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出来立て!今日の一首

〜平成三十年六月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜

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平成30年6月30日(土)

        茹 立 宝 石


 玉蜀黍や 粒ら良さ

 黄なす美の念 我笑めり

 温い湯気添へ 少と噛むに

 爆ぜて甘味を 覚えゐる


       たうもろこしや つふらよさ
       きなすひのねん われゑめり
       ぬくいゆけそへ ちとかむに
       はせてあまみを おほえゐる


 昨晩、トウモロコシを食べました。つやつやの黄色い粒がはち切れんばかりに並んでいるのを見て、これは一首詠まねばと思ったわけです。噛めばぷちぷちと弾け、瑞々しい甘い汁が溢れ出ます。夢中になって齧(かじ)り付き、最後の一粒まで食べ尽くしました。ほんとに美味しかったです!
 ところで、「トウモロコシ」って奇妙な名前ですよねぇ。『広辞苑(第六版)』には「唐もろこし」の意≠ニ出ています。「唐」も「もろこし」も昔の中国のことなので、いわば「中国中国」みたいな名前ですね。ベスト新書『語源を楽しむ 知って驚く日常日本語のルーツ』(増井金典 著、KKベストセラーズ) にも、
《語源は「トウ(唐)+もろこし(唐土)」で、外国+外国です。ナンバ、ナンバンなどの別称も、語源は「南蛮」で、外国です。トウキビ、ナンバンキビの別称は「外国から来た黍」が語源です。》
 との説明がありました。やっぱりクドイ名前ですね。やたら舶来品≠セということを強調したがるキャッチフレーズみたいで、つい笑ってしまいます(まぁ、私の筆名も「ナカムラ ナカムラ」なので、トウモロコシのことをとやかくは言えませんが……)。
 もう一冊、『たべもの語源辞典』(清水桂一 編、東京堂出版) に目を通したところ、次のような解説が出ていたので、なるほどと膝を打ちました。
《トウモロコシ【玉蜀黍】 モロコシキビ(唐黍)・タマキビ(玉黍)・ナンバンキビ(南蛮黍)・コウライキビ(高麗黍)・トウキビ(蜀黍。略してトキビともいう) などといった。》
《日本のたべもの名には、新しいものが入ってくると唐という字をつける慣例がある。たとえば、唐茄子とか唐芥子である。モロコシキビを知ってから後に新しい種子が入ってくると、これに唐をつけてトウモロコシキビと称した。ところが、モロコシキビに唐黍の字を用いていたので、唐唐黍というのではおかしい。トウキビに蜀黍の字を用いていたのは、モロコシキビに唐黍の字をすでに用いていたからである。蜀も唐も中国の国名であり、国名を二つ重ねることはおかしいので、形からタマキビの玉をとって玉蜀黍としたのである。トウモロコシキビが略されてトウモロコシとなった。》
 つまり、二度輸入されたから「唐唐」となったわけですね! 事実かどうかは知らないけれど、理屈としてはこれでスッキリと筋が通り、ようやく納得が行きました。ともかくも、これにて一件落着です!



平成30年6月29日(金)

        郷 愁 菓 子


 兎栗鼠の 絵も映ゆや

 クツピイラムネよ 嘗めて溶け

 染み渡る味 風へ触れ

 そこに浪漫を 覚えゐぬ


       うさきりすの ゑもはゆや
       くつひいらむねよ なめてとけ
       しみわたるあち かせへふれ
       そこにろまんを おほえゐぬ


 時々ふらりと「業務スーパー」へ立ち寄ります。私がよく行くのは尼崎市内の富松城跡の隣にある、富松店です。
 お目当ては、なんといってもカレーです。宮城製粉製造の、業務用「おとなの大盛カレー(レストラン仕様)」というのがあって、これが私の中ではベスト1≠フレトルトカレーなのです! 味わい深くて最高に美味しく、それに安い!! 内容量250gのレトルト5袋セットで、わずか275円(税込297円)。レストラン級の味で、1袋たったの55円(税込60円程度)ですよ! 売場に置かれたカレーの段ボール箱に「挑戦します! 日本最安値 品質と価格に!」と札が貼られている意味がよくわかりました。味は、辛口、中辛、甘口の3種類あって、私はやはり辛口が一番好きなのですが、甘口も結構気に入りました。それでいつも甘口、辛口の両方を買っておき、どちらを食べるかはその日の気分で選んでいます(笑)。
 さて、カレーだけ買って帰るつもりだったのですが、レジへ行く前にぐるっと店内を一回りしたところ、思いがけない商品を発見しました!
「クッピーラムネ」ですよ! それも、相当根性≠フ入った大袋です。内容量240g。10粒(4g)入りの小袋が60袋も入った「ビッグパッククッピー」です! うさぎとリスのキャラクターも懐かしく、もう嬉しくなってしまって、迷わずカゴに入れました。子供の頃、従兄妹と遊んだ時によくこの絵を描いたことを想い出します。御宮の前の古い駄菓子屋さん(今はもう集会所になってしまいましたが)へも、よく買いに行ったなぁ……って。
 甘酸っぱいレモンの味を、久しぶりに味わいました。爽やかな甘さが口の中で弾けます。
 ちなみに、カクダイ製菓のホームページを見たら、うさぎとリスの名前が「クッピーちゃん」と「ラムちゃん」であることが判りました。さらに、「クッピーラムネ」の名の由来も! エンゼルフィッシュの絵が印刷された目印の紙を箱に入れて出荷していたところ、エンゼルフィッシュとグッピーとを勘違いして「グッピーラムネ」と呼ばれるようになった、とのこと。しかし「グッピー」の濁音が呼びにくいという理由で「グ」の濁点をはずし、最終的に「クッピーラムネ」と決まったそうです。面白いですね。



平成30年6月28日(木)

        土 産 玉 匣


 家も消え無念 浦島ぞ

 挫折ゆゑ 地へ座れるに

 乙姫居ぬ世 箱開いて

 煙の方を見 ほろり泣く


       やもきえむねん うらしまそ
       させつゆゑちへ すわれるに
       おとひめゐぬよ はこあいて
       けふのかたをみ ほろりなく


 回転寿司の店で竜宮城の浦島太郎の気分≠味わったので(笑)、浦島伝説を題材に一首詠んでみました。
 といっても、ほんとは竜宮城のことをよく知らないので、少し調べることにしました。
 何冊か昔話の本に目を通したのですが、たいていは立派な御殿≠ナぜいたくな御馳走∞きれいな娘たち≠フもてなしを受けて夢のような′雌を過ごした、としか書いてありません。そこで、忘却の彼方にある『御伽草子』を久しぶりに読み返しました。以下、小学館『日本古典文学全集36 御伽草子集』(大島建彦 校注・訳) から引用します(原文は読みにくいので、現代語訳を見ます)。

《銀の築地を築いて、金の屋根瓦を並べ、門を建て、どのような天上の住居でも、これにはどうしてまさるはずがあろうかと思われるほどである。この女人のすみかのすばらしさは、ことばにも表わしえず、まったく幾ら言っても言いきれない。》

 いわゆる絵にも描けない美しさ≠ナすね。「女人」とは乙姫のことでしょうが、本文に名前はなく、後に「私は、この龍宮城の亀でございます」と告白しています。その女人に案内された屋敷というのが……。

《まず東の戸をあけて見たところが、春の様子と思われて、梅や桜が咲き乱れ、柳の枝も春風に吹かれ、たなびく霞の中からは、鶯の音も軒近くに聞こえ、どの梢にも花の咲いていることである。》
《南の方を見たところが、夏の様子と思われて、春との間を隔てる垣根には、卯の花がまずは咲いたのであろう、池の蓮は露を含んで、汀の涼しげなさざなみには、水鳥が何羽も遊んでいた。木々の梢も茂り重なり、空には鳴いている蝉の声、夕立の過ぎた雲間からは、声をたてて飛び行く時鳥が、鳴いて夏だと知らせていた。》
《西は秋と思われて、あたりの梢も色づいて、籬(まがき)の内の白菊よ、霧のたちこめる野の果てには、真萩の露をかき分けて、声もものさびしい鹿の音に、まさに秋だと知られることである。》
《そこでまた北をながめると、冬の様子と思われて、あたりの梢も冬がれて、枯葉に置いた初霜よ、山々はただまっ白の雪に埋もれた谷の入口に、心細く立つ炭竈(すみがま)の煙によって隠れもないいやしい炭焼の仕事で、冬だと知られるさまであるよ。》

 なんだか平安朝の風雅の世界といった感じですね。四季折々の光景が非常に具体的に描かれています。春も夏も秋も冬も一度に眺められるというのが素晴らしく、そこでお酒やごちそうを美味しく頂き、美しい女人に接待されるわけですから……。
 これが竜宮城なんですね!
 唱歌にあるただ珍しく面白く 月日の経つも夢のうち≠ニいう意味がよく解りました!!(笑)



平成30年6月27日(水)

        好 物 巡 巡


 玉葱載せゐ 合鴨や

 それらを食める 今日笑みぬ

 回転寿司 幸生むに

 悦など覚ゆ 喜べり


       たまねきのせゐ あひかもや
       それらをはめる けふゑみぬ
       くわいてんすし さちうむに
       えつなとおほゆ よろこへり


 昨日は市役所や税務署へ必要書類をもらいに行き、帰りに「スシロー」尼崎東難波店で食事しました。回転寿司といえば、我が家から最も近い所に「かっぱ寿司」伊丹店があったので、昔から家族でよく行っていたのですが、残念ながら平成二十七年九月三十日をもって閉店となってしまいました。「スシロー」は近所にないので、このお店に足を運ぶのはほんとに久しぶりです。
 さて、東京書籍『雑学大全』(東京雑学研究会 編) によると、
《回転寿司が最初に登場したのは、一九五八(昭和三三)年の大阪だった。発案者の元寿司店主が、ビール工場のベルトコンベアを見て思いついたという。》
 とのことです。私はせいぜい昭和の終わり頃だろうと感覚的にはそう思っていたのですが、なんと今から六十年も前に出店されたんですねぇ!
 お寿司が皿に載って次々に廻って来るというのは、かなり画期的です。お寿司以外で回転する食事といえば、中華料理のターンテーブルぐらいしか思い付きません(笑)。しかも、好みの品を自由に選び、好きなだけ取って食べられるというのが嬉しいじゃないですか! いちいち注文しなくても、選り取り見取りなんですよね! バイキングみたいに自分で取りに行く必要もなく、料理のほうから巡って来るなんて、まさに竜宮城の浦島太郎の気分です……! と、今更ながら感動してしまいました。
 回転寿司のコンベアが回る速度は、標準で毎分四・八メートル(秒速八センチ)とのこと。
《この速度に決定した理由は、目の前を通り過ぎるときに速くもなく、遅くもなく、最も取りやすい速さだからという。速度は自由に設定できるが、速すぎても遅すぎても効率が悪くなり、売り上げが落ちてしまうそうだ。ちなみに回る方向は、右利きの人が取りやすい右回りが主流である。》
 と、先の『雑学大全』にありました。なるほどね。
 寿司ネタの種類も増えましたね。生の魚介類だけでなく、牛肉や鶏肉のステーキ、ハムにカマボコに天ぷらまであるんですからねぇ! 新いろは歌に詠んだ通り、私は合鴨≠ェ大好きです!



平成30年6月26日(火)

        早 朝 落 着


 仏の御花 買ひに行く

 休まぬ店居 急ぎ得ん

 仏事終へられ うち笑むも

 寝覚め頃より 慌てたる


       ほとけのおはな かひにゆく
       やすまぬみせゐ いそきえん
       ふつしをへられ うちゑむも
       ねさめころより あわてたる


虫の知らせ≠ニいうのは、あるものですね……。
 今朝は四時すぎに目が覚めました。昨夜寝るのが遅かったのに、頭がすっきりと冴え渡り、寝不足感もありません。これは久しぶりに朝の時間をゆったり過ごせるなぁと思っていたのですが……、全く逆でした!
 焦りましたねぇ! 月命日の供養の準備を、すっかり忘れていたのです!
 七時すぎには御坊様が朝の読経にお見えになるので、あと三時間しかありません! 毎月のことなのに、完全に失念していました。供物の御膳や御茶はなんとか用意できるのですが、御花がありません!
 じっとしていてもしかたがないので、ともかくもドラッグストアへ急ぎました。おかずや菓子は買えましたが、やはり仏花はありませんでした。そりゃあ、そうでしょうね。どうしよう……。
 ご近所にお願いして、庭のお花を分けていただこうかとか、色々考えました。しかしそれもご迷惑だし、情けない話です。帰宅したらちょうど妻が目を覚ましたので、事情を話しました。ああ、そうだったと言って、妻も焦ったようです。
「こんな時間に、仏様の花を売ってる店なんて、無いよなぁ……?」
「ちょっと待って……。えーっと……。う〜ん。……二十四時間営業の、マックスバリュがある!」
「そこって、御花も売ってるの?」
「売ってる……!」
 さすがは妻です。私はすぐに、マックスバリュ武庫元町店へ飛びました。午前五時四十一分、ちゃんと御花は買えました。ほんとにありがたかったです。帰る時にお店の方を振り返り、深々と頭を下げました。感謝の気持ちで胸が熱くなりました。
 御蔭様で朝の御勤めも無事に終えることができ、真実ほっとしました。もう何十年も、ひょっとすると何百年も続いて来たことなので、これからも当然為すべきことは成さねばなりません。今日の出来事を胸に刻み、今後の教訓にしたいと思います。



平成30年6月25日(月)

        夢 第 六 夜


 前夜愚かぞ 鑿用ゐ

 仏師を真似 木刳れど

 好げ手応へ無い 彫り得ぬ美

 仁王は在らず 夢醒むる


       せんやおろかそ のみもちゐ
       ふつしをまね きゑくれと
       よけてこたへない ほりえぬひ
       にわうはあらす ゆめさむる


「夢十夜」について色々考えすぎ、ちょっと頭が痛くなって来ました(苦笑)。
 第四夜は柳に風と受け流す≠ニか笛吹けど踊らず≠ニいうことが言いたいのかなぁとか、臍(へそ)の奥≠ニはこの世に生れ出る前のことだろうか、蛇≠ヘ神の使いだろうか、等々、想いを巡らすとだんだん訳が解らなくなってしまいました。たびたび出て来る「真直(まっすぐ)」の語に、何か深い意味があるようなのですが……。残念ながら、今の私の手には負えません。
 第五夜は、敵の捕虜となった自分≠フ視点から、急に場面が切り換わり、遠く離れて自分≠ノは見えないはずの女≠ノいきなり焦点が合うあたりが、映画的だと思いました。最後に残るのは「蹄の痕」です。何のことだか、これも難解な物語ですね……。
 そんなわけで、しばらくは「夢十夜」から離れることにします。またいつの日か、読解のヒントが得られるかもしれません……。
 でも、第六夜はかなり印象的なエピソードなので、それを題材に一首詠んだ次第です。
 昔、以下の台詞(新潮文庫『文鳥・夢十夜』より引用)には舌を巻きました。

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で彫り出すまでだ。まるで土の中から石を彫り出す様なものだから決して間違う筈はない」

 この発想が非常に面白いですね。そして、物語ラストの「明治の木には到底仁王は埋っていない」というくだりは、明治時代の文化芸術への痛烈な批判(=後世に受け継がれるようなものが明治には無いということ)であり、また、単純に「彫刻とはそんなものか」「誰にでも出来ることだ」と考えてしまうことへの自己反省でもあるのでしょう。
 傍目には至極簡単そうに見えることでも、いざ自分がやってみるとなかなか巧くゆかず、その難しさ、奥深さに気づかされるものである。単純に結果だけを見て表面的に批評せず、作り手の鋭い眼力と熟練した技こそを、真に評価し継承すべきである――。
 これこそが、第六夜の主張なのだと思います。



平成30年6月24日(日)

        夢 第 三 夜


 背居て子は 眼開かず

 地蔵ほどに 重たいぞ

 百年前の 消えぬ罪を

 知る故ふらり 我蹌踉けむ


       せなゐてこは めあかす
       ちさうほとに おもたいそ
       ひやくねんまへの きえぬつみを
       しるゆゑふらり われよろけむ


 昨日の百合≠ェきっかけとなり、夏目漱石の「夢十夜」を今詳細に読み返しているところです。第一夜が「百」年後に「合」う(逢う)「百合」の話だとしたら、第二夜以降にも何かそうした言葉遊び%Iな要素があるのではないか、と思ったのです。
 ありました! 発想の原点となる語はこれだ! そう直感するものが、第二夜にも第三夜にも見つかりました(あくまでも、私の感覚です)。
 まず、第二夜。これは「無念」という語がポイントですね。その部分を挙げてみましょう(以下、新潮文庫『文鳥・夢十夜』より引用)。

《この鋭い刃が、無念にも針の頭の様に縮められて、九寸五分の先へ来て已(やむ)を得ず尖っている》
《無だ、無だと舌の根で念じた。》
《腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。涙がほろほろ出る。》

 この話での自分≠ヘ侍で、寺で悟りを得ようと躍起になっているわけです。「寺」にいる「人」が「侍」というのも一種の言葉遊びだと思いますが、それよりも、テーマに関わる「無念」の語の用い方です。迷いの心が無い∞無心である≠ニいう肯定的な意味と、不本意∞残念である≠ニいう否定的な意味と、相反する二つの意味が突き合わされているのです。つまり第二夜というのは、「無」だと「念」じることで、逆に「無念」さを感じてしまうという苦悩の物語なのです。
 次に、第三夜です。ここでポイントとなるのは「夢中」の語でしょう。夢を見ている間∞夢の中≠ニいう意味と、自覚を失う∞我を忘れる≠ニいう意味との突き合わせです。

《雨は最先(さっき)から降っている。路はだんだん暗くなる。殆(ほと)んど夢中である。》
《自分は堪(たま)らなくなった。》

 そうして自分≠ヘ精神的に、徐々に追い詰められてゆき、最後に怖ろしい自覚≠得るわけです。「文化五年辰年だろう」……。

《今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、》……
……《と云う自覚が、忽然として頭の中に起った。》

 第三夜は、超一級の恐怖小説です。睡眠中こそ逆に感覚が研ぎ澄まされる、ということがあるでしょう。「夢」の中で「夢中」になり、我を忘れることで逆に自分を思い出す、このパラドックスが得体の知れぬ恐怖≠一層盛り上げているのだと思います。



平成30年6月23日(土)

        夢 第 一 夜


 逝きたる乙女 待ちて我

 そよ風覚え 今朝清みぬ

 百年後も 野面へ居

 咲む花白う 百合に合ふ


       いきたるをとめ まちてわれ
       そよかせおほえ けさすみぬ
       ひやくねんこも のつらへゐ
       ゑむはなしろう ゆりにあふ


 西宮の病院へ行った帰り道、通りすがりに鉢植えの百合の花が目に入りました。すぐ前に自動販売機があったので、缶ジュースなど飲みながら、しばしその白百合を観賞しました。
『角川俳句大歳時記』を見ると、《名の「ゆり」は「揺り」の意、「百合」は鱗片が重なり合うことによる》との説明があります。大輪の花が揺れる様は歩く姿は百合の花≠ニ、美人の形容にも用いられますね。何重にも重なった地下茎百合根≠思い浮かべれば、漢字で「百合」と書く意味もよく解ります。また、『花ことばミニ事典』(中山草司 著、大泉書店) によると《白ゆりは純潔∞貞操≠フシンボル》という意味もあるそうです。これらを踏まえた上で、百合と聞いて思い出すのが夏目漱石の短編小説「夢十夜」の第一夜≠ナす(以下は新潮文庫『文鳥・夢十夜』より引用しました)。

《真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)える程匂った。そこへ遥(はるか)の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花瓣(はなびら)に接吻した。》

 このくだり、まさに「揺り」ですね。そして自分≠ヘ「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」という女の約束が果たされたことを知るわけです。真実の愛、永遠の愛を語る上で、白百合のイメージが最高に活かされた作品だと、改めてそう感じました。
 しかしこの第一夜≠フ発想の原点は、ちょっとした言葉遊びにあるんじゃないかなと、私自身はそう考えています。「百」年後に「合」う(逢う)、だから「百合」にしたのだと。「百年はもう来ていたんだな」というラストの気づき≠ヘ、咲く花が「百合」だからこそ、活字的にも鮮明な印象となって読者の目に飛び込んで来るわけです。
「百合」の語の意味をロマンチックに幻想的に描き上げた物語、それがこの第一夜≠ネのだと思います。



平成30年6月22日(金)

        売 場 遊 園


 幼児夢乗せ 馬へと居

 晴れたる笑顔 回転す

 常に青空 想ふやな

 幸満ちけり 歓びぬ


       えうしゆめのせ むまへとゐ
       はれたるゑかほ くわいてんす
       つねにあをそら おもふやな
       さきみちけり よろこひぬ


 昨夕、イオンモール伊丹昆陽へ買い物に行き、三階ゲームコーナーで子供と少し遊びました。そこには小さなメリーゴーランドがあり、お金を入れると動くようになっています。座席は三つしかないので、乗る時はほとんど貸切り状態です(笑)。一名回転木馬≠ニ言うけれど、座るのは馬の背ではなくて、よく見たら小鹿でした。我が子を乗せてやると、にこにこ笑顔がポールの周りを何周も回転し、とても楽しそうなのがなによりでした。百円玉一枚で、もう遊園地気分です! 幼い頃は、ちょっとしたことでも嬉しいものですね!!
 遊園地といえば、思い出すのが「宝塚ファミリーランド」です。小学校低学年の時、地区の子供会で歩け歩け運動≠ニいうのがあって、自宅付近から約五キロの道程を、保護者同伴で並んで歩いて行ったのを覚えています。高学年になってからも、友達と何度か遊びに行きました。園内には動物園や植物園、アシカのプールなどもあって、私が初めて本物の象やキリンを見たのもここでした。
 観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランドといった乗り物も、当時は凄く新鮮で感動的でした。最も強く印象に残っているのが、なんといっても「宝塚大人形館」です。世界各国を舟で回るというアトラクションで、区画ごとにそれぞれの国の衣装を着けた人形達が数多く迎えてくれました。テーマ曲「世界はひとつ」(内海重典 作詞、寺田瀧雄 作曲) は、大人になった今もはっきりとこの耳に残っています。

   皆さん おいでなさい
   ようこそ おいでなさい
   おとぎの世界へ
   さあお連れしましょう
   世界はひとつ
   手をつなぎましょう
   歌と踊りの七つの海を
   いっしょに廻りましょう

 このメロディーを聴くと、懐かしさで目頭が熱くなります(上記の歌詞はCD『内海重典 宝塚歌劇作品集 ファイン・ロマンス』より引用しました)。
 関西人なら誰もが知っていた、宝塚ファミリーランド! ご承知の通り、平成十五年に閉園となり、残念ながらもうこの世には存在しません……。もしもタイムマシンがあるなら、是非もう一度行ってみたい場所です!



平成30年6月21日(木)

        五 厘 之 魂


 列を成す蟻 威勢良げ

 遠路這ふにや 雲の峰

 また底力 湧きぬとて

 勇覚え昼 目醒むべし


       れつをなすあり ゐせいよけ
       ゑんろはふにや くものみね
       またそこちから わきぬとて
       ゆうおほえひる めさむへし


 私は至って暑がりで、少し動くとすぐに汗ばんでしまいます。このところ梅雨空で陽も照っていないのに、今日も暑いなぁと感じつつ、小林一茶の句「蟻の道雲の峰より続きけん」がふと心に浮かんで来ました。桜楓社『俳句辞典 鑑賞』を見ると、
《この独特の視覚に、蟻の行列を彷彿とさせる意味でまことに効果的である。西部の大平原に繰り広げられるアクション映画の一場面でも見るようである。》
 との解説が出ていました。西部劇ですか……(笑)。乾いた地表、灼け付く陽射しの感覚はよく解るのですが、アクション映画≠ニいうとやはり違和感がありますねぇ。なんだかズドーン、バキューンと銃声が聞こえてきそうですよ(苦笑)。
 大平原というよりも、私が思い浮かべるのは炎天下の坂道ですね。夏草が青々と生い茂る中を、ゆるやかな登り道が一筋通っています。花崗岩の小石が散らばる乾ききった土の上を、蟻の行列が音も無く黙々と、延々続いているのです。坂の上には真っ青な空、そしてむくむく盛り上がった入道雲しか見えません。その遠い雲の峰の麓からやって来くるかのように、ひたすら繰り返される蟻の歩み。見過ごしにされそうな微細な命、しかしじっと見つめていると、その粘り強さと力強さが胸に迫って来るような……。蟻たちの存在が最大に感じられる一句です。
 大修館『古語林 名歌名句事典』(電子辞書) にあった、
《大きな入道雲と、小さな蟻とを取り合わせたものだが、蟻の隊列が目の前にせり出して雲の峰よりむしろ強靭(きょうじん)に感じられる。大胆な構図の句。》
 との解説には、大いに共感を覚えました。
 そういえば、バイトルアプリ……ではなくて、例の「アルプス一万尺」の蚤がリュック背負って富士登山≠フ一節は、ひょっとしてこの一茶の句をモチーフにしたんじゃないかと、なんとなくそう思いました。もちろん真偽の程はわかりませんが、極大(峰)と極小(虫)の対比という点で 似ていることは確かです。



平成30年6月20日(水)

        虹 色 眺 望


 街を見渡す 席へ居て

 ネオン映え夜景 広がれる

 酔ふ程に その美しさ

 声もあらぬ 夢むなり


       まちをみわたす せきへゐて
       ねおんはえやけい ひろかれる
       よふほとにその うつくしさ
       こゑもあらぬ ゆめむなり


 関西国際空港へ行く途中、高速道路から見た梅田ビル群の灯りがとても綺麗だったので、そこから夜景≠フイメージをふくらませ、歌題としました。詠み終えてから、過去の作品で夜景≠フものを調べたところ、次の歌(平成二十七年三月九日詠)が見つかりました!

   初めて二人 行く我ら      はしめてふたり ゆくわれら
   少と胸熱う 大阪の       ちとむねあつう おほさかの
   夜景見えゐる 席も並べ     やけいみえゐる せきもなへ
   そこにロマンス 夜を酔ひぬ   そこにろまんす よをゑひぬ

 これは、妻と知り合った頃のことを想い出して詠んだ歌です。あの時は大阪梅田の阪急グランドビル二十八階レストランで、初めて二人だけで食事しました。楽しい時間の中で、美しい夜景を一緒に眺めながら、これからこの人と未来を共にするんだなぁと実感したのです。今思い返すととても新鮮な気持ちになります。つまりここが、私たち夫婦の原点≠ネのかもしれません。
 そして上の画像は、結婚式を挙げた「都ホテル ニューアルカイック」の十九階客室からの眺望です! 式では私の趣味(もちろん新いろは歌≠ナす)を少し披露することになったので、事前に以下の歌を作っておきました(平成二十七年一月二十八日詠)。

   風巻く空へ 白き鳩     かせまくそらへ しろきはと
   都ホテル居 夢の宴     みやこほてるゐ ゆめのえん
   常に忘れぬ 愛想ひ     つねにわすれぬ あいおもひ
   幸を受け笑む 二人よな   さちをうけゑむ ふたりよな

 三年余り前のことが、あれからもう十年以上経った気がします。
 妻がいて、子供がいて、そして私がいる――。これも一つの奇跡≠ネのかもしれません。



平成30年6月19日(火)

        満 足 量 感


 逸早き朝 我ら今日

 ガスト野間店 訪ね居ぬ

 並べて笑める ボリユウム得

 モオニングをぞ 喜びし


       いちはやきあさ われらけふ
       かすとのまみせ たつねゐぬ
       なへてゑめる ほりゆうむえ
       もおにんくをそ よろこひし


 仕事が振り替えで休日となったので、今朝は久しぶりに妻子とガスト伊丹野間店へ行って来ました。早くも7時半から開店しているので、朝の外食にはぴったりですね。
 モーニングメニューでいつも頼むのが「ボリュームモーニングセット」。ハンバーグ、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、厚切りトーストかライス、そして日替りスープとドリンクバーまで付いて、税込647円! 安い! ライスは無料で大盛にしてくれます。目玉焼きは半熟か両面焼きかと尋ねられ、私は半熟にしました。注文が済むとすぐに、セルフサービスの日替りスープをもらいに行きます。料理が来るまでに2杯は飲んでしまいますね(笑)。そして、ドリンクバーで好きなのがトロピカルアイスティー! 花のように爽やかな香りが愉しめます。野菜と果実 ニンジンミックス≠フジュースも美味しいです。あとはアイスコーヒーかな。これだけ飲めば大満足ですね!!
 朝からゆったり寛いで食事に喫茶、とても贅沢な気分を味わった後、優雅の余韻に浸りつつお店を出ます。お酒も飲まないのにこれほどリラックス出来る時間って、そうそう無いと思います。でも、なかなか一人では入る気になれません。やはりファミリー≠ナないとね! あくまでも私の感覚ですが、休日に、家族で、というのが最大のポイントでしょう。その受け皿になってくれるガストさん、どうもごちそうさまでした。またこんな朝が、あればいいなぁ……!



平成30年6月18日(月)

        帰 宅 之 途


 夜も妻子を 出迎へに

 急きぬ ひたすら行ける後

 嬉しや跳ねゐ 皆揃ふ

 笑めり 関西エアポオト


       よもつまこを てむかへに
       せきぬひたすら ゆけるのち
       うれしやはねゐ みなそろふ
       ゑめりくわんさい えあほおと


 今日は大変な日となりました。朝7時58分頃、大阪府北部を震源とする地震が発生、各地に被害をもたらしました。大阪府内で震度6弱以上を記録したのは今回が初めてとのことで、一日中そのニュースでもちきりでした。
 尼崎市は震度5弱だったそうです。私はちょうど職場に到着し、中庭に自転車を停めていたのです。いきなり地面が揺れて少しよろけそうになりましたが、恐怖感は全く無く、体を揺らされながら「おいおい、冗談はやめてくれ!」と独り言を漏らしていました。勤務が終わって帰宅し、家の中を調べましたが被害は全く無く、仏壇のローソク立てが倒れたのと、本棚の本が2冊床に落ちただけで済みました。机の上の本は、そのまま不思議な均衡で積み上がっていました。テレビとか電子レンジとかが落ちて壊れているんじゃないかと気になっていましたが、全て無事でした。まぁ、その程度の小さな心配で済んで、ほんとに幸いでした……。
 そんな今日、妻と子が一ヶ月ぶりに帰って来ました! 晩9時頃、関西国際空港まで出迎えに行って、お互いに再会を喜びました! 単に里帰りしていただけなんですけどね……。でもやっぱり家族は一緒に暮らすのが一番だなと、しみじみそう思いました。このひと月、自分一人で気楽にやろう、気遣い無用でのんびりしようと考えていたのに、むしろ逆でしたね。あぁ忙しい、忙しいと、いつも雑用に振り回されていた感じがします。思い出すのは、家族で過ごした休日です。子供と公園で遊んだこと、三人で食事に行ったこと、花見、モノレール、観覧車、そして淡路島……。家族がいてこその忙中閑あり≠ネんだなと、それに気づいた次第です。
 明日からまた、平凡かつ温かな、そんな生活に戻ります。



平成30年6月17日(日)

        再 出 発 時


 人生涙 笑顔あり

 弱音を止むと 苦も越え得

 落ち着き居ぬる 夕晴れの

 空に手広げ 前目指す


       しんせいなみた ゑかほあり
       よわねをやむと くもこえう
       おちつきゐぬる ゆふはれの
       そらにてひろけ まへめさす


 CD『あおい輝彦 アンソロジー1966-1980』を聴いていました。大ヒット曲「あなただけを」や「Hi-Hi-Hi(ハイ・ハイ・ハイ)」を初めとして、聞き覚えのあるメロディーも多く、甘い歌声に酔いました。
 あおい輝彦といえば、ジャニーズ事務所第一号タレントジャニーズ≠フ最年少メンバーだそうですが、時代が旧くて存じ上げません。私が真っ先に思い浮かぶのは、角川映画『犬神家の一族』の犬神佐清*と、なんといってもTBS系時代劇『水戸黄門』の助さん*ですね。毎日放送制作『雪姫隠密道中記』の葵新之介*も強く印象に残っています。CDにはその『雪姫』の主題歌「いつも君のそばに」も収録されていて、とても懐かしかったです。そしてボーナス・トラックは、そうです、『水戸黄門』主題歌「あゝ人生に涙あり」です!

   人生涙と笑顔あり
   そんなに悪くはないもんだ
   なんにもしないで生きるより
   何かを求めて生きようよ

 山上路夫作詞、木下忠司作曲。デュエットはもちろん格さん*の伊吹吾朗。その三番の歌詞を引用させていただきました。
 テーマ曲を聴きつつ、これだ! と、心に響くものを感じ、わりとすんなり整った今日の一首≠ナす。ほんとは一番の歌詞を詠み込みたかったのですが、《人生楽ありゃ苦もあるさ》で「く」と「あ」の字がすでに重なってしまいますからね。別の語に言い換えず、なるべく本歌の歌詞を残すためには三番が最適でした。それなりに『水戸黄門』の雰囲気を感じていただければ幸いです。



平成30年6月16日(土)

        瑠 璃 菊 属


 病院前 訪ねても

 紫色に このお花

 微風ゆるり 口笛を

 ストケシア褒め 我笑みぬ


       ひやうゐんまへ たつねても
       むらさきいろに このおはな
       そよかせゆるり くちふえを
       すとけしあほめ われゑみぬ


 月に一度の通院日で掛かりつけの病院(厳密には「医院」です)へ行ったら、プランターに植えられた綺麗な紫色の花が迎えてくれました。私はその花の名前を知らなかったので、ケータイで撮影し、帰宅後に調べてみました。
「ストケシア」というんですね……!
 しかし、こういう学名を聞いても、何のことやらさっぱりです。そこで、本棚にあった『ヤマケイポケットガイドJ 庭の花』(鈴木庸三 著、山と渓谷社 刊) を見ます。
《北アメリカ南東部原産の1属1種の多年草。日本には大正の初期に渡来した。ルリギクの和名どおり、青い花がさわやか。寒さや暑さに強く、日当たりと水はけのよい場所を好む。堆肥などを十分すきこんで、高うねにして植える。根を3cm程度に切って地中にふせこむ根ぶせで、大量にふやすことができる。》
 とてもわかりやすい解説ですね。
 色は、青、紫の他に、ピンク、白、淡黄色もあるそうです。また《ヤグルマギクを大きくしたような花で花びらの先は5つに裂ける》との説明もありました。
 しかし1属1種≠ニいうことは、ストケシアに似た植物は他に無いということですよねぇ。それほど変わった種類には見えませんが……(「キク科ストケシア属」とのことなので、科としては、やはり菊の仲間になるわけです)。ひょっとすると、目も覚めるようなこの色合いが、珍しいのかもしれませんね!
 以上、私が今日初めて知ったさわやか≠ネ花の紹介でした。



平成30年6月15日(金)

        勝 烈 珈 哩


 揚げゐるロオス 飯へ載せ

 カレエを盛りぬ また幸ぞ

 程好い調和 常に美味

 気楽笑むやな 夕御飯


       あけゐるろおす めしへのせ
       かれえをもりぬ またさちそ
       ほとよいてうわ つねにひみ
       きらくゑむやな ゆふこはん


 尼崎市役所へ税金を納めに行って来ました。やれやれと肩の荷が下りた途端、お腹が減ってくたくたになったので……。阪急武庫之荘駅南側噴水広場のすぐ前にある「松のや」で、少し早めの夕食をと、ロースかつカレーをいただきました。揚げ立てサクリとしたカツに、カレーの旨味。なかなか家では味わえません!
 美味の余韻に浸りつつ、ふと牛肉の部位のことを考えました。ロースとかヒレとか言われても、どこの肉やらさっぱり解らない(日頃意識しない)ので、帰宅してからちょっと調べてみました。またまた小学館『日本大百科全書』のお世話になります。

 1 ブリスケ(ネック)… 頸(くび)
 2 かた    ……… 腕(前脚)上部を中心とした部位
 3 かたロース ……… 背中の頭に近い筋肉部分
 4 リブロース ……… 背中のかたロースから続く部位
 5 サーロイン ……… 背中のリブロースから続く部位
 6 ヒレ    ……… サーロインの内側の細い部分。テンダーロインともいう
 7 ともばら  ……… 肋骨周囲の後ろ寄りの部位
 8 かたばら  ……… 肋骨周囲の前寄りの部位
 9 うちもも  ……… ももの内側の部位
 10 しんたま  ……… うちももより下側の球状の塊
 11 そともも  ……… ももの外側の部位
 12 らんぷ   ……… サーロインに続く腰部分
 13 シャンク(すね)…… 四肢のふくらはぎ部分
 14 レバー   ……… 肝臓
 15 ハツ    ……… 心臓
 16 マメ    ……… 腎臓
 17 ミノ    ……… ウシがもつ四つの胃のうちの第1胃
 18 ハチノス  ……… 第2胃
 19 センマイ  ……… 第3胃
 20 ギアラ   ……… 第4胃
 21 ハラミ   ……… 横隔膜筋(腹側の横隔膜の薄い部分)
 22 サガリ   ……… 横隔膜筋(腰椎側の横隔膜の厚い部分。「ハラミ」とよぶ場合もある)
 23 ヒモ    ……… 小腸
 24 シマチョウ ……… 大腸
 25 テッポウ  ……… 直腸
 26 ハラ脂   ……… 腎臓、胃、腸の周囲の脂肪
 27 網脂    ……… 腸の間にある網状の脂
 28 コブクロ  ……… 子宮の筋層
 29 タン    ……… 舌
 30 テール   ……… 尾
 31 カシラニク ……… こめかみから頬(ほお)にかけての部分
 32 アキレス  ……… 四肢の膝下後方部分にある腱(けん)

 圧巻ですねぇ!
 ありがたくも命をいただく≠けですから、食材を大切に、料理に愛情を、そして感謝の気持ちで味わおうと思います。



平成30年6月14日(木)

        皐 月 清 涼


 晴れ渡る天 気持ち好し

 山野緑ぞ 笑まふ夏

 枝を揺らす風 胸へ受く

 この手大いに 広げゐぬ


       はれわたるあめ きもちよし
       さんやみとりそ ゑまふなつ
       えをゆらすかせ むねへうく
       このておほいに ひろけゐぬ


 昼からは空一面に雲が広がりましたが、午前中は青一色の好天で、旧暦で言う、これがほんとの五月晴れ≠セなぁと感じ入りました。朝のうちは空気もひんやり微風が心地好く、眩しい陽射しは夏≠サのものでした。
 さて、仕事から帰って夕飯時。クーッと一杯ビールを飲みながら、何年も前に録画した時代劇を久しぶりに観ました。テレビ朝日系、杉良太郎主演の『遠山の金さん』です。細かい筋書きは忘れていたけれど、勧善懲悪物ですからねぇ、先が読めるというか、結末はおおよそ決まっているでしょう? でも、何回でも観たくなるんですよねぇ! 好きなんです! 今回観た話というのが……。
 お人好しの田舎の若者(仙吉)が江戸へ出て来て、やむにやまれぬ事情から悪の道に引きずり込まれ、殺人までそそのかされるんです。御禁制の短筒をバーン、ぶっ放してしまいます。狙った相手は、なんと金さん! その後いろいろあって、御白洲の場面。
「その方の所業、軽くはない。よって仙吉には、死罪申し付ける!」
 ガーン!! うなだれる仙吉。それをかばう許嫁の女性、おみつ。仙吉さんがこんなことをしたのは、みんなあたしのせいなんです、どうかあたしを獄門にして下さい……、とかなんとか。それをまたかばう仙吉……。
「仙吉、その方はまだ若い。悔悟の心根に免じ、死罪のところではあるが、罪一等を減じ、終生江戸所払いを申し付ける!」
 お奉行さまぁぁぁ!(嬉し涙)
「おみつ、江戸での悪い夢はきっぱりと忘れちまって国へ帰ぇり、仙吉と二人で幸せをつかむんだぜ……!」
 涙を浮かべながら微笑む奉行。
「これにて一件落着!」
 カタルシスですね。胸の中はいっぺんに、今日の五月晴れ≠フように晴れ渡り、私の目からも涙がどーっと溢れ出て来ました。最近、ほんとに涙もろくなりました……。
 以上、山崎巌 脚本、手銭弘喜 監督の「標的(まと)は桜吹雪」より。



平成30年6月13日(水)

        不 携 電 話


 職場座席へ ケエタイを

 忘れ手許に無う 暮夜居

 不安ら秘め 困る身の

 落ち着かぬ故 そろり寝む


       しよくはさせきへ けえたいを
       わすれてもとに なうほやゐ
       ふあんらひめ こまるみの
       おちつかぬゆゑ そろりねむ


 昨日、ケータイを職場に置き忘れて帰りました。途中でそれに気づいたのですが、何だか疲れてしまって、取りに戻る元気がありませんでした……。自分の机の引出しに入っていることは解っているのです。べつに緊急電話が掛かってくるわけでもなし、一晩ぐらい手許に無くったって、何の心配もないわけですが……。
 やはり不安なもんですねぇ。現代におけるケータイとは、いわば武士にとっての刀、刑事にとっての拳銃のような存在かもしれません(大袈裟かな?)。持っていないと丸腰≠フようで頼りないんですよ。昔はケータイなんて無かったのにねぇ(苦笑)。
 小学館『日本大百科全書』によると、1985年に発売された携帯電話は重さ3キログラム、鞄のように肩に掛ける「ショルダーフォン」だったそうですね(そんなもの、誰が持ち運びするのでしょうか。今にして思うと、笑っちゃいますね)。それがどんどん小型化され、今やスマートフォンの時代です。「ケータイ」というのも、もはや時代遅れかな?(私はまだまだガラケー愛用ですが!)
 ところでその「ケータイ」という呼び名、私は最初、違和感がありました。「ケーデン(携電)」ならまだ解ります(センスの良い命名かどうかは別としてです)が、「ケータイ」って、電話のデ≠フ字も入ってないじゃないですか! 携帯≠ェ電話を意味するなら、携帯テレビや携帯ラジオは一体どうなるんだ! なんだか回転寿司を「カイテン」と呼ぶようなもので、回転ドアや回転椅子、回転木馬の立場がないじゃないか! と、そう思ったのです。
 しかし、言葉の変化というのは元来不思議なものです。
 古語の意味の変化を見ても、「いとふ(=嫌う)」→「いとはし(=好かない)」→「いとほし(=可哀想だ)」→「いとし(=可愛い)」のような例もありますからねぇ。「厭(イト)う」が正反対の「愛(イト)しい」気持ちになるわけですから、これは「ケータイ」どころの騒ぎじゃないですね……。
 その他、飛行機の乗っ取りを意味する「ハイジャック」の「ハイ」が高い(high)≠ナはなくて呼びかけのハ〜イ!(hi)≠セったとか(旺文社『現代カタカナ語辞典』に、「手をあげろ」の意でギャングがHi(Hey)Jack!と叫んだことからといわれる、との説明あり)、ケータイを忘れたおかげで言葉について様々な考えを巡らせた一夜でした。



平成30年6月12日(火)

        氷 菓 団 欒


 白の練乳 美味練りつ

 アイスモナカ 愛でゐるを

 笑ふ声良き 幸覚え

 溶けぬ間早く 食べぞせむ


       しろのれんにゆう ひみねりつ
       あいすもなか めてゐるを
       わらふこゑよき さちおほえ
       とけぬまはやく たへそせむ


 何となく物寂しい時に冷蔵庫を覗いたら、冷凍室に買い置きのアイスモナカを発見しました!
思いがけぬ幸運≠ニ言うとオーバーですが、いっぺんに気持ちが華やかになりますね。モナカの皮のしっとり感、バニラアイスの甘さ、冷たいけれど優しい味わいに心温まるものを覚えます。まろやかかつ爽やかな美味しさで、ほっと一息吐きました。
 さて、今回気になったのが「溶ける」の漢字表記です。
「とける」と読む漢字は主に「解」「溶」「融」の三種類ありますが、アイスクリームの場合は「溶ける」でいいのかどうか、少し迷いました。つまり、「解ける」「溶ける」「融ける」をどう使い分けたらいいかの問題です。国語辞典や漢和辞典で調べても、今一つすっきりしないのです。
 例えば、物質が液体と均一に混じり合う(=溶解する)場合は「溶ける」を、固体が液体になる(=融解する)場合は「融ける」を書くという考え方もあります。しかし、「氷」の場合は「解ける」「溶ける」「融ける」すべてが使用可能らしいので、溶解とか融解というだけではその違いが明確になりません。諸本諸説を参考にし、さんざん考えた挙げ句、私は私なりにそれぞれの意味を次のように定義付けました。

 @ 解ける …… 消えてなくなること(「あとに何も残らない」という点に注目する)
 A 溶ける …… 液体になること(「とけるという現象」に注目する)
 B 融ける …… 固体が見えなくなること(「形がなくなる」という点に注目する)

 @は「誤解が解ける」「結び目が解ける」という場合ですね。例えば「雪解け」という語も、雪が水になる現象を指すのではなく、今まで地面を覆っていた雪が消えてなくなり、春が来たことを言っているわけです。
 Aは「砂糖が水に溶ける」「熱でバターが溶ける」という場合。液体と混じり合う意はもちろんですが、バターのようにそれ自体が液体化する意味にも用いてよいと思います。要は、「とける」という過程こそが重要なわけです。さらに、火によって直接とかされることを言いたいなら「熔ける」を、とける物が金属であることを言いたいなら「鎔ける」を用いればよいでしょう。
 Bは「雪が融ける」「氷が融ける」ぐらいしか、適切な用例が見当たりません。イメージとしては、軒先にぶら下がった氷柱(つらら)が、ぽたぽたと雫を落としながら徐々に形をなくしてゆく感じでしょうか。液体にならずに消えてゆくドライアイスなども相応しそうです。要は、いま目の前でとけて形がなくなってゆく、という意味合いが強いと思うのです。「溶ける」の例に挙げたバター≠焉A熱したフライパンの上でみるみる形がなくなってゆく、というような場合は「融ける」のほうがぴったりするでしょう。
 以上、ここで述べたことはあくまで私個人の見解です。皆さんはどうお思いでしょうか……?



平成30年6月11日(月)

        冒 険 雄 心


 我ほろ酔ひ得 寝る寝部屋

 目に青空 吉夢良げ

 細かは偉大 蚤も成す

 リユツク背負うて 富士登山


       われほろゑひえ ぬるねへや
       めにあをそら きちむよけ
       こまかはゐたい のみもなす
       りゆつくせおうて ふしとさん


 今朝目を覚ましたら、ふと「アルプス一万尺」の歌が心に浮かんで来ました。以下、ビクターのレコード全集『決定版 世界の愛唱歌』より一部引用します。

   アルプス一万尺 小槍の上で
   アルペンおどりを おどりましょう(ヘイ)
  *ランラララ ララララ
   ランラララ ラララ
   ランラララ ララララ
     ラララララ(ヘイ)

 アメリカ民謡に日本人が歌詞を付けたものらしいですが、残念ながら作詞者不詳とか。インターネットで調べると、歌詞は二十九番まであるとのことで驚きました。しかし、作詞が誰か判らないんじゃ、一字一句正しい歌詞を確認しようと思っても、無理な話ですね。本当に二十九番まであるのか、あるいは誰かが次々に歌詞を付け足しながら広まって行ったのか……。せめて、フルコーラス掲載された書籍か雑誌、あるいはレコードに解説文でもあればいいんですけどね。私が調べた限りでは、出典も見つかりませんでした。大学の山岳部などで口伝えに受け継がれた詩なのでしょうか。もしそうだとしても、いったい誰が二十九番まで覚えているのでしょう(普通の人は知らないですよねぇ?)。『古事記』を伝承したという稗田阿礼≠ンたいな人がいるのでしょうか???
 まぁ、それはさておくとして。この「アルプス一万尺」、一番に続く二番の歌詞がなんともユニークで、私は小学生の時からとても気に入っていました。

   きのう見た夢 でっかい小さい夢だよ
   のみがリュックしょって 富士登山(ヘイ)
   (*くりかえし)

 いくらきのう見た夢≠フ話とはいえ、蚤がリュックを背負って富士山に登るんですよ!(笑)  この発想が面白いじゃないですか! いわば、極大と極小の世界ですね。短いフレーズで非常に印象的な光景を歌い上げ、機知に富んだ名句だと思います。
 これを新いろは歌に詠んでみました。まぁ何とか意味は通っているでしょう。
 それにしても、なぜ急に「アルプス一万尺」を思い出したんだろう……。最初は自分でも解らなかったのですが、よく考えたらテレビCMの影響ですね。
 そう、バ〜イトするなら バイトルア〜プリ≠チていう、乃木坂46の、あの歌でした!



平成30年6月10日(日)

        翅 脈 鱗 粉


 昼寝醒ませり 程ぞ良く

 揚羽蝶居ぬ 声を呑む

 ベエジユ オレンヂ 水色に

 模様ら和す 眺めたき


       ひるねさませり ほとそよく
       あけはてふゐぬ こゑをのむ
       へえしゆおれんち みついろに
       もやうらわす なかめたき


 今日、家のブロック塀に揚羽蝶が留まっているのを見つけました。先週だったか、蛹がくっついているなぁと思っていたのです。それが羽化したんですね!
 ケータイで撮影しようと、そーっと近づいて行くと、蝶は警戒したのか、翅をゆっくり大きく広げました。ヘルマン・ヘッセの短編小説「少年の日の思い出」(橋健二 訳) の一節を思い出します。

《一人の友達は僕にこう語った。「とび色のこのチョウが、木の幹や岩に留まっているところを、鳥やほかの敵が攻撃しようとすると、チョウは畳んでいる黒みがかった前羽を広げ、美しい後ろ羽を見せるだけだが、その大きな光る斑点は非常にふしぎな思いがけぬ外観を呈するので、鳥は恐れをなして、手出しをやめてしまう。」と。》〔東京書籍『新しい国語1』より引用〕

 ここに描かれているチョウとはクジャクヤママユ≠フことなので、揚羽蝶ではだいぶ様子が違うでしょうが、私は揚羽蝶がとっさに翅を広げる行為を見て、威嚇されたように感じました。蝶々にしても、自分のほうへ近寄ってくる大きな人間の姿に驚いているのでしょう。捕まえたりしないよ、ちょっと写真を撮るだけだから、怖がらないでね……! その気持ちが蝶々にも伝わったのか、それからしばらくはじっとしてくれたので好かったです。
 ところで、「蝶々」をひらがなで書く時は、やっぱり歴史的仮名遣いの「てふてふ」を用いたいですね。小さな翅でひらひらと飛ぶ様子が、「て」「ふ」の繰り返しによって、音にも、見た目にも、巧く表現されていると思います。現代仮名遣いで「ちょうちょう」と書くと、どこか違和感があるんですよねぇ。字数も六字になって間延びするし、細やかな翅の動きが感じられないなぁって。皆さんはどうお感じでしょうか。
「てふてふ」と「ちょうちょう」、どちらが蝶々にふさわしいか、アンケートを採ってみたくなりました。私は大半が「てふてふ」だと踏んでいますが、人によって見解も異なりますからね。「ちょうちょう」は何パーセントぐらいでしょうねぇ?



平成30年6月9日(土)

        遮 断 機 前


 線路へ行けば 常に閉め

 開かず渡れぬ 踏切を

 待ちて居るやな 憂さ覚え

 世の急ぐ人 声漏らむ


       せんろへゆけは つねにしめ
       あかすわたれぬ ふみきりを
       まちてゐるやな うさおほえ
       よのいそくひと こゑもらむ


 踏切の遮断機がなかなか上がらず、イライラする時ってありますよねぇ。特に朝の通勤時、駅のすぐ横の踏切を渡ろうとすると、長い場合は五分以上待たされます。一分一秒を争う時間帯に、五分は長いです!
 電車も来ないのになぜ遮断機が閉まるのだろうと思っていると、踏切から見える駅のプラットホームよりもずっとずっと先、二本のレールが一本にくっつきそうな遥か彼方にゴマ粒ほどの先頭車両が姿を現し、それがえっちらおっちら這うように進んで来て、ようやく列車の態を成します。早く早くと祈っていると、願いとは逆に、今度は徐々に速度を落としていくじゃないですか! そのまま通過してくれるならまだしも、あいにく各駅停車だったのです! ゆっくりゆっくり駅に停車し、扉が開き、乗客の乗り降りを待ちます。早く出発しろよ! 心でそう叫びつつ眺めていると、満員電車の扉が閉まり、ようやく動き出すわけですが、その遅いこと遅いこと! カンカンカンカン鳴り続ける警報機の音を聞きながら、やっとこさ目の前を通過する間も、抑えきれないイライラがどんどん募って来ます。えぇい、まだかよ!
 テイルランプを見送って、やったぁぁぁぁ! 渡れる! という意気込みも、一瞬にして糠喜びと化すのです。踏切で待つ多くの人々の期待を裏切り、あろうことか、逆方向から別の電車が! ウソだろ〜! 信じられな〜い!
 まぁ、ただ一つの救いは、今度来た列車が特急だったことです。風のように速く、遮断機の垂れを揺らし、あっという間に通り過ぎてくれました。やっとか!
 しかし、哀しくも警報音は、まだ鳴り止みませんでした。遮断機は一向に上がりませんでした。なぜって? よく見ると、またまた逆方向から電車の影が……!
 こんなことが何度か繰り返されると、いくら温厚な私でも、仕舞いには発狂しますよ!
 そういうわけで、いつの頃からか、自転車通勤のコースを少し変更しました。踏切を渡ってから西へ行っていたのを、先に西へ行ってから別の踏切を渡るようにしたのです! その結果、待ち時間は大幅に削減されました!!
 たったそれだけのことを、なぜ今まで思い付かなかったのか、実行できなかったのか……。固定観念の恐ろしさ、ですかねぇ?
 尚、上の画像は単なるイメージで、発狂しそうな踏切≠ナはありません(笑)ので、一言申し添えます。



平成30年6月8日(金)

        一 腹 丸 毎


 笑むやな 碗へ飯盛り得

 それに鱈子を 載すと好げ

 茜色冴ゆ 多き粒

 口で爆ぜゐぬ 美味生まる


       ゑむやなわんへ めしもりえ
       それにたらこを のすとよけ
       あかねいろさゆ おほきつふ
       くちてはせゐぬ ひみうまる


キューピーあえるパスタソースたらこ≠フCMソング「たらこ・たらこ・たらこ」をふと思い出しました。

   たらこ たらこ たっぷり たらこ
   たらこ たらこ たっぷり たらこが やって来る
   たらこ たらこ つぶつぶ たらこ
   たらこ たらこ つぶつぶ たらこが やって来る
   たらこ たっぷり たっぷり たらこ
   たらこ たっぷり たっぷり たらこ

 作詞 加藤良1、作曲 上野耕路。平成十八年にはCD化され、子役タレントレナちゃん≠ニハルカちゃん≠フ二人組ユニット「キグルミ」が歌いつつ踊るたらこダンス≠ェ話題になりました。また、真っ赤なたらこを寝袋のように被ったキューピー人形が隊列を組んで押し寄せて来るコマーシャル映像は、非常に印象的でした。ついこのあいだのように感じますが、もう十二年も経つんですね。一度聴いたら忘れられず、未だに耳から離れないわけですから、CMとしては大成功でしょう。
 それで、今日の一首はたらこ≠ノなりました。
「たら(鱈)」は魚偏に雪と書くとおり、冬の季語になっています(もちろん「たらこ」も含みます)。『角川俳句大歳時記』を見ると、《鱈は初雪の後に取れる魚ゆゑ、雪に従ふ》(『本朝食鑑』) とする説や、《肉白し。ゆゑに、文字に雪にしたがふ、和字なり》(『改正月令博物筌』) とする説が紹介されていました。
 さて、何はともあれ仕事の帰り、スーパーへ飛びました。買ったのはもちろん「たらこ」です! ピリッと辛い「明太子」も大好きなのですが、やはり今日は鱈子にします。歌に詠んだことを再現するために! 家に着くと早速ご飯を炊き、お茶碗によそい、その上へ一腹載せます。赤と白の対比が目にも鮮やかです。まずは鱈子を一口かじり、塩味を確認し、つぶつぶぷちぷちの食感を楽しみます。あぁ、これだ! そしてご飯を頬張り、ようやくほっとしました。
 後で過去の自作を調べてみたところ、意外にも、鱈子の歌を詠んだのは今回が初めてだったことが判明しました。よく食べるのに、鱈子も盲点でしたねぇ! 明太子の歌はかろうじて一首見つかったので、それを最後に添えておきましょう(以下、平成九年八月十日詠)。

   くれなゐ清か 粒揃ひ    くれなゐさやか つふそろひ
   藁と葉へ載せ 明太子    わらとはへのせ めんたいこ
   火照りをる味 刺激ゆゑ   ほてりをるあち しけきゆゑ
   世に推す旨み 胸燃えぬ   よにおすうまみ むねもえぬ



平成30年6月7日(木)

        喫 茶 安 息


 少と胸温う 腹に滲み

 朝の珈琲 吸へるぞよ

 席ゆつたり居 今日も愛で

 我浪漫を得 笑顔やな


       ちとむねぬくう はらにしみ
       あさのこおひい すへるそよ
       せきゆつたりゐ けふもめて
       われろまんをえ ゑかほやな


 妻子と喫茶店でモーニングセットを食べた、いつかの休日の朝を想い出しました。
 私の場合、一人で喫茶店に入ることは滅多にありません。我が家は昔からコーヒーを飲む習慣がなく、食器棚のガラス戸の中に一応インスタントコーヒーがあるにはありましたが、それはお客様が来た時に出す飲み物≠ニいう認識でした(時代が違いますね……)。私がコーヒーを(まぁ、人並みに)好きになったのは、十数年前、病院の廊下に設置されていた自販機の、紙コップに注がれて出てくるブラックコーヒーを飲んだのがきっかけでした。あの時は、なぜか急に飲みたくなったんですよね……。それにしても、やはりコーヒーはブラックに限りますね(←オマエが言うな、ってか? 笑)。
 コーヒーに関してほとんど知識がないことを、今回改めて自覚し、主に小学館『日本大百科全書』から情報を得ます。まずは、種類と特徴から。

 ・ ブラジル  ……… 世界第1位の生産量。酸味が少なく香りの高い中級品。
 ・ コロンビア ……… アンデス山脈1000m地帯で生産。香り、酸味ともに優れ気品に富んだこくがある。
 ・ ブルーマウンテン… ジャマイカ1000m以上の高地で生産。香りと酸味の調和がとれた絶品。
 ・ グアテマラ ……… 太平洋に面した南面の山腹で生産。香り、酸味ともに優れた風格のある上品な味。
 ・ コスタリカ ……… 酸味と苦みが強く、グアテマラ産よりやや劣るが、わずかな配合で風味を増す。
 ・ モカ    ……… イエメン1500m以上の山腹急傾斜地で生産。強い酸味と独特の高い香り、風味あり。
 ・ キリマンジャロ…… キリマンジャロ山1000mの高原で生産。酸味が強く、香りの高いこくあり。
 ・ コナ    ……… ハワイ産。強い酸味と濃厚な香りあり。酸味が緩やかになった古い豆が珍重される。
 ・ ジャワ・ロブスタ… 苦みが強く風味に特徴のない下級品だが、ジャワ産は栽培技術と品質管理が優れる。

 次に、飲み方です。

 @ モーニングコーヒー …… 標準量の約2倍の熱湯でいれた薄いコーヒー。
 A デミタスコーヒー  …… 約半量の熱湯でいれる濃厚なもので、小型のデミタスが使われる。
 B カフェ・オ・レ   …… 多量の牛乳を加えて大型のカップやボールで飲む。
 C ウィンナーコーヒー …… 泡立てた生クリームをたっぷり加える。
 D アイリッシュコーヒー…… コーヒーに多量のミルクを入れ、さらにアイリッシュウイスキーを加える。
 E カフェカプチーノ  …… シナモンスティックでコーヒーを攪拌し、その移り香を楽しむ
 F トルココーヒー   …… 微粉末コーヒーを冷水からゆっくり煮出し、漉さずに上澄みだけを飲む。
 G シコレコーヒー   …… チコリーの根を乾燥し煎って粉にしたものを加え、苦みを増す。

 以上、コーヒー愛好家にとってはごく初歩的な基礎知識でしょうが……、私にとっては新鮮でした!



平成30年6月6日(水)

        雨 季 到 来


 外ら皆濡れ 雨滴跳ね

 蛙声和す 今日もまた

 多く目にせむ 紫陽花の

 艶美よろしや 梅雨入りを


       そとらみなぬれ うてきはね
       かへるこゑわす けふもまた
       おほくめにせむ あちさゐの
       えんひよろしや つゆいりを


 今日、近畿、東海、関東甲信地方の梅雨入りが発表されました。昨日夕方からの小雨は、明けて今日一日降り続いています。いよいよ雨の季節です。
 さて、「梅雨」という名の由来は、大後美保 編『季語辞典』(東京堂出版) に諸説紹介されています。それによると、

 ・ 梅の実がちょうど実るころに降る雨であるということ。
 ・「梅雨(バイウ)」は「黴雨(バイウ)」に通じ、湿気で黴(かび)を生えやすくする雨のこと。
 ・「つゆ」はもともと「露」を意味し、木の葉などに付く水滴のこと。
 ・「つゆ」は「つひゆ(潰ゆ)」から変化したもので、黴が生えて物が損なわれるということ。
 ・「つゆ」は「つはる(=きざす)」から変化したもので、梅の実が出来て熟する時期の雨のこと。

 以上のような説明がありました。
 でも、黴≠竍潰え≠ニいうのは嫌ですよねぇ。ついつい気が滅入ってしまう長雨ですが、梅雨があるからこそ田圃の稲が良く育ち、美味しいお米が出来るのです。ここは素直に梅≠フことを考えましょう! 白いご飯に、赤い梅干し。口の中に唾が湧いて、お腹がぐうぐう鳴るような……。そんな梅雨をイメージしたらいいのです!
 あるいは、六月一日の項で採り上げた『幼児の教育絵本 エースひかりのくに 第1巻第3号』のあとがきに、こんなことが書いてありました。
《雨の日は、幼稚園や保育所へ行きたがらないお子さんもあって、おかあさんや保育者を手こずらせます。でも雨の日はふだん見られない不思議なおもしろい現象が身の回りにおこり、子どもに新鮮な驚きを与えることもできます。登園の道の水たまりに油が浮いて、はがね色にきらきら輝き、それが雨にうたれてマーブリングのような模様を描く、ジャングルジムにたまった雨だれが少しの晴れ間に青や赤や宝石のように光るなど、雨の作り出す世界に興味をもたせ、雨も楽しいなという気持、雨への関心をもたせたいと思います。そうした興味が科学の探究心へと深まっていくのではないでしょうか。》
 雨の日をうっとうしく感じる朝などには、私はこの新鮮な驚き≠思い出すようにしています。そういえば幼い頃は、水に浮いたオイルが虹色に光るのを珍しそうに眺めたなぁって。そうすると、少しは気持ちが落ち着きます。それから、我が子は雨具が好きなことも……。
 懐かしさと微笑ましさで、私も梅雨を楽しめそうです。



平成30年6月5日(火)

        悠 悠 素 適


 愛い樹懶 背を下に

 枝へぶら下がり 慌てぬよ

 ぢつとそこ居ん 葉や実好き

 餌喰ひ眠れる 夢朧


       ういなまけもの せをしたに
       えへふらさかり あわてぬよ
       ちつとそこゐん はやみすき
       ゑくひねむれる ゆめおほろ


 それにしても、まさか今日、ナマケモノの歌を詠むことになろうとは……。いつ何どき創作意欲が湧くか、自分でも予測できないなぁと感じています……。
 動物名の難読漢字を確認していたんです。
 女の人は結婚したら、旦那の苗字を名乗るんだってよ、つまり、夫の姓ですオットセイ=I
 くだらぬ洒落を言いながら、「膃肭臍(オットセイ)」「長尾驢(カンガルー)」「翻車魚(マンボウ)」「飯匙倩(ハブ)」等々を挙げてゆき、そして出て来た「樹懶(ナマケモノ)」の語!
 そのとき頭に浮かんだのが、大阪天保山の海遊館で見たフタユビナマケモノです。昨年十二月二十四日の項でも書きましたが、ちょうど妻と知り合った頃(約三年半前です)に、二人で一緒に観たんですよねぇ! もっとも、本物のナマケモノを見る機会なんて、そうそうありませんからね。思い出すのも当然でしょう。
 それが、今日の一首となったわけです。
 しかし私はナマケモノのことをよく知らないので、主に小学館『日本大百科全書』から情報を得ました。

 ・ ナマケモノは南アメリカの密林地帯にいること。
 ・ 全指に曲がった大きな鉤爪(かぎづめ)があること。
 ・ この爪で逆さにぶら下がって生活するため、体の毛が普通の動物とは逆に腹から背に向いて生えること。
 ・ ほとんど樹上で生活し、木の葉や花、果実を食べること。
 ・ 一日十八時間はぶら下がって眠ること。

「ナマケモノ(怠け者)」とは不名誉な名前ですが、実に合理的な生活をしているじゃないですか! これは楽園生活≠ナすよ! あくせくせず、悠々自適で素敵です!
 でも残念ながら、人間は真似できませんね。だいいち十八時間もぶら下がれないし……(笑)。



平成30年6月4日(月)

        天 然 豚 骨


 白いスウプに 紅の

 味噌少と混ざり 拉麺や

 食べける胸は 悦覚ゆ

 風をも呼びて 声湧きぬ


       しろいすうふに くれなゐの
       みそちとまさり らあめんや
       たへけるむねは えつおほゆ
       かせをもよひて こゑわきぬ


 親戚の子に教えてもらって、天然とんこつラーメン専門店「一蘭」宝塚店へ一緒に行って来ました。
 美味しかった! 私の好きな味ですね。スープはあっさりしてるのに深みがあって、ピリッと辛い秘伝のたれ≠ェ更に旨味を引き立てます。
 入店時にまず手渡される注文用紙に○を付けて、味の濃さ、こってり度、にんにくの量、白ねぎか青ねぎか、チャーシューの有無、秘伝のたれの辛さ度、麺のかたさ、それぞれの段階を細かく注文できるようになっています(こりゃあ『注文の多い料理店』だなぁと感じました。笑)。初めての賞味はやはり基本≠中心に選びましたが、私は辛い物が好きなので、にんにくと、たれの度合いは2倍≠ノしました。ところが、たれの辛さは10倍まで無料、料金を追加すれば20倍まで選べるというから驚くじゃありませんか! 私の感覚では2倍≠ヘさほど辛くなかったので、次に来る時は5倍≠ョらい食べてみたい気がします。
 このお店はメニューがとんこつラーメンしか無く、店内に掲げられた文言によると、
《私共がメニューを多様化せずラーメン一本に絞り込んでいるのは、一杯の味をより深く極め、本物のとんこつラーメンを追求できると考えるからです。一杯のラーメンに、四十人以上の専属職人が、たゆまぬ研究と情熱を注ぎ日々進化する天然極上のとんこつラーメンをかなえています。》
 とのことでした。こういうこだわり≠フ姿勢も好いですね。
 カウンターは、各席ごとに仕切りの壁があって、図書館の自習室みたいになっています(隣の人と話したければ、仕切りの壁は畳めます)。目の前には御簾が垂れ下がり、調理場も見えません。周りを気にせず食事できる環境が整っていて、ゆったりした気分でラーメンの味に集中できます。
 スープを飲み干すと、丼の底には《この一滴が最高の喜びです》の文字が見えました。なんとも楽しいお店ですね(笑)。非常に気に入ったので、また近々行きたいです!



平成30年6月3日(日)

        旨 酸 絶 妙


 味悦びぬ 夢得られ

 笑む ねぎ塩豚丼や

 夏を想へば 爽快に

 酢の香染まりて 店居ける


       あちよろこひぬ ゆめえられ
       ゑむねきしほ ふたとんや
       なつをおもへは さうくわいに
       すのかそまりて みせゐける


♪ここは吉野家 味の吉野家 牛丼一筋 八十年〜
 「一郎、おみやげよ!」
 「やったねパパ! 明日はホームランだ!」

 昔、そんなテレビCMがありました。
 その牛丼一筋≠フ吉野家から牛丼が消えた日のことを、あなたは覚えているでしょうか。そして一年後、たった一日限定で、吉野家に牛丼が戻って来た日のことを、あなたはご存知でしょうか。

《あなた様は、
 吉野家「2・11牛丼〈限定〉復活」にて
 牛丼を召し上がられた
 真の牛丼ファンであることを
 ここに証明いたします。

 平成17年2月11日 吉野家》

 この日、牛丼を食べたお客に配られた証明書≠ナす。証明書の裏には「どうして吉野家は、牛丼を復活させないのか」と題して、
《全国の吉野家では年間3万トンの「ショートプレート」と呼ばれるアメリカ産牛肉を使用》
《この部位は、赤味と脂のバランスがよく、たれの味がしみわたりやすいため、牛丼の味を出すためには、最適の牛肉といえる》
《そのうちでも若い牛のやわらかい肉だけを、吉野家は厳選》
《私たちがアメリカ産牛肉輸入の正常化を待ち望んでいるのは、こうした理由》
 等々の説明がありました。例の狂牛病≠フ一件でアメリカ産牛肉が輸入困難になったが、味や品質を落としてまで別の牛肉を使用したくない、ということですね。本当の牛丼再開は更に一年余り後になりましたが、この一日限定復活≠フ感動は忘れられません!
 こうした経緯で牛丼休止中に登場したのが豚丼≠ナした。最初は普通の豚丼(牛丼の牛肉が豚肉に代わっただけ)でしたが、その後いろいろ新味が登場しましたね。私が非常に気に入ったのが、夏季限定の「ねぎ塩豚丼」です! 甘酢、塩、葱、胡麻が醸し出す絶妙の風味、お腹が鳴ります!
 今年も早速いただきましたよ、ねぎ塩! 様々な想い出や、感慨に浸りつつ……。



平成30年6月2日(土)

        太 陽 草 原


 笑んで安らか 寝そべると

 今日気持ち好う 温みゐつ

 幼い頃の 日溜りに

 幸せ覚え 我夢む


       ゑんてやすらか ねそへると
       けふきもちよう むくみゐつ
       をさないころの ひたまりに
       しあはせおほえ われゆめむ


 うちの子と公園で遊んでいる時のことを想い出しました。
 子供というのは、ほんとにどこでも遊べるもんですね。どんな物にも興味を持って、小石、草の葉、泥団子……、何でも遊び道具になって、自分の世界に浸れます。土の上に座っても楽しいし、日溜りの草原となると、もう寝転がって別天地≠フ気分です。まぁ、幼い頃の自分自身を振り返っても、やはりそうでしたからね。
 汚れても平気だし、少々の傷など物ともしません。きゃあきゃあ走り回るかと思えば、空地の隅で蟻んこの列をじっと見つめていたり、木の実を拾って秘密の宝物にしたり……。それだけで満足でした。それだけで幸せでした。あの頃がとても懐かしいです。
 もう戻ることは出来ませんか、我が子を見ていると同じ気持ちになります。忘れていた心の自由≠ェ甦ります。未来には希望≠オかない幼年時代の……。
 光に抱かれていると、ほのかに初恋のような甘い余韻に浸れます。そっと目を閉じれば、オレンジ色に揺れる海。押し寄せる優しさだけを、まぶたに感じて……。
 今日もまた、好い天気でした。一人でしたが外に出て、胸の奥まで虫干し¥o来ました。いわゆる命の洗濯≠ナすか。あるいは活力の充電≠ゥな? ひょっとすると、人間も光合成≠キるのかもしれませんね。たとえひとときでも、太陽の下にいると、全身に元気≠もらえます。こんな時間があるから、明日もまた頑張れるんですね!



平成30年6月1日(金)

        前 半 大 詰


 青さ求めん 空へ笑み

 第六の月 始まれり

 勇鼓舞すやな 風呼びて

 胸に湧ける血 覚えゐぬ


       あをさもとめん そらへゑみ
       たいろくのつき はしまれり
       ゆうこふすやな かせよひて
       むねにわけるち おほえゐぬ


 早いもので、今日から六月です!
六月≠ニ聞いていつも思い出すのが、松尾芭蕉の「六月や峯に雲置くあらし山」の句です。ろくぐわつ≠ニいう重厚な響きが好いですね。もっとも、これは旧暦の六月ですから、梅雨が明けていよいよ夏本番の炎天を言っているわけです。桜楓社『俳句辞典 鑑賞』(松尾靖秋、堀切実、楠本憲吉、伊吹一 編) にある、
《濃紺の夏空を背景として、樹々の鬱蒼と茂る嵐山がどっしりと眼前にある。見上げるような峰の頂に一団の夏雲がむくむくと立っている圧倒するような嵐山と、太陽の照りつける真夏の昼さがりの静寂とが、ここには見事にとらえられていて、男性的な力強さをひしひしと感じさせる句である。》
 との解説が非常に印象的でした。
 しかし、旧暦と新暦とではかなりのズレがあり(旧暦では、今日はまだ四月十八日とのことです)、これから梅雨を迎えようというこの時季に真夏の昼さがり≠想うというのも皮肉なものです。ところが今日の空は、まさしく太陽の照りつける∞濃紺の夏空≠ニなりました! 眩しい陽射しに映える紫陽花が、目にも鮮やかに焼き付きました。
 さて、六月≠ニ聞いてもう一つ思い出すのが、松田聖子の歌「RAINBOW〜六月生まれ」(三浦徳子 作詞) です。

   急いで私紅茶を飲むの
   誰かが見てたそんな気がして
   読みかけの本パタンと閉じた
   恋になるわ
   Rain rain rainbow rain rain rainbow
   Rain rain rainbow rain rain rainbow
   六月の雨のやさしさで
   あなたが好き

 これは当然新暦の六月、雨が似合う季節ですね。
 そして六月の雨のやさしさ≠フイメージから、私が幼稚園の時に習った童話「いちばん たかい ところから」(山尾清子 作、井江春代 画、ひかりのくに昭和出版『幼児の教育絵本 エースひかりのくに 第1巻第3号』) へと想いが及ぶのです。これは遊園地を這っていた一匹のかたつむりが、自分を笑った声の主を探して、石の上から、紫陽花、象、キリン、観覧車、ヘリコプターへと、次々に高みを目指して行く話です。ほんの短い内容ながら、幼心に小さな冒険心を覚えました。
 とりとめのない連想が、私にとっては懐かしく趣深い……。そんな六月≠フ始まりです。



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