイ同和損保フェニックスタワー 淀屋橋 御堂筋 大阪駅前ビル
     梅田阪急ビル 阪急グランドビル 梅田OSビル

【 西 側 】大阪湾 淡路島 阪神高速湾岸線 明石海峡大橋 六甲山 ハービスOSAKA
     サウスゲートビルディング ノースゲートビルディング ルクア グランフロント大阪
     JR大阪駅 梅田阪急ビル 阪急ターミナルビル 阪急グランドビル

【 北 側 】中山連山 北摂連山 千里中央 大阪国際空港 淀川 JR新幹線 JR線 阪急線
     阪急梅田駅 北野阪急ビル ピアスタワー アプローズタワー 毎日放送 新御堂筋
     ヤンマー NU茶屋町

 ちなみに上の画像は、東側の眺望です(曇ってよく見えませんが……)。



平成30年5月13日(日)

        爽 快 絢 爛


 新緑萌ゆ 胸へ風

 その地訪れ 目据ゑゐぬ

 花綻ぶや 薔薇にて

 伊丹荒牧 和を得ける


       しんりよくもゆ むねへかせ
       そのちおとつれ めすゑゐぬ
       はなほころふや さうひにて
       いたみあらまき わをえける


 昨日はほんとに良い天気で、輝く日差しが七月のように感じられ、日焼けするほどに暑かったです。しかし木蔭に入ると風が涼しく爽やかで、やはり風薫る五月だなぁと思いました。伊丹の天神川沿いを、新緑を縫って自転車で走るのが心地好かったです。
 そんな中、家族で荒牧バラ公園へ行って来ました。花はちょうど満開を過ぎるぐらいでしょうか。例年は六月初め頃まで見られる薔薇ですが、今年は咲くのが少し早かったですね。枯れかけの花もちらほらありましたが、やはり一面の薔薇の海には感嘆の声が漏れました。
 先日薔薇を観た尼崎市の農業公園がその名の通り牧歌的で自然の恵みを感じさせる′園だとすれば、この荒牧バラ公園は中世ヨーロッパ的な整った庭園≠想わせる公園ですね。南欧風の園内には世界のバラ約250種1万本が植えてあるそうです。その一角にはベルギーのハッセルト市にちなんだコーナーもあり、小さな小便小僧≠フ像が印象的です(右下の画像)。参考までに、以下に碑文を引いておきましょう。

《ハッセルトのバラコーナー
 このコーナーは、伊丹市と姉妹都市であるベルギー国ハッセルト市より、友好のため寄贈された小便小僧を中心としたコーナーで、ベルギーで作出された有名なバラ、「パスカリ」と「アンネ・フランクの思い出」によって構成しています。
 ベルギー王国史では、小便小僧は今年(1992年)で373歳になり、ある伝説では街に火をつけようとした敵のローソクをこの小さな少年が彼のとれる唯一の方法で消火したということです。》

 小便小僧の由来がとても興味深いですね。三百七十三歳ということは、生まれは一六一九年ですか……!

  

  



平成30年5月12日(土)

        御 昼 弁 当


 赤ウインナも 夢を載せ

 おにぎり ちくわ コロツケぞ

 安値で得ゐぬ 減れる腹

 美味欲しと食ぶ 好さ笑まむ


       あかういんなも ゆめをのせ
       おにきりちくわ ころつけそ
       やすねてえゐぬ へれるはら
       ひみほしとたふ よさゑまむ


 昨日お昼に食べたコンビニ弁当、ミニストップの「俵おにぎりセット」を題材に一首詠みました。
 いつもならミニいなりパックを買うところなのですが、売切れだったので……。私がしょっちゅう稲荷寿司を食べるもので、職場ではイナリばかり食べて、人のイーナリになってはいけない≠ニ、からかわれたこともあります。そうかと思えば、たまに違うものを食べると、
「あれっ? 今日はイナリじゃないんですか? なんか裏切られた気がする……!」
 とも言われました。色々気に掛けて下さって恐縮です(笑)。
 さて、この「俵おにぎりセット」を選んだのは、赤ウインナーに懐かしさを感じたからです。子供の頃は好んで食べたけれど、大人になったらあまり食べる機会がありませんよねぇ(そういえば、幕の内弁当などに時々入ってるかな?)。 日頃忘れている少年時代への郷愁≠覚える赤さです。
 その赤ウインナーと、ちくわ磯辺天、シューマイ、鶏唐揚げ、玉子焼、そしてだし入りご飯にそれぞれ白胡麻、黒胡麻、海苔たまごをふりかけた俵おにぎりが四個入ったお弁当、298円! 安上がりでわりと美味しかったです。
 今回は新いろは歌も三十分とかからず、すらすら仮名が埋まってゆきました。言葉を選ぶのに苦労することもなく、まさにジグソーパズルのように収まるべき所へ収まった♀エじがします。このすんなり≠ィよびぴったり♀エ、久々に味わいました。



平成30年5月11日(金)

        花 園 観 賞


 胸に威勢や 勇覚え

 緑なす野へ 今日も来よ

 さて赤 真白 ピンク 黄ぞ

 薔薇咲める地を 我訪ぬ


       むねにゐせいや ゆうおほえ
       みとりなすのへ けふもこよ
       さてあかましろ ひんくきそ
       はらゑめるちを われたつぬ


 五月三日憲法記念の日、尼崎市田能の農業公園へ薔薇を観に行って来ました。その時のことを思い出して、一首詠んだ次第です。
 時季的にはまだ早いかな? でも爽やかな風を感じられればいい。そう思いつつ出向いたところ、花々がちょうど綺麗に咲き揃っていて好かったです! 若葉や草原の緑に赤が映える様子は、非常に鮮やかで印象的で、しみじみ見入りました。もちろん薔薇は赤だけでなく、白、ピンク、黄、オレンジ、紫など、まさに色取りどりで、眺めているだけでとても新鮮な気持ちになります。子供は喜んで走り回り、薔薇の棘で腕に引っ掻き傷を作りましたが、そんなことはお構いなし。興味が湧く時は、いつもニコニコ元気一杯で、転んでも起き上がり、また走り出します。さすがは我が子!
 さて、「薔薇」について少し調べてみました。薔薇といえば西洋のイメージが強いですが、あるんですね、『古今和歌集』にも「薔薇(さうび)」の歌が!(以下、小学館『日本大百科全書』を参照しました)

  我は今朝初にぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり  紀貫之

 これは物名歌(=一首の中に物の名を他の語句に隠して詠み込んだ歌)で、「今朝初(けさうひ)」の部分に「さうび(薔薇)」が隠れているわけです(『古今集』の中で「さうび」と題が立てられているとのことなので、間違いないでしょう)。さらに、歌の内容も薔薇そのものになっているといいます。
 私は今朝、初めて(薔薇の)花が咲いているのを見たが、その花の色こそ儚いもの≠ニいうに違いないなぁ……。現代語に訳すと、そういう意味になるのでしょう。
 また、《源義経(みなもとのよしつね)の兜(かぶと)にもバラが描かれていたと伝えられている》という記述も見つけ、意外でした。どんな種類の薔薇なのかは、私には判りませんが……。

  

  



平成30年5月10日(木)

        豚 骨 新 味


 拉麺を恋ひ 待ち得ぬぞ

 お店訪ね来 我食へる

 白いスウプも 華やかと

 湯気上りゐて 好さに笑む


       らあめんをこひ まちえぬそ
       おみせたつねき われくへる
       しろいすうふも はなやかと
       ゆけのほりゐて よさにゑむ


 見慣れた街並みの中に、新しいお店が出来ている! 何だろうと思ったら、ラーメン屋です! こりゃあ是非食べてみなければ!! そんなわけで、五月五日のこどもの日に家族で行って来ました! この四月十六日にオープンしたという「賀正軒 武庫之荘店」です!!!(やたらと感嘆符が多いのは、私がそれだけラーメン好きだということです!) 神戸の三宮と御影にも店舗があるようですが、私は初めてその名を知りました。
 店内のメニューによると、ラーメンは「白賀正」「黒賀正」「赤賀正」「翠賀正」の四種類です。
 白は基本の豚骨味、黒は《イカスミとマー油が絡み合うスパイシーなにんにく味》、赤は《自家製辣油と生唐辛子のパンチ》が楽しめる刺激的な味、翠は《生バジル、チーズの王様パルメザンチーズ、バージンオリーブオイル》を使用したまろやかな味だそうです。初体験の味は、やはり基本の「白賀正」を選びました。
 麺は硬さが六段階になっていて、硬い方から「粉落とし → ハリガネ → バリカタ → カタメン → 普通 → やわめん」と呼ばれています。「バリカタ」が当店のオススメ≠ニなっていましたが、私は基本に合わせて「普通」にしました。
 最後にトッピングです。これは一通り味わってみたかったので、思い切って「全部のせ」を頼みました。チャーシュー、玉子、きくらげ、葱が、皿に盛られてやって来て、ラーメンには巻ずし用の大きな一枚海苔が入っていたので驚きました。
 そんなこんなで楽しいラーメン、わりと美味しかったですよ! 何でも最初に食べる時は味を分析しようとして、どうしても厳しめの評価になってしまうので、もう一度食べたら本当の美味しさが解ると思います。私はピリッと辛い味も大好きだし、今度来る時は「赤賀正」にしようかな! 硬さはオススメの「バリカタ」で!



平成30年5月9日(水)

        天 津 浪 漫


 玉子で覆ふ 飯の上

 とろり餡掛け 葱盛らる

 美や幸成すを 威勢良く

 食むぞ 愉悦に我笑みぬ


       たまこておほふ めしのうへ
       とろりあんかけ ねきもらる
       ひやさちなすを ゐせいよく
       はむそゆえつに われゑみぬ


 イオンモール伊丹昆陽4階にある中華レストラン「上海常(シャンハイチャン)」で食べた天津飯(上の画像です)がとても美味しく印象に残ったので、一首詠んでみました。ここの天津飯はあっさりとした塩味で甘ったるさがなく、食べ応えも充分あり、玉子も厚めでしっかりしていて良いと思います。今回改めてじっくりと味わい、ますます気に入りました。
 ところで、そもそも天津飯≠ニはどういうものなのでしょう。その説明が読みたくて、『広辞苑(第六版)』をはじめ、何冊かの国語辞典で意味を確認しようとしたのですが、載っていません。辞書に無いということは、言葉としてはまだ市民権を得ていない、ということですよねぇ。私は天津飯を、ラーメン、炒飯、餃子、麻婆豆腐などと同じ感覚で捉えていたのに……。これほど一般的な大衆料理なのに、「天津飯」という単語が見当たらないこと自体、少なからずショックでした。
 料理本を見れば、出ているだろう……。そう思って近くの書店へ行ったのですが、残念ながら「天津飯」関係の書籍を発見することは出来ませんでした。
 まさか……。その存在すら稀薄になった天津飯、言葉の定義や由来を調べる以前の問題です。不安な気持ちでいっぱいになり、ただもう「天津飯」という活字に逢いたくて、今度は雑誌を探します。
 ようやく見つかったのが、ぴあMOOK関西「ガツめし関西版 2018-2019」! ページを繰ると中華めし≠フ欄に、ありました、天津飯! 尼崎市武庫元町の「好菜(ほうさい)」というお店が紹介されています。
《創業1967年から尼崎の武庫之荘で愛され、半世紀もの歴史を持つ下町中華屋さん。実は、「世界の盗塁王」の異名を持つ元阪急ブレーブスの福本豊さんらが通う店としても名が通っているが、料理のボリュームの多さでも知られており、リーズナブルに腹一杯になれる店として親しまれている。中でも天津飯(大盛り)は定番中の定番。真っ白の中華用丼に、ご飯、ふわふわ玉子、清湯ベースで奥行きのある旨さが光る餡がたっぷり。……》
 我が家からさほど遠くない場所に、そんな有名なお店があったとは……。まさに灯台下暗し! 知り得た今日の収穫でした!!



平成30年5月8日(火)

        線 路 彼 方


 機関車トオマス 威勢出む

 レエルの道 歓びぬ

 歌ふ笑顔 青空へ

 常に夢も 花咲けり


       きくわんしやとおます ゐせいてむ
       れえるのみち よろこひぬ
       うたふゑかほ あをそらへ
       つねにゆめも はなさけり


 子供はみんな、アンパンマンにミッキーマウス、きかんしゃトーマスが大好きですね。私はそのトーマス≠ノついて何も知らないので、少し調べてみることにしました。ポプラ社『きかんしゃトーマス大図鑑』を見て、一から情報を得ます。
 まず、原作者はイギリスのウィルバート・オードリー牧師。病気で寝たきりの息子に語り聞かせた機関車の物語を、妻の勧めで出版社に持ち込み、初めて絵本になったのが『3だいの機関車』(「汽車のえほん」シリーズ第1巻、1945年出版)。トーマスが登場するのは「汽車のえほん」第2巻目の『機関車トーマス』からで、その後オードリーはソドー島という想像の島を作り、その島を舞台にトーマスの世界は新しい仲間たちとともにどんどん広がっていった、とのことです。
 大図鑑では、152のキャラクターと、1980年から始まったテレビシリーズ440話までのあらすじが紹介されています。そんなにたくさんのエピソードがあったんだなぁと、驚いてしまいました。私はせいぜい数話観ただけなので、まだまだ初歩の初歩の初歩ですねぇ。覚えているのは「きょうふのかしゃのおと」と「トビーとしんごう」です。大図鑑で調べたら、第18シリーズにその二つの話がありました。
 ところで右の画像は、私が即興で作った機関車トーマス≠ナす(笑)。うちの子がブロック遊びをしながら、「トーマス作るの!」(←これは命令形です) と私に言って来たので、なんとか組み立ててみました。まぁそれなりに、機関車に見えるでしょう???



平成30年5月7日(月)

        西 野 安 息


 お日様は照り 青空や

 野辺に風得 好げ寝ぬる

 伊丹 十六名公園居

 気持ちほつとす 我夢む


       おひさまはてり あをそらや
       のへにかせえ よけねぬる
       いたみしふろくな こうゑんゐ
       きもちほつとす われゆめむ


 このゴールデンウィークはなんだかバタバタと過ぎ去ってしまった感があります。その最終日である昨日は、伊丹市西野の「十六名(じゅうろくな)公園」へ行って来ました。
 あえてこの公園を選んだのには、三つの理由があります。まず、名前が面白いこと(笑)。次に、白詰草が一面に生えた広い原っぱがあって、のびのびとした気分に浸れると思ったこと。そして最大の理由は、すぐ近くにイオンモール伊丹昆陽があることです。妻がイオンへ先行して買い物をしている間、私と子供は公園で過ごし、あとで一緒にレストランで食事しようということになったのです。子供も新鮮に感じたのか、けっこう喜んでくれ、草花を摘んだり、草の絨緞の上を走り回ったり、アスレチック型の滑り台で遊んだりして、楽しいひとときを過ごせました。
 ところで、この「十六名」という名前の由来を調べたところ、伊丹市のホームページに、
《十六名は、旧地名のひとつで、西野の開発に携わった16名の人々にちなんで名付けたものと伝えられています。》
 とありました。また、伊丹市内には都市公園が126箇所あり(平成29年4月21日現在)、それらが七種類に分類されるということも知りました。参考までに、その種別について以下に記しておきます。

 ・ 街区公園 …… 主として街区に居住する者が利用する公園
 ・ 近隣公園 …… 主として近隣に居住する者が利用する公園
 ・ 地区公園 …… 主として徒歩圏内に居住する者が利用する公園
 ・ 総合公園 …… 市民が休息・鑑賞・散歩・遊戯・運動等の総合的な利用を目的とする公園
 ・ 風致公園 …… 主として風致を享受することを目的とする公園
 ・ 都市緑地 …… 主として都市の自然的環境の保全並びに改善、都市景観の向上を図るために設けられる緑地
 ・ 緩衝緑地 …… 公害の防止や災害の防止を図る緑地

 さらに、街区公園を補完するものとして、児童遊園地(子どもや幼児の遊び空間)が125箇所ある(平成29年4月1日現在)とのことでした。
 ちなみに、今回行った「十六名公園」は近隣公園≠ノ分類されるそうです。
 あっ、そうそう、十六名′園へ行ったあと、イオンで十六茶≠飲んだんですよね(笑)。



平成30年5月6日(日)

        神 戸 遊 山


 旅空好げや この青さ

 牧場牛居ぬ 目に緑

 乾酪も成せる 六甲へ

 我笑んで 胸悦覚ゆ


       たひそらよけや このあをさ
       まきはうしゐぬ めにみとり
       ちいすもなせる ろくかふへ
       われゑんてむね えつおほゆ


 一昨日、神戸の六甲牧場へ行って来ました。ちょうど五月四日は「みどりの日」、自然とふれあうのも好いものです。
 しかし、到着した時は大変でした。阪急六甲駅前から手っ取り早く直行バスに乗ったところ、曲がりくねった山道を揺られ揺られて行く間に、私がバスに酔ってしまい、降りてからしばらくは頭痛でふらふらでした(やっぱり、程良く酔うのはお酒に限ります)。人懐っこく近づいて来た羊を見て、気を紛らそうとしたのですが、今度は我が子が「こわい〜〜! 帰る〜〜!」と泣き声を出す始末です。子供に動物を見せてやろうと牧場へやって来たのに、これじゃどうしようもないですね(苦笑)。
 山の空気を吸ううちに何とか気持ちも落ち着いて、親子共々ようやくほっとしました。北エリアから南エリアまで坂道をぶらぶら歩き、売店でソフトクリームを食べ、六甲山Q・B・Bチーズ館二階のレストランでお昼にしました。かなり混雑していたけれど、待った甲斐があって、見晴らしの良い窓側の席でゆったりとカツレツを味わうことが出来ました。クーッと一杯飲み、旅の気分が何よりの味付けでした。
 帰りはバスに乗る時間を短縮し、六甲ケーブルで下山しました。レトロでロマンチックなケーブルカーを見て、子供が「トーマス! トーマス!」と言って喜んでくれました(機関車じゃないのにね。笑)。私自身このケーブルに乗るのは十五年ぶりで、以前に父と来たことをとても懐かしく思い出しました。

  

  



平成30年5月5日(土)

        寳 船 出 航


 神様 恵比須 大黒ら

 揃つて居ぬる 七人や

 笑むと御船へ 夢も載せ

 帆を揚げ晴れ得 良き和なり


       かみさまえひす たいこくら
       そろつてゐぬる しちにんや
       ゑむとおふねへ ゆめものせ
       ほをあけはれう よきわなり


 尼崎の「つかしん」西ブロック(にしまち)の一角、構内通路脇に宝船≠フモニュメントが設置されているのをご存知でしょうか。極彩色の七福神が乗っていて、その笑顔を拝むといつも目出度く幸せな気持ちになります。私は宝船や七福神が大好きなのです! 今回、そのつかしん七福神≠改めてケータイで撮影し、新いろは歌に詠んで記録しようと思いました。表示版の説明文も引いておきます。

 七 福 神

「毘沙門天」“THE GUARDIAN GOD OF BUDDHISM”
 別名を多聞天といい、須弥山の中腹に住む四天王の一人として、北方領域を守護する神。また、仏法を守護する神であるとされ、財宝福徳を授け、子宝を授ける神。あるいは戦勝の神であるとされている。

「寿老人」“THE GOD OF LONGEVITY”
 長寿を授ける神。鹿を伴う老人で、杖をたずさえ、杖を結びつけられた巻物は、人命の長寿をつかさどる神使とされている。寿老人は福禄寿と同神だという説もあり、吉祥天を入れて七福神とすることもある。

「恵比須」“EBISU”
 古くから漁業の守護神として信仰されていたが、中世の七福神の一人としての恵比須は都会地ではしだいに商業守護神・市場神となり、大黒天とともに財福を授ける福の神の代表として知られるようになった。

「大黒天」“THE GOD OF WEALTH”
 古代インドにおける暗黒の神であったが、仏教にとりいれられ毘盧遮那仏の化身として鬼神を降伏させる守護神とみなされた。恵比須神と並んで、福徳の神、また飲食をつかさどるくりや(厨房)の神とみなされている。

「福禄寿」“THE GOD OF WEALTH AND LONGEVITY”
 幸福と封禄と長寿を兼ね備えるという中国の福神。極端に背が低く、頭がきわめて長く、白髪童顔で年令千才ともいわれる。経巻を結んだ杖を携え、多くの鶴を従えている。中国では南極星の化身ともいわれている。

「布 袋」“POTBELLY”
 中国五代のころ実在した契此という高僧の姿ともいわれ、なぜ七福神に数えられているかは明らかではないが、体躯肥大で腹部を露出し、大きな袋を持って諸所をめぐり、喜捨を求めて歩いた。大量の神とみなされている。

「弁財天」“THE GODDESS OF LEARNING”
 音楽の神で、弁舌才知を与えるので妙音天・美音天ともいい、財宝利得をもたらすので弁財天の字を当てている。吉祥天と共にインドで最も尊崇された女神。後世、福徳財宝の神として信仰された七福神の紅一点。

 以上、七福神解説を引用しているだけで、なんだかとてもありがたい°C持ちで胸がいっぱいになります。これも、いわゆる写経と同じ心境なのでしょうか……!



平成30年5月4日(金)

        冷 感 躍 動


 幼き胸に 夢覚え

 噴水広場 街楽し

 水へと急くや 濡れも好げ

 笑うてぞ声 上がりゐる


       をさなきむねに ゆめおほえ
       ふんすいひろは まちたのし
       みつへとせくや ぬれもよけ
       わらうてそこゑ あかりゐる


 四日前、阪急西宮ガーデンズへ行きました。屋上には噴水広場があって、子供らがきゃあきゃあ燥いで遊んでいます。
 ご存知でしょうが、池の真ん中にあるような噴水塔ではなく、広場の足元から直接水が噴き出す仕掛けです。噴き出し方も、強弱、時間、数に変化があって面白いですね。チョロチョロと手を洗う程度にゆるく出る時もあれば、非常に勢いよく水柱が立ち上る時もあります。広場中央に多くの水柱が、背よりもずっと高く並んで踊る様は実に見事です。かと思えば、急に水がピタッと止んで静寂が戻るのも、また新鮮です。離れて見ているだけでも、とても涼しく清々しい気持ちにしてくれます。
 子供は噴き出す水を見ているだけ≠ネんて、絶対に無理ですね。最初のうちは手を濡らす程度ですが、すぐ裸足になって、足の裏で水の冷たさを実感し、水しぶきを受けて走り回り、髪が湿り、服が湿り、いずれは直接水を浴び、やがて全身ずぶ濡れです。この無邪気さ、ちょっとうらやましい気がします。大人は真似できませんからね(ショッピングセンター屋上でびしょびしょになって騒いでいる大人がいたら、絶対に関わりたくないでしょう……失笑)。
 子供は自由で好いなぁ! 興味があることに対しては、大人の価値観なんて関係ないですからね。他人の迷惑にならぬ限り、好きなことをどんどんやって、将来の夢につながるものを早く見つけてほしいと思います。



平成30年5月3日(木)

        食 前 遊 戯


 我ら想へる 夢の味

 旨い店舗 訪ねゐぬ

 座席そこ掛け 箸袋

 海老に折り成すや 見よと笑む


       われらおもへる ゆめのあち
       うまいてんほ たつねゐぬ
       させきそこかけ はしふくろ
       えひにをりなすや みよとゑむ


 一昨日、昆陽池へ行く前に、北海道レストラン知床漁場(伊丹店)でまたまたこぼれいくら丼≠食べました。その美味しさについては以前にも述べたので、今回は店内で作った折り紙を題材に一首詠んでみました。
 お店の箸袋で折った海老≠ナす(上の画像)。料理が出て来るのを待つ間などに、時々折るんですよ。手持ち無沙汰が生み出した、取るに足らないオリジナル作品です。でもまぁ、それなりに、海老に見えるでしょう? 箸袋を蛇腹のように五〜六段折り、今度はそれを縦半分に折り、海老の腰になる部分を一段ずつ徐々に曲げてゆけば、ほぼ出来上がりです。あとは頭や尾の形を整え、紙の角を内側に折って円みを付けるなど、微修正を加えます。腰の形が上手く折れれば、たいてい海老に見えます(笑)。
 といっても、べつに私は折り紙が趣味というわけではなく、ほとんど知識もありません。子供の頃は、鶴、兜、奴さん、袴、だまし舟、紙飛行機、紙風船など、人並みに作って遊びましたが……。忘れてしまいましたねぇ、折り方。もう何十年も意識してなかったですからねぇ。簡単なものでも、いざ折ってみると迷ってしまいます。いやぁ、参った、参った。
 小学館『日本大百科全書』で「折り紙」の項を見ると、江戸時代の手引書も紹介されていました。1797年(寛政9)魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)著『千羽鶴折据』や、1845年(弘化2)足立一之(あだちかずゆき)著『何哉等草(かやらぐさ)』など、図入りで何十種もの折り方が載っているとのことです。
 たかが折り紙、されど折り紙。その道を極める≠ニいうことの大切さ、大変さについて、改めて考えさせられました。



平成30年5月2日(水)

        故 郷 小 径


 また昆陽池の 地を全部

 歩む傍にも 囀る音

 目白 鴬 柄長らよ

 多き鳥居て 我笑みぬ


       またこやいけの ちをせんふ
       あゆむそはにも さへつるね
       めしろうくひす えなからよ
       おほきとりゐて われゑみぬ


 昨日、伊丹の昆陽池へ行きました。林の中のふるさと小径≠歩いていて、ふと目に留まったのが「昆陽池公園で見られる野鳥」の説明板です。そこには十二種の野鳥の絵が出ています。
 キジバト、メジロ、ウグイス、イカル、コゲラ、シジュウカラ、モズ、ヒヨドリ、エナガ、カワラヒワ、ヤマガラ、ムクドリ。
 この野鳥の名を出来るだけ多く入れて、新いろは歌を作ろうとしたわけですが……。どうしても仮名が重複してしまうので、結局は「めじろ」「うぐひす」「えなが」の三羽しか詠み込むことができませんでした。
 野鳥の絵の横には「野鳥観察のポイント」も示してあったので、参考までに挙げておきます。

 〈野鳥を見る6つのヒケツ〉
  ・ 目立たない工夫  ・ 動くものをとらえる[注意力]目  ・ 音に反応する[注意力]耳
  ・ 鳥のいる風景を体で覚える[経験]頭  ・ 鳥を驚かさない動き[もの静かに素早く]
  ・ 鳥を見つけたら、頭を動かさず、そのまま目に双眼鏡をもってくる

 〈探してみよう こんな所〉 鳥たちを探す時は、こんな所に注意してください。
  ・ 上空  ・ 木の頂  ・ ヤブや植込みの中  ・ 木の幹の回り

 以上「兵庫県動物愛護協会・伊丹市」による、公園内の立て看板でした。



平成30年5月1日(火)

        寝 覚 蒼 然


 タイムマシンで 常ならぬ

 滅び見えゐる 世の末に

 孤独 寂寥 怖気さへ

 味はふも夢 我が家居る


       たいむましんて つねならぬ
       ほろひみえゐる よのすゑに
       ことくせきれう おそけさへ
       あちはふもゆめ わかやゐる


《いいあらわしようもないほどすさまじく荒れはてた感じが、あたりをおおっていた。東の空の赤さ、北の空の黒さ、死んだようによどんだ海、気味のわるい怪物がのろのろうごめいている岩だらけの海岸、苔に似た植物の一様に毒々しい緑色、呼吸を苦しくする希薄な空気――それらすべてのものが、ものすごい雰囲気をかもしだしていた。ぼくは機械を百年間航行させた。太陽は同じように赤かった――いくらか大きく、いくらか光がにぶくなっていたが――海は同じようによどんでいた。空気は同じようにつめたかった。緑色の藻と赤い岩の間には、いやらしいお化けガニの群れが同じようにはいまわっていた。そして西の空には、巨大な新月のような青白い曲線がみえた。……》

 以上、創元推理文庫『ウェルズSF傑作集1』(H・G・ウェルズ 著、阿部知二 訳) の「タイム・マシン」より引用しました。私はこの小説の、地球の終焉を描いた件がたまらなく好きです。誰も見たことのない風景を現前させる想像力と表現力。なんとも侘しく、心細く、人類絶滅後の荒涼とした海岸に取り残される底知れぬ不安、しかし、どこか陶酔を覚えてしまう未知の世界。静かな感動が胸を打ちます。
 ふとそれを、新いろは歌に詠んでみようと思いました。私の想像力(及び創造力)が乏しいので、具体的な情景描写が無い点が非常に残念です。それなりに、雰囲気を感じていただければ幸いです。



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