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出来立て!今日の一首

〜平成三十年八月分 の 新いろは歌 中村菜花群〜

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平成30年8月31日(金)

        急 土 砂 降


 八月末 白い峰を

 空へ誇れる 積雲や

 今朝雷の 音も得て

 夕また呼びぬ 雨に居む


       はちくわつすゑ しろいねを
       そらへほこれる せきうんや
       けさかみなりの おともえて
       ゆふまたよひぬ あめにゐむ


「暑いですねぇ……」
「一応、まだ八月≠ナすからね」
「私の中ではもう九月≠ネんですけどね」
「そうですね……!」
 先刻、そんな話をしていたと思ったら……。
 今朝八時半過ぎ、物凄い雷の音がしました。建物の中にいても聞こえて来るほどです。最初、何の音か分かりませんでした。どこかで収納棚でも倒れたのかと、一瞬思いました。そのあと二度ほど鳴ったでしょうか。「雷ですよねぇ……?」
 雷について調べたところ、小学館『日本大百科全書』に、
《雷が自然現象とされなかった段階では、人々は雷は天にいる神の荒々しく動き回る姿と信じ、落雷すると雷獣というものになったとして捕らえようとして追い回したなどの記録がある。》
 とありました。だから「神鳴(かみなり)」「鳴神(なるかみ)」と言うんですね。また、
《雷はもともと農耕生活にいたって縁の深いもので、ことに、生育中の稲が雷の訪れによって穂ばらみするとの観念は全国的である。電光をイナズマとよぶのは、「稲の夫(つま)」の意であろう。》
《冬、雷が鳴るとその年は豊年と伝える地方もあり、雷の落ちた田には青竹を張って祀る地方もあった。》
 との説明も出ています。雷には確かに、人智を超えた偉大な力を感じさせるものがありますね。それを神≠ニ呼びたくなる昔の人の気持ちも、よく解る気がします。私はこうした自然の驚異≠身近に感じることが好きなのです。
 無論、感電して死ぬのは嫌だし、突然大きな音がしたら恐いですよ。でも、普段見られない現象に出逢うと胸が躍り、なんだか理屈抜きで嬉しくなってしまうのです! そういう意味では、今日は八月の締め括りとして最高の日だなぁと、外を走り回りたくなりました。変ですかねぇ?
 夕方にもまた雷があり、空一面に波打つ黒雲。ぽつりぽつりと大きな雨粒、そして土砂降りです。豪快だなぁ! 雨のしぶきで遠くのほうは白くかすんで見えません。これがいわゆる「白雨(はくう)」なのだと、またまた感じ入った次第です。



平成30年8月30日(木)

        和 風 涼 麺


 冷し中華 色良さと

 胡麻も香れる 食べ笑みぬ

 胸に大空 褪せず映え

 夏の気分 愛で居けり


       ひやしちゆうくわ いろよさと
       こまもかをれる たへゑみぬ
       むねにおほそら あせすはえ
       なつのきふん めてゐけり


 今日の昼食はミニストップの「ごまだれ冷し中華」(税込398円) でした。いつもは和蕎麦を買うのですが、売切れだったので、ならばこれにしようと。
 ゆで中華麺に、蒸し鶏、きゅうり、錦糸玉子、かに風味かまぼこ、紅生姜をトッピングするようになっています。ごまだれのスープが麺に絡んでとても美味しかった! やはり胡麻風味は好いですね!
 私が初めて冷し中華を食べたのは、小学生の頃だったと思います。たぶん、母がスーパーで買って来てくれたものでしょう。
 少年時代の夏といえば、葭簀を立て掛けた縁側、鉢植えの朝顔、打ち水のされた庭、松の枝に蝉の声、青空に湧き起こった入道雲、風鈴の音、風通しのいい座敷、線香の香り、遠くから聞こえて来るラジオの高校野球、よく冷えた西瓜、宿題の絵日記……。そして、控えめで優しい母の面影。
 ごく一般的な連想かも知れません。そんな夏のイメージに、甘酸っぱいごまだれの風味が重なり、妙に懐かしい気持ちになりました。
 冷し中華と聞いてもう一つ思い浮かぶのは、父とよくお参りにいった東大阪の石切神社参道です。以前、私はその光景をこんなふうに表現しました。
《強い陽射しが照り付ける急坂の中ほどで、汗を拭きつつ坂の上を振り仰げば、真っ青な空にむくむくと盛り上がった入道雲。どこからかチリンチリンと風鈴の音。道の脇には小さな古い食堂があり、表に出された陳列棚に蝋細工のサンプルが、夏向きメニューで涼しげに並べられ……。》
 実を言うと、石切参道でそれを食べた覚えは無いのですが……。
 冷し中華は私にとって、父母それぞれの思い出を呼び覚ます、不思議な魅力を秘めた料理だと言えるかも知れません。

  



平成30年8月29日(水)

        草 叢 楽 団


 蝉声減らん 世を眺め

 今朝ふと秋 涼覚ゆ

 八月往ぬ 絶えず野に

 虫も居て音ぞ 広まれる


       せみこゑへらん よをなかめ
       けさふとあき りやうおほゆ
       はちくわついぬ たえすのに
       むしもゐてねそ ひろまれる


 毎日蒸し暑いですが、過ぎし真夏の猛暑に比べたら、朝夕はだいぶ涼しくなりました。
 今年は季節が例年より十日余り早い気がします。桜が咲くのも早かったし、百合園の百合も早く散ってしまったし、八月に台風が九つも来るし……。そうして今朝、通勤途中で草むらの虫の声に驚かされました。まさに楽団≠ナすね。「集(すだ)く」とか「虫時雨」という言葉が頭に浮かんで来ます。暑がりで汗かきの私が、肌に風の涼しさを感じています。
 あれ? まだ八月ですよ。そういえば蝉の声がしないなぁ……。今年はツクツクボウシもほとんど聞かなかったけれど、もう「秋の虫」の季節になったのかな……? そう思った途端、どこか遠くで淋しげな蝉の声がします。私の心を読んだのか、夏の終わりに精一杯自己主張≠オているようでした。
 振り返ると、この八月は短いようで長かったですね。いろんなことがありました。
 東京にも行きました。東大阪や寝屋川へサイクリングにも行きました。御盆の準備は大変でした。親戚の法事にも行きました。入道雲に胸を躍らせ、あちこちで綺麗な花も観ました。串カツ屋も美味しかったなぁ。花火大会は無駄足に終わったけれど、家族で夕涼みの散歩に行くとか、ファミリーレストランで食事するとか、そんな些細な日常も夏の風景≠ニして思い出の中にしっかりと刻まれています。心はすっかり九月になってしまいました。
 まだ「八月」が残っているんだと思うと、ちょっと得した気分です。明日、明後日と、あと二日間夏の名残り≠じっくり味わいたいですね。小さな事にも喜びを見つけ、今日という日の意味を、ほんのわずかでも実感できますように……! その一つの足掛かりが、私にとっての新いろは歌≠ネのかもしれません。明日もまた、頑張ります!



平成30年8月28日(火)

        椿 邸 惨 劇


 黄金の笛 音奏でゐ

 悪魔来れり 暮夜寒気

 許せぬ罪を 腹へ据ゑ

 世にも恐ろし 血と悲鳴


       わうこんのふえ ねかなてゐ
       あくまきたれり ほやさむけ
       ゆるせぬつみを はらへすゑ
       よにもおそろし ちとひめい


《説真的 我并不想發表這個恐怖的事件
 那是因爲 這實在是一個太過凄慘 充斥着詛咒和怨恨的案件
 事件是從戰災的痕迹依然清晰可 見的銀座四丁目的十字路口開始的
 這個時候穿過這個 十字路口的穿着披風的男人
 竟然就是即將發生的 駭人聽聞的世紀大案
 就是后來被稱爲天銀堂事件的 大規模殺人事件的凶手
 就算是大名鼎鼎的名偵探 金田一耕助也没有意識到 ……》

 なんじゃこりゃ〜〜〜!! 漢字ばかりで頭がクラクラしそうですね。
 でも、よく見ると「金田一耕助」の名前があるでしょう? そうです、これは横溝正史原作のスペシャルドラマ『悪魔が来りて笛を吹く』の、中国語字幕なのです!
 音声では、小日向文世演ずる横溝正史≠ェ以下のように語っていました(中国語と比較すると、非常に興味深いです)。

《本当を言うと、私はこの恐ろしい事件を発表するのは、気が進まないのだ。
 なぜなら、これはあまりにも陰惨な事件であり、あまりにも呪いと憎しみに満ち満ちているからである。
 事件は、まだ戦災の痕の生々しい銀座四丁目の交差点から始まった。
 この時、この交差点を渡るマントの男が、これから行われる恐るべき世紀の犯罪、後に天銀堂事件と呼ばれる大量殺人事件の真犯人とは、さすがの名探偵金田一耕助といえども、知る由もなかった。……》

 フジテレビ系で放送された、稲垣吾郎の金田一シリーズは、『犬神家の一族』(2004年)、『八つ墓村』(同年)、『女王蜂』(2006年)、『悪魔が来りて笛を吹く』(2007年)、『悪魔の手毬唄』(2009年) の五作品ありますが、私は迂闊にも、そのほとんどを見逃してしまいました。いずれDVDになるだろう、そしたら絶対に買うぞ! そう意気込んでいたのに、なぜかソフト化されません!! 残念!!
 ところがつい先日、ネットで中国版の全五作セットDVD-BOX(逆輸入盤?)がすでに販売されていたことを知り、喜び勇んで買いました! ずっと観たかった作品なので、画質がどうだとか、製品が粗雑だとか、細かいことは言いません! 充分に楽しめました。ありがとう!!
 ドラマそのものの素晴らしさは言うまでもありません(原作に忠実で、稲垣風金田一らしさ≠ェよく出ていて、こんなに良質の感動的作品を、なぜ国内で発売しないのか不思議でなりません!)。私はほんとに満足しました。出来れば今後、十年越しの新作を期待したいところですね!!



平成30年8月27日(月)

        神 津 橋 南


 伊丹の地区居ぬ 河川敷

 花火と出逢ふ 我酔へり

 夜頃大空 夢模様

 胸に咲ける 悦を増す


       いたみのちくゐぬ かせんしき
       はなひとてあふ われゑへり
       よころおほそら ゆめもやう
       むねにさける えつをます


 昨日の歌はショボかったので(苦笑)、今日は豪華に夜空の花火そのものを詠むことにしました。
 三年前は、ほんとに気合を入れて花火大会に行きましたよ! 出店やイベントには目もくれず、ただただ花火だけが見たくて、暗がりの土手に一人陣取りました。草ぼうぼうの、灯りも何もない場所を真っ先に目指したのです。おかげで打上げ場に最も近い、立入禁止のロープ間際で、大迫力の火の芸術を存分に楽しむことが出来ました! やっぱり感動しましたねぇ!
 さて、歳時記で花火について調べていたら、関連語として「花火線香」という語が出て来ました。もちろん「線香花火」のことですが、ひっくり返しても意味が同じというのは、言葉として面白いなぁと思ったのです。
 日本語というのは、普通は下の語に重点を置いて解釈します。例えば「窓ガラス」とは窓にはめる「ガラス」のことですが、「ガラス窓」といえば、ガラスのはまった「窓」の意味になりますね。両者は似ているようで、実は指し示すものが全く違っています。「窓ガラス←→ガラス窓」ぐらいならまだ良いですが、もし「水鉄砲」と「鉄砲水」を取り違えたとしたら、大変な騒ぎになってしまいます。水鉄砲は単なる玩具、鉄砲水は大災害ですからねぇ! 語順の違いが極端な意味の違いを生む場合もあるわけです。
 そういう点から考えると「線香花火」=「花火線香」のような例は、非常に珍しいでしょう?! 他に何があるでしょうか?
 私が今思い付くのは、せいぜい「カレーライス」=「ライスカレー」、「大根おろし」=「おろし大根」、「卵焼き」=「焼き卵」、その程度です。「イカ焼き」と「焼きイカ」というのもありますね。「タコ焼き」はあっても「焼きタコ」は無く、「焼き海苔」はあっても「海苔焼き」は無いわけで、言葉にもそれぞれ個人差≠ェ見られます。「カレーライス」と「ライスカレー」については、厳密に言うと意味が違うらしいですが(カレーとご飯が別々に出てくるのが「カレーライス」、最初からご飯にカレーが掛かっているのが「ライスカレー」だったと思います)、もはや雑学≠フ分野ですね……。

  

  



平成30年8月26日(日)

        打 上 終 了


 見物客 豪う居て

 さも今帰る 横の路地

 音済み目にせぬ 花火ゆゑ

 我骨折り 無駄足ぞ


       けんふつきやく えらうゐて
       さもいまかへる よこのろち
       おとすみめにせぬ はなひゆゑ
       われほねをり むたあしそ


 昨日の宵、兵庫県伊丹市の猪名川で開催された「第38回いたみ花火大会 2018」へ行って来ました……。といっても、実は花火を全く見られなかったのです、残念!!
 上の画像、花火が無いでしょう?
 猪名川と藻川の分岐点付近(神津大橋南側河川敷)で、毎年八月下旬に約三五〇〇発も打ち上げられます。大阪空港からも近いので、近隣に会場が設けられ、五万人近くもの見物客でにぎわうとのことです。今年は時間が七時半から八時半まででした(それを後で知ったのです。以前は八時から九時までだったのに……)。
 最初、無理に花火を観に行くつもりはなかったのです。夕方用事があって、それが片付いたら行ってもいいなと考えていたところ、八時前に用が済んだので、遅ればせながら行くことにしました。家から現地まで、自転車で三十分。遠くから聞こえる花火の音に誘われ、徐々に猪名川が近づいて来たと思ったら……。そうです、到着したら八時半、打ち上げ終了時刻です! やっと土手上の、見通しの良い場所に来たのに、帰る人の波に呑まれてしまいました。当然、花火は一発も上がりません。なんじゃそりゃ〜〜〜!
 残念、無念。少しだけでも見られたら、それで満足だったのに……。
 無駄足……。骨折り損のくたびれ儲け……。そんな言葉が浮かんで来ました。何しに来たのか、汗びっしょりになって帰るのみです。馬鹿だなぁ〜〜〜。間抜けだなぁ〜〜〜(苦笑)。
 それが今日の一首≠ノなりました。この新いろは歌は私にとって、一つの収穫≠ニ言えるでしょう!(笑)。
 三年前に撮影した花火大会の画像を最後に添えようかとも思ったのですが、昨晩の虚しさ≠強調するため、今回は闇≠フ画像のみとします。



平成30年8月25日(土)

        猛 暑 満 開


 真夏越して来 色赤う

 咲む百日紅 樹立ちゐぬ

 大空を背に 枝や根伸ぶ

 美と繁茂好げ 我夢見


       まなつこしてく いろあかう
       ゑむさるすへり きたちゐぬ
       おほそらをせに えやねのふ
       ひとはんもよけ われゆめみ


 百日紅と書いてサルスベリ、私が大好きな花の一つです。
 好きな理由は強靭な生命力≠想わせる点です。大後美保 編『季語辞典』(東京堂出版) に、
《さるすべりの花言葉は雄弁とされているが、あざやかな赤い花がなにかを物語ろうとするかのように長いあいだ咲きみだれているからであろう。さるすべりを百日紅の名で呼ばれているのは開花期が長いためである。》
《盛夏期に咲く花といえよう。さるすべりは、花が咲きはじめてから、一〇日ないし一八日ぐらいたつと満開となり、百日紅という名前のように、咲きはじめてから満開になるまでの期間がかなり長い。》
 と説明されているように、暑い真夏に百日ほども咲きこぼれる花の強さ、あふれる元気さ、情熱を感じさせる紅い色は、見事と言うほかありません。「花の命は短くて……」と言いますが、サルスベリはその逆ですね! 炎天下に咲き誇る紅い花から、夏負けしないエネルギッシュなパワーをもらえる気がします。
 サルスベリと聞いていつも思い出すのが、横溝正史の短編「百日紅の下にて」(角川文庫『殺人鬼』所収) です。終戦直後の焼野原、ある廃虚で二人の男が過去に起きた殺人事件について議論を闘わせ、その謎に迫ってゆくわけですが……。

《「おお、百日紅の花が咲いている」》
《ほかの樹木という樹木が、全部焼けただれて、黒く立ち枯れているなかに、百日紅の樹がただいっぽん、幹の半面を火にあぶられながら、こぼれるように紅い花を開いているのが、義足の男の目には奇跡のようにうつったらしい。》

 自殺した女性が生前愛した花木の下に、義足の男と、復員者ふうの男。
 サルスベリの生命力が強く表れた場面設定が、非常に印象的でした。



平成30年8月24日(金)

        我 小 休 止


 生麦酒据ゑ 餃子取り

 塩拉麺を 食べ微笑

 その後僅かに 夕焼け得

 胸も晴れ来 路地で居ぬ


       なまひいるすゑ きよおさとり
       しほらあめんを たへみせう
       そのこわつかに ゆふやけえ
       むねもはれく ろちてゐぬ


 上記、なんだか「路地」で食事していると誤解されそうな歌になってしまいました(笑)。「その後」店外へ出たわけで……。
 さて、台風二十号の風雨が去った朝。今日は地蔵盆で、まず御寺へ御供えを持って上がりました。それからいろいろと別の用事です。
 銀行を三軒回って記帳と振り込みをし、兵庫県収入証紙というのも買い、郵便局で切手と収入印紙を買い、コンビニで熨斗袋も買いました。帰宅してから今度は電話です。来月に法事を勤めるので、会席のお店を調べて問い合わせ、予約を取りました。当日乗るジャンボタクシーも予約しました。ほっとひと息吐いた後、次に別件の必要書類を探し回りました。普段はあまり意識していないので、あるはずと思っていた場所にそれが無いと、見つけるのにひと苦労です。いっぺんに汗だくになってしまいますね(苦笑)。そんなこんなで、どっと疲れてしまいました。
 小さなことでも一時に全部片づけるのは、かなり大変ですね。日頃から一つずつやっておけば済むことなのですが、ついつい雑用がたまってしまいます。たまらんな〜〜!
 自分への教訓その一。
「一度に多くのことを考えない」。あれもしなければいけない、これもしなければいけない、と考え過ぎたら頭がパニックになってしまいます。目の前の一事に集中すること。一つ片付けば、それだけ気持ちも楽になります。すぐ出来る簡単なことから先に始めましょう。
 自分への教訓その二。
「完璧を望まない」。きちんとやるのは良いことですが、あまり細かい点を気にし過ぎると、前に進めません。完璧に二割終えるより、大まかに八割終えるほうが良いと心得ましょう。そのほうが気持ちも楽なります。細事は後からいくらでも修正できます。
 一つ一つは大した用事ではないけれど、いくつか片付くと、大きな仕事を成し遂げた気持ちになります。今日はこの辺にしておきましょう。
 すべきことをした後は、ビールも一層美味しいですね! ラーメン屋さんで夕食を終え、外に出て夕焼け雲を眺めました。雲がほんの少し赤くなった、曇天の夕暮れです。



平成30年8月23日(木)

        黒 幕 就 縛


 銭形平次 謎見据ゑ

 智冴ゆ 胸晴れ夜明けを得

 気負ふ捕物 山越えつ

 悪奴顛落 滅びゐぬ


       せにかたへいし なそみすゑ
       ちさゆむねはれ よあけをう
       きおふとりもの やまこえつ
       わるめてんらく ほろひゐぬ


 必要があって、市役所や税務署へ書類をもらいに行きました。私は書類が大の苦手、書類と聞くだけで頭が痛くなってしまいます。なんだかんだと面倒なことだ……。そう思った時、

   なんだ神田の 明神下で
   胸に思案の 胸に思案の
   月をみる

 という歌の一節が、自然と心に浮かんで来ました。関沢新一 作詞、安藤実親 作曲、舟木一夫が唄う「銭形平次」です!
 銭形平次といえば、大川橋蔵ですね!! 橋蔵演ずるフジテレビ系時代劇『銭形平次』は、昭和四十一年から十八年に渡って八百八十八話も放送されました。私は子供の頃から時代劇が大好きで、特に中学時代は毎週楽しみに、真剣に鑑賞したのを憶えています。
 その中で一番印象に残っているエピソードは、昭和五十三年十月二十五日放送の「姿なき殺人」です。その日の神戸新聞(デイリースポーツかも知れません)番組欄の解説を切り抜いた懐かしい紙片が、机の引出しのノートに挟まって、今も残っていました! 以下に引用します。

《???????
 密室で女将殺し
 ◇銭形平次・姿なき殺人(関西系後8・00)高級料理屋の女将・お竜(松下康世)が茶室で殺された。茶室は密室。平次(大川橋蔵)は天井の血の跡を見逃さなかった。料理屋の人間関係は複雑だった。気ままな後妻を恨む松吉(今福正雄)や入り婿をねらう板前の甚八(大竹修造) 番頭の嘉助(山口幸生)らがいた。
 松吉の言葉に平次のひらめきが…》

 時代劇には珍しく、本格推理ドラマですよ! それも、密室殺人!! 女将は喉を突かれて血まみれで発見されたのですが、凶器は無く、茶室に人の出入りもありませんでした。たとえば、窓の外から槍などで突き殺すことは可能ですが、そんな長い凶器を持ち歩いたのでは、すぐに店の者に見られてしまいます。また、仮に短剣を投げつけたとしても、喉に凶器が刺さったままになってしまうはずです。犯人はどうやって女将を殺したのか。平次が投げ銭の穴の向うに見たものは……? そんな内容でした。是非とももう一度観たいのですが、機会に恵まれず、非常に残念です。
 尚、上の画像はもう一枚残っていた切り抜きの写真です。大川橋蔵が初の二役に挑んだ「にせ平次奮戦記」(昭和五十三年十一月一日放送) より。



平成30年8月22日(水)

        吉 祥 霊 獣


 麒麟の雲や 真白映え

 猶威勢良う 空駆けむ

 常に夢追ひ 幸を恋ふ

 明日へと発てる 我笑みぬ


       きりんのくもや ましろはえ
       なほゐせいよう そらかけむ
       つねにゆめおひ さちをこふ
       あすへとたてる われゑみぬ


 昨夕、輝くばかりの入道雲を見ました。西日に白く照り映える様子を見ると、胸が躍り、夢中でケータイのシャッターを押しました。その時には気づかなかったのですが、上の画像(午後六時一分撮影)を見て、これはまさしく伝説の麒麟≠セと、そう思いました。この雲の形、キリンビールのラベルにもなっている、あの麒麟にそっくりでしょう!! 良い写真が撮れたと悦に入り、何だか非常におめでたい気持ちになって、今日の一首に詠んだ次第です。麒麟にしても、鳳凰や龍にしても、中華料理店の壁に描かれるような、絢爛たるイメージがあって好いですね!
 さてその「麒麟」。『広辞苑(第六版)』に、
《(雄を「麒」、雌を「麟」という)中国で聖人の出る前に現れると称する想像上の動物。形は鹿に似て大きく、尾は牛に、蹄は馬に似、背毛は五彩で毛は黄色。頭上に肉に包まれた角がある。生草を踏まず生物を食わないという。一角獣。》
 とあります。この「生物を食わない」という点に注意が行きました。「生草を踏まず」とあるので、当然「草」も食べないのでしょう(「草」も「生物」ですし)。では何を食べているんだろうと疑問に思い、他の辞書や百科事典で調べてみたのですが、今のところ分かりません。インターネットでは「枯れた草だけを食べる」というような説明も見られましたが、出典が示されていないので、実際にそういう伝説があるのかどうか確認できませんでした。仙人は「霞を食う」などと言いますから、麒麟も同じようなものを食べているのかなぁと、今は勝手に想像しています。



平成30年8月21日(火)

        遠 乗 一 難


 サイクル店 無き村を

 故障ゆゑぞ 押す破目に

 陽炎燃えつ 汗塗れ

 野辺通り弱音 旅路居ぬ


       さいくるてん なきむらを
       こしやうゆゑそ おすはめに
       かけろふもえつ あせまみれ
       のへとほりよわね たひちゐぬ


 寝屋川の起点へ行った日、実は自転車がパンクしました。石切神社からの帰り道、東大阪市日下町あたりの信号を渡っていて、派手に「パ〜〜〜ン!!」とタイヤごと破裂したのです。ちょっと笑えました。
 ゴムが弱って割れ目が出来ていたんですね。とにかく自転車を押して歩くしかありません。サイクルショップを発見したらすぐにタイヤ・チューブを交換してもらおうと、暑いなか汗まみれになって歩き続けました。こういう時の時間は長いですね……。でもそれを、一方では他人事のように楽しんでいる自分がいます。この先どうなるんだろうと。テレビドラマの結末を期待するような感覚です。人間心理というのは面白いもんですね。
 歩いたのはせいぜい三十分程度でしょう。大東市北条で、ついに自転車屋さんを発見! 喜んだ反面、次なる問題が……。財布にお金が五千数百円しかありません。足りるとは思うけど……。私の自転車は車輪も大きく二七インチなので、四千三百円かかると言われました。やっぱりねぇ。しかし、歩いて帰ることを考えたら地獄に仏≠ナすよ! ご主人は十五分ほどで手早く作業して下さり、ほんとに助かりました!
 お昼は駅のそば屋さんで、天ぷらそば三百二十円。そのあと寝屋川の起点まで行って、尼崎の自宅へ帰るまでに、当然喉も渇きます。途中、自動販売機でお茶や缶コーヒーを飲み、家に着いた時には十円玉がたったの一枚しか残りませんでした(苦笑)。
 でも、楽しかった! 心の底からそう思いました。やはりサイクリングは気持ちが好いです! 寝屋川の起点にも、もう一度行きたいし! 今度は川に架かる橋の名前を、起点から終点まで、全部調べてみたいと思っています(小さな橋の名は、地図には載っていませんからね)。



平成30年8月20日(月)

        寝 屋 走 行


 支流寄せ合ふ 実に其処へ

 寝屋川起点 碑を据ゑ得

 猶も参らむ 夢の路

 サイクルロオド 我訪ぬ


       しりうよせあふ けにそこへ
       ねやかはきてん ひをすゑえ
       なほもまゐらむ ゆめのみち
       さいくるろおと われたつぬ


 ホームページ記念日の昨日、自転車で東大阪の石切神社へ月参りに行って来ました。その帰り道、そば屋さんでお昼にしようと京阪電車萱島駅前に立ち寄った時、何気なく寝屋川市の史跡案内板を見たのです。そして、そこに出ていた「寝屋川の起点」の文字に目が留まりました。ぜひ行ってみたい、と。思い立ったら即行動です!(その前に天ぷらそばを食べましたが。笑)
 駅から川沿いに、一時間半ほど遡りました。急がずにゆっくり走ります。見る物すべてが新鮮です。マンション、公園、住宅街、百日紅に百日白、空き地、稲田、こんもりとした森……。そして見えてきた路面のタイルには、二匹の魚の絵。魚が吐くあぶくの一つが大きな楕円となって、その中に「ねや川のきてん」の文字が! ついに来たのか! その少し先には、鉢かつぎ姫の石像が掲げる「寝屋川の起点」の説明板がありました。参考までに、文章を引きます。

《市名にもなっている寝屋川は、交野市から流れるタチ川と北谷川が合流したところ(ここより南西へ五〇メートルの地点)から始まります。延長約二一キロの一級河川で、うち約八キロは、市の合併前の五町村のすべての地域を流れ、大阪市の天満橋付近で大川(旧淀川)と合流します。
 寝屋川は、普段は静かな流れで、かつて農業用水や生活用水、大阪との船便などで地域の暮しを支えてきた反面、大雨が降れば、星田の山や香里丘陵の水を集めて流れ、人々は随分と水害に悩まされてきました。現在では、改修等で近代的な川になりましたが、先人のこうした水との共存と治水の苦労が、私たちの郷土を生み、育んできたといえます。》

 起点とか、発祥の地というのは好いですね。私のホームページ記念日に寝屋川の起点を訪れることになったというのも、何かの縁でしょう。物事の始まりをこの目で見、気持ちも新たになりました。実に幸先の良い、二年目のスタートです!

  

  



平成30年8月19日(日)

        祝 一 周 年


 好く事や幸 見付けゐる

 いろは歌載せて 夢盛りぬ

 ホオムペエジ 記念日よ

 青空に我 笑まふかな


       すくことやさち みつけゐる
       いろはうたのせて ゆめもりぬ
       ほおむへえし きねんひよ
       あをそらにわれ ゑまふかな


 八月十九日は私にとって「ホームページ記念日」です!
 去年の今日、この『新いろは歌の広場』を開設し、早くも一周年となりました。たった一年ですが、ほんとに色々なことがありましたねぇ! あっという間だった気もするけれど、実際その間に新いろは歌を三百十四首詠んでいます。ぐるっと一回り(円)で三一四、なんだか円周率(3.14……)みたいですね(笑)。そして今日が三百十五首目! 今年の初めに毎日一首作ろうと決め、なんとか今日まで実行して来ました。どこまで行けるか、初心に返り、決意を新たに明日からも頑張ります!!
(ちなみに上の画像は、西宮市小曽根町のコスモスです。記念日に花を添える意味で、まさに一年前の、八月十九日当日に撮影したものの中から選びました。気持ちがタイムスリップします!)
 ところで、図形の「円」で思い出した話を一つ。
 円はなぜ三百六十度なのだろうと、ふと疑問に思ったことがありました。そんなある日、偶然見つけた一冊の本。そこに、
《古代バビロニア人は1年を360日だと考えていた。そこで円を360に割る「度」という単位を考え出した。円をかいたコンパスの長さで円周を区切ってゆくと、ちょうど6つに分けることができる。バビロニア人は 360÷6=60 を大変ふしぎなありがたい数として、60進法を作り出した。》
 という話が出ていました(遠山啓 著『算数の探検5 形とあそぼう』日本図書センター 復刊版 より要約)。なるほどね!
 60は約数が多い(1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30、60で割り切れる)ので、単位として便利ということなのでしょうが、コンパスで円を区切るという考え方が、日常に則していて面白いなと思いました。また、それを「大変ふしぎなありがたい数」として神秘的≠ノ捉えるところは古代人らしい発想ですね。つまり、真理というのは人智を超えた美しい≠烽フなのでしょう!



平成30年8月18日(土)

        心 之 一 曲


 夢 八月の砂時計

 星冴え夜空 藍ぬり絵

 胸で恋や 風に触れ

 君を想へる 歌浪漫


       ゆめはちくわつの すなとけい
       ほしさえよそら あゐぬりゑ
       むねてこひや かせにふれ
       きみをおもへる うたろまん


 庄司明弘作詞、山梨鐐平作曲、吉沢秋絵が歌う「ハートのサンドグラス」は私にとって、究極の癒し≠フ一曲です。以前、私はこの曲に関して、次のように感想を述べたことがあります。

《イントロの微かな響きを感じた途端、すうーっと曲中世界へ吸い込まれてしまいます。谺のような優しい歌声、穏やかなメロディー。そして間奏の盛り上がり。胸の高鳴り。それにしても……、

   八月の砂時計
   輝いて星になる頃
   あなたへの恋心
   打明ける夢を見るのね

 なんて美しい言葉、なんて綺麗な表現でしょう。胸に沁み入る詩情、瞼に浮かぶ情景。淡い乙女の微笑み。セピアの陽射しに染められて、風と、海と、全宇宙と一体化するような開放感。本当にゆったりした気分に浸れます。》

 この想いは今も全く変わっていません。もう三十一年も前に発売されたCDアルバム、吉沢秋絵『charming』に収録されている曲ですが、聴くたびにとても新鮮な気持ちになります。八月の歌詞なので、夏の夕暮れ時にはより一層心に沁みるのです。
 これを新いろは歌に詠んでみようと思いました。特に「八月の砂時計」という表現は、是非ともそのまま詠み込もうと考えました。「はちぐゎつのすなどけい」で、ちょうど仮名の重複もありませんし……!
「八月」の語は、どこか切ない夏の終わりを感じさせ、「恋心」と呼応します。「砂時計」の砂が落ちる様は、時の経過を具体化し、また「砂」は砂浜を想起させます。「輝いて」には、夕陽の輝き、星の輝き、二重の意味があるようです。陽に照らされた砂の一粒々々、それがそのまま夜の星屑へと移行してゆく様を、映像的に見せてくれます。「星になる」という言葉でイメージが空へと移り、心が宇宙へ溶け込んでしまいます。それにしても、よく練られた歌詞ですね!
 この穏やかで雄大で、愛に満ちた気分、何度味わっても好いものです。



平成30年8月17日(金)

        串 居 酒 屋


 店へぞ行かむ 微酔ふ夜

 和める場にて 我ら居ぬ

 海老や牛たん 鶏つくね

 揚げ物美味し 幸を増す


       みせへそゆかむ ほろゑふよ
       なこめるはにて われらゐぬ
       えひやきうたん とりつくね
       あけものおいし さちをます


 まず、上の画像は天使の海老≠ナす!
 お酒を飲まない妻が、珍しく居酒屋風の店に行こうと言い出しました。昨夕のことです。特に行く当てがなかったので、とりあえず阪急武庫之荘駅前へ出ました。そして、南側の通りを走るうちに「串揚酒場 かわ神」というお店を見つけたのです。美味しかった! なかなか家では揚げ立て熱々の串カツなど食べられませんからねぇ。歌に詠んだ「牛たん」「鶏つくね」も旨かった! 他には、鴨ねぎ、しいたけ肉づめ、和牛三角バラ、子持ちししゃも等、大いに気に入りました。
 さて、メニューを見て真っ先に目に留まったのが、上述の天使の海老≠ナす。名前が洒落ているじゃありませんか! で、何が天使≠ネのかを考えました。
 思うに、見た目が小さく可愛いこと(頭から尾まで丸ごと全部いただけます!)。次に、カラッと揚がっている様が、軽々と天を飛ぶ姿をイメージさせること。「あがる」と読む字は「上」「挙」「揚」の三種類ありますが、「凧が揚がる」「天ぷらが揚がる」というように、空高くあがる意味と、油を切って金網の上に引きあげられる意味と、漢字の上でも共通します(だから「天ぷら」にも「天」の字が付くのかな?)。
 さらに、小学館『日本国語大辞典』の「天使」の項を見ていて、面白いことわざを目にしました。
《てんしが通る(フランスのことわざ Un ange passe の訳から)今まで続いていた対話や座談がとぎれて、一座の者がみんな沈黙してしまうことをいう。》
 そうか、これだ!
 お酒を飲みながら今まで楽しく会話していたのが、この海老の串揚げを食べた途端、そのあまりの美味しさに一座の者がみんな無口になってしまう――。
天使が通った海老≠ニいう意味も込められているんじゃないか……?
 今度お店に行ったら天使≠フ由来を尋ねてみたい気もしますが、
「さぁ……?」
 という店員さんの少し困ったような笑顔が返って来そうですね(笑)。店長さんに聞けばいいのかな?

【8月18日 追記】
 ……と、昨日はいろいろ考えを巡らせましたが。
「天使の海老」って、ニューカレドニア産の海老のことだったんですね!
天国に一番近い島≠フ海老だから天使≠ニ呼ぶのでしょう。海老の色も白い(薄いブルー?)ですし。
 ネットで調べたら、通信販売もしていました! 知らなかったなぁ……(苦笑)。
 無知というのは恐ろしい!! 後日の小さな衝撃≠ナした。



平成30年8月16日(木)

        六 色 雪 片


 得しピイスを 寄せゐんと

 見真似遊べる ブロツクで

 お花の形 咲き誇りぬ

 実に夢模様 我ら笑む


       えしひいすを よせゐんと
       みまねあそへる ふろつくて
       おはなのかたち さきほこりぬ
       けにゆめもやう われらゑむ


 いつもよく行くラーメン横綱阪急武庫之荘店で、またも子供に玩具を頂戴しました。以前にも貰ったことのある「スノーブロック」(発売元は株式会社ユーキ) です。このブロックは雪の結晶の形をしており、六つに枝分かれした先の丸い部分が櫛の歯のようになっていて、それを組み合わせて遊びます。一袋15ピース入りで、色は赤、青、黄、緑、オレンジ、ピンクの6色。対象年令3才以上。《お子様の想像力をアップする》《たのしいブロックあそび いろいろな形に挑戦してね!》とのことでした。
 例によって、また私がお手本を作るわけですが……(苦笑)。やはり、手っ取り早いのは花≠ナすね。ピースそのものが花の形に見えるので、適当に組み合わせるだけでも、ご覧の通りとても綺麗です(上の画像)。うちの子はまだ二歳ですから大したものは作れませんが、それでもピースを二つ三つ組み合わせ、蝶々≠セといって喜んでいました。なるほど……。こうして子供は蝶よ花よ≠ニ育つわけですなぁ(笑)。
 ところで、単に「ブロック」というと四角い<Cメージがありますよねぇ? もともとは塊(かたまり)≠フ意味なので、特に形は無いのかもしれませんが、それでもやっぱり平面なら長方形(まっすぐな街路で区切られた市街地の一区画)、立体なら直方体(角材やコンクリートブロック)を思い浮かべるでしょう? 角があってシャープに区切るからこそ阻止する∞遮断する≠ニいう意味も生まれて来たのだと思います。
 そういう点から考えると、丸いブロックというのは少々異質だなぁと感じました。積むのも不安定だし、余分な隙間が出来てしまいますからねぇ。それを逆手に取った「スノーブロック」の発想は、実にユニークですね。櫛の歯によって曲線的≠ネ組み合わせを可能にした、画期的商品であると言えるかもしれません!



平成30年8月15日(水)

        満 足 一 杯


 葱の大盛り 我笑むを

 少と吸ふ 醤油ラアメンぞ

 白菜 玉子 並べて好げ

 悦広がる 店に居ぬ


       ねきのおほもり われゑむを
       ちとすふしやうゆ らあめんそ
       はくさいたまこ なへてよけ
       えつひろかる みせにゐぬ


 昨日の昼、「どうとんぼり神座」阪急西宮ガーデンズ店で煮玉子ネギラーメン≠いただきました。
 チャーシュー、半熟ゆで玉子、白菜の入ったラーメンで、葱がたっぷり盛られています。メニューを見て、まずこの葱に心魅かれました。食べてみると、麺は歯切れが良く、スープはあっさりとした醤油味です。白菜のみずみずしさがスープによく合い、すっきりした味わいです。食べ始めはごく普通の醤油ラーメンに思えますが、食べ進むうちにスープの魔法が利いて来ます。「わりと一般的な味」→「醤油ラーメンの基本となる味」→「さっぱりしてるのに味わい深い」→「かなり美味しい」→「忘れられない独特の風味」というふうに、気持ちが変化して行きました。
 お店のホームページで見た《違和感のち確信》という謳い文句は、まさしくその通りだと実感しました。《1回目で感じた違和感はそのままに、もう1度ご来店ください。違和感を確信へと変える自信が神座にはあります》とのことです。《目指したのは毎日食べられる身体にやさしいスープ》だそうで、なるほどこれなら毎日でも食べられる味だなぁと思います。私はどちらかというと、豚骨ラーメンのような濃厚スープが大好きなのですが、身体のことを考えるとどうしても食欲を自制しますからねぇ……。
 ちなみに「神座」という名の由来は、

《当店の名前は「神座」と書いて「かむくら」とよみます。
 昔から「上座」は「一番偉い人の座る場所」という意味です。
 そういう気持で「上座」を「神座」とネーミング致しました。》

 だそうです。つまり、「神の位(くらい)」ということですね。これは、ラーメン界の味の王座≠ニいう自信と、お客様は神様です≠ニいう気遣いと、二つの心が込められているように受け留めました。是非また食べに行きたいです!



平成30年8月14日(火)

        炎 昼 熱 情


 入道雲の 白さ映え

 声上げつ居ん 血が湧きぬ

 胸へ迫れり 大空と

 好い陽照るやな 夢見をす


       にふたうくもの しろさはえ
       こゑあけつゐん ちかわきぬ
       むねへせまれり おほそらと
       よいひてるやな ゆめみをす


 この数日は本当に素晴らしい入道雲が観られました。
 上の画像は一昨日八月十二日のものですが、この空の様子を見た途端、歌に詠んだ通り「声」を「上げ」て「血が湧き」ました。真っ青な空に、白く眩しい雲塊がむくむくと湧き起こり、地上の我々に大迫力を見せつけるのです! うわぁ〜〜〜ッと、大きなため息が漏れました。
 日常の些細な出来事でくよくよしている自分が馬鹿らしくなります。細かいことなど、どうでもよくなります。盛り上がった雲の峰は、まるで胸の奥から湧いてくる生命力≠サのもののように思えます。生きるための欲望が解放され、本能のままの力強さを全身に感じます。
 俺は自由だ! やりたいことをやるために生まれて来たんだ! そう大声で、叫びたくなりました。
 まぁ、実際にそんなことを叫んだら、こいつ馬鹿じゃないかと思われますが……(笑)。
 パワーですよ、パワー! やる気ですよ、やる気!
 今生きていることが最高に嬉しくなってしまう、その象徴が、私にとっての入道雲なんです!
 小学館『日本大百科全書』によると、
《むくむくと空高くわき上がるさまが大男の立ちはだかる姿に似ているところから名づけられたものであろう。同じ発想で、関東では坂東(ばんどう)太郎、関西では但馬(たじま)太郎、九州では彦(ひこ)太郎または比古(ひこ)太郎などとよばれることがある。》
 また、『角川俳句大歳時記』には、
《各地には積乱雲の発生しやすい地形のところがあり、愛称をつけてよばれている。「坂東太郎」などがそれ。京都では、「丹波太郎」「山城次郎」「比叡三郎」などの入道雲が勢揃いする。》
 との解説があり、他に「信濃太郎」「石見太郎」「安達太郎」の名が挙がっていました。
 なんだかとっても楽しいですねぇ! 各地の太郎、次郎、三郎さん、ありがとう!
 私が見たのは「生駒(いこま)太郎」とでも呼ぶべきかな?



平成30年8月13日(月)

        盆 棚 供 物


 胡瓜や茄子に 脚も付け

 跳ねて翔ぶ駒よ 夢広さ

 先祖達の 霊迎へ

 和楽を覚え 笑み居ぬる


       きうりやなすに あしもつけ
       はねてとふこまよ ゆめひろさ
       せんそたちの れいむかへ
       わらくをおほえ ゑみゐぬる


 今日が先祖の霊を迎える日なので、昨日から御盆の準備で大忙しでした。
 小机に白い布を掛け、盆棚を作り、御位牌を設置、蝋燭立て、線香立て、線香、燐寸、御鈴を配置、朝一番に買って来た仏花を立て、野菜、果物、落雁を供えます。盆棚の両脇には盆灯籠を並べ、なんとか形になりました。あとは精霊馬と、御膳の用意です。私にとっては一日がかりの大仕事でした。
 簡単そうに見えることでも、いざ自分がやってみると、分からないことだらけですね。たとえば、歌に詠んだ精霊馬≠ノしたところで、胡瓜や茄子のどっちを頭にしたらいいのか、ふと迷ってしまいます。まず、意味を知らなくては……。またまた小学館『日本大百科全書』のお世話になります。「盆」の項に、精霊馬の説明がありました。
《盆に祖先の霊を迎えるための供え物の一つで、キュウリとナスに麻幹(苧殻)(おがら)を刺して、キュウリを馬に、ナスを牛に見立てたもの。迎え馬ともいう。馬で祖霊がより早く家に帰り、牛でゆっくり戻ってほしいとの願いが込められている、あるいは祖霊が馬に乗り、牛に荷物を背負わせて帰ってくる、などともいわれる。藁(わら)や真菰(まこも)でつくられることもある。》
 なるほどね。しかし、作り方までは載っていませんでした。掲載写真を見ても、どっち向きなのかが分かりませんし……。でもよく考えたら、実の生り方で分かりますよね! ヘタが上に来るわけだから、当然ヘタのあるほうが頭≠ナしょう! そんなことを一つ一つ確認してたら、日が暮れてしまいます……!
 御膳は市販の「仏膳お供えセット 精進料理」(サッポロ巻本舗) に助けられました!(右の画像) 乾燥野菜、乾物、お吸い物まで付いて、ちょうどレトルトカレーぐらいの箱に入っているのです。《湯戻し、電子レンジでできる》とのことで、箱の裏に詳しい説明と盛り付けの図も出ているので、初めての人でも即席で手軽に調理できます。世の中、便利になったもんですね!



平成30年8月12日(日)

        団 子 感 覚


 六色の粘土 遊ぶ我

 安らぎを得 笑み居たる

 指で捏ぬべし 様も良う

 目鼻口付け お顔にせり


       むいろのねんと あそふわれ
       やすらきをえ ゑみゐたる
       ゆひてこぬへし さまもよう
       めはなくちつけ おかほにせり


 ハローキティの「お米のねんど」(銀鳥産業 販売) というのを買いました。対象年令三才以上。赤、黄、青、ピンク、緑、白の六色セット。キティちゃんのフタの付いたカップに入っていて、型押しすることもできます。
《お米のねんどは「米粉」+「塩分」+「水」でできています。
 アレルギーの心配が少なく、安心して遊ぶことができます。》
 とのことです。素材がお米なので、まぁお餅みたいなものでしょう。誤って口に入れてしまっても、これなら大丈夫と思います(無論、口に入れないよう注意が必要ですが)。
 特長としては《乾きにくい》《色がきれい》《やわらかい》。いつまでも触っていたい心地良い感覚で、ゆっくり時間をかけてカラフルな作品作りが楽しめるというわけです。
 また、指先を使うことで子供の《脳の発達》を促し、豊かな《創造力》を養い、混色を覚えて《色彩感覚》を身に付けるという意図もあるようです。
 昨今はいろいろと工夫を凝らした玩具や工作セットがあって好いですね。
 そこで、まず私がお手本を作ることになりました(笑)。
 手っ取り早いのは、なんといってもアンパンマン≠ナしょう!(上の画像) まんまる顔は作りやすいですからね。そしたら今度はばいきんまん≠作ってほしいと言われ、頭の角や口のギザギザの部分に苦労する破目になりました……。
 でもよく考えたら、発売元に敬意を表して真っ先にキティちゃん≠作るべきでしたよねぇ(笑)。そう思って、あとで作ってみたのですが、微妙な顏の形や目鼻の位置で、なかなか似た顔になりません! ミッキーマウスにも挑戦したのですが、単なるネズミっぽい代物で終わってしまい、結局ケータイで写す気にもなりませんでした(苦笑)。
 小学校以来やったことのない、粘土遊び。楽しかったけど、あぁ疲れた! 結構難しくて神経を使いました。確かに、脳の活性化には役立つでしょう!



平成30年8月11日(土)

        心 象 遊 歩


 夢の中居て 旅をせり

 大空へ雲 歓ばん

 胸に愛増す 故郷や

 駅懐かしげ 我笑みぬ


       ゆめのうちゐて たひをせり
       おほそらへくも よろこはん
       むねにあいます ふるさとや
       えきなつかしけ われゑみぬ


 最近、明け方によく夢を見ます。どこかの鉄道沿線や、いつか通ったような野道や山道を、ひたすら歩き続ける夢です。子供の時の思い出と、大人になってからあちこちサイクリングに行った経験とが混ざり合っているのでしょう。
 昨未明は阪急電鉄武庫之荘駅が夢に出て来ました。それも、幼い頃に見た駅南側の景色です。おそらく四〜五歳頃の印象でしょう。当時は電車に乗ることなど滅多に無く、自宅からも少し遠いので、駅に来ること自体が稀でした。その稀有の体験が、私の原風景となったに違いありません。
 懐かしいなぁ……!
 しかし本当は記憶もおぼろげで、想像や思い込みによるところが大きいと思います。私の感覚では、駅の南側には家も何もなく、ただ広大な沼地が広がっていました。当然、南改札口も、南駅舎もありません。ホームから地面へと階段を下りると、向かい側のホームへ行くための細い通路が、線路を横切っていたように覚えています。いや、今と同様の、線路の下をくぐる地下通路だったかな? そのへんも曖昧なのですが、現時点では確かめようがありません。
 上村武男 監修『保存版 尼崎の今昔』(郷土出版社) を見ると、昭和四十五年の武庫之荘駅南側大通りの写真が掲載されていて、以下の説明が添えられていました。
《阪急の武庫之荘駅には、もともと南に改札口がなかった。それができて、駅前整備が始まった頃の光景。山幹通りに向かう広い道路に、ケヤキの並木が植えられたばかりで、駅前ロータリーもまだ造作中である。今はこの並木、繁ると昼なお暗いほどに成長している。辺りは種々のビル群となっている。》
 南改札口が無いことは、やはり確かですね。
 ともかくも、夢の中の私は駅南側の沼地の向こう、夏草が生い茂る広い野原を突き抜け、さらに南へ南へと歩いて行きました。草熱れのする乾いた土の道を、タイムトラベラーの興味と好奇心に突き動かされながら……。
(尚、上の画像は伊丹市野間で撮影したものを、歌のイメージ風景として使用しています。武庫之荘駅周辺とは無関係ですので、一言申し添えます。)



平成30年8月10日(金)

        昆 陽 池 畔


 常に虫ら居 蝶舞へる

 昆虫館 我笑める

 野辺緑燃え 色褪せず

 花を多く 好げ咲きぬ


       つねにむしらゐ てふそまひ
       こんちゆうやかた われゑめる
       のへみとりもえ いろあせす
       はなをおほく よけさきぬ


 昨日の午前中、妻が健康診断の結果を聞きに行っている間、子供と二人で昆陽池公園へ行って来ました。
 売店のある公園入口から、ふるさと小径を歩いて伊丹市昆虫館へ向かったところ、子供が建物を見て、以前におばあちゃんと一緒に来た所だと言うのです。確かに去年の今頃、妻の母がうちへ来ていた時、この昆虫館へも一緒に遊びに来たのです。一年前というと子供はまだ一歳四ヶ月でしたが、その時のことをちゃんと覚えているんだなぁと感心した次第です。
 それはさておき、今回注目した蝶、兜虫、鍬形虫について、少し調べてみました。
 まずは、温室内で数多く舞うのを見た蝶についてです。
【オオゴマダラ(大胡麻斑蝶)】は、日本では沖縄本島以南の琉球諸島にいる、マレー半島系の蝶。際だって大形で、日本周辺地域に近似種はない。高所を緩やかに飛び、花に舞い降りるものはたやすく捕らえられる。
【アサギマダラ(浅黄斑蝶)】は、日本全土に見られる蝶。寒冷地では少数発見されるのみだが、西南日本では夏季に山の頂上に群飛することが多い。奄美や沖縄諸島では冬を挟んで秋から春にかけて多く、夏季にはほとんど姿を見ない。リュウキュウアサギマダラは南西諸島の土着種。
【ツマベニチョウ(褄紅蝶)】は、九州南部から南西諸島に見られる蝶で、海外では南アジアに広く分布する。春から秋にかけて数回の発生を繰り返す。飛び方は速く、また高く飛ぶので、捕まえにくい。
 以上は小学館『日本大百科全書』を参考にしました。
 次は、室内飼育ケースで飼われていた兜虫、鍬形虫についてです。これはケースの前に説明書きが貼られていたので、引用します。
【ヘラクレスオオカブト】……《ギリシャ神話の英雄ヘラクレスから名がついた。胸の角と頭の角の間に相手をはさんで投げとばす。》《分布:グアドループ諸島》
【ギラファノコギリクワガタ】……《ギラファとはラテン語でキリンを意味し、長く湾曲した大アゴからこの名がついた。》《分布:ネパール、ブータンインド北東部、ミャンマー、タイ、ラオス、マレー半島》
【コーカサスオオカブト】……《気性が荒くケンカが強いので、ヘラクレスオオカブトとならび世界最強のカブトムシとよばれる。》《分布:インドネシア》
 専門的なことはよく分かりませんが、たまには昆虫の世界に浸ってみるのも好いなぁと思いました。

  
  オオゴマダラ             リュウキュウアサギマダラ

  
  ツマベニチョウ              ヘラクレスオオカブト

  
ギラファノコギリクワガタ           コーカサスオオカブト 



平成30年8月9日(木)

        蕩 蕩 玉 子


 世に忘れ得ぬ 美味成せる

 食へば笑まふぞ 明石焼

 蛸をも愛でゐ 鶏卵の

 とろり胸打つ 幸覚ゆ


       よにわすれえぬ ひみなせる
       くへはゑまふそ あかしやき
       たこをもめてゐ けいらんの
       とろりむねうつ さちおほゆ


 昨日、イズミヤ昆陽店地下一階にある「茶房 ひまわり」で食事しました。玉子焼とざるそばのセットを注文したところ、この玉子焼がとても美味しくて、非常に気に入りました。熱々のとろとろを、とぅるっと出汁でいただくと、あっさりしてるのに深みのある優しい味わいが口の中に広がります。あぁ、これが明石焼≠ネんだなぁ……!
 その「明石焼」、いくつかの国語辞典や百科事典で調べたのですが、載っていませんでした。言葉としてはまだ市民権を得ていないということでしょう。インターネットで明石市のホームページを見ると、ありました! 市制情報の広報の中のあかしキッズ≠ニいうコーナーに、「あかしの名物 玉子焼(ものしりコーナー)」というのが出ています。

《明石市民なら誰でも知っている明石焼。地元の明石では「玉子焼」と呼ばれることもあり、大阪のタコ焼きにタコが入っているのは、明石焼からヒントを得たと言われています。》
《【玉子焼の誕生】  江戸時代の終わりごろ、江戸屋岩吉という江戸のべっ甲職人が明石に滞在中、土産にもらった玉子を着物のふところに入れていたところ、その玉子が割れてしまい、寒さのために白身が固まってしまいました。岩吉はそれをヒントに研究を重ね、高価な珊瑚(さんご)の代りとなる「明石玉」を作り上げ、かんざしなどに使い人気の商品となりました。その時に出た玉子の黄身の余りと小麦粉を使い、明石でたくさんとれるタコを入れて出来上がったものが、明石焼であると言われています。》

 鼈甲職人が明石焼に関わっていたとは、驚きですね。
 それから、明石市本町にある「明石焼 よこ井」というお店のホームページも見つけ、そこに明石焼とタコ焼の違い≠ェ出ていて面白いなと思ったので、要点を引用させていただきます(以下の表がお店にも掲示されているそうです)。

        【明 石 焼】            【大阪のタコ焼】
 < 形 > 丸いが、平ペったい     ←→ ボール状
 <中の具> タコだけ          ←→ タコ・紅生姜・ネギなど
 <硬 さ> 柔らかくても、くずれない  ←→ 硬いダンゴ状
 < 鍋 > 銅板製           ←→ 鉄板製(鋳物)
 <食べ方> つめたい汁で冷やして食べる ←→ ソース・青のりなど
 <材 料> 玉子が主である       ←→ メリケン粉が主である

 なるほどねぇ! 私などは、単に明石風タコ焼≠ェ明石焼≠ネのかと勘違いしていました。タコ焼よりも明石焼のほうが先だということ、また、両者は全くの別物だということ、このたび肝に銘じました!



平成30年8月8日(水)

        早 朝 盆 始


 夢見も去りぬ 墓地訪ね

 花選びて 上げに参る

 先祖の霊を 迎ふべく

 御経和すと 声よろし


       ゆめみもさりぬ ほちたつね
       はなえらひて あけにまゐる
       せんそのれいを むかふへく
       おきやうわすと こゑよろし


 今朝は三時に起床し、暗い中をお墓参りに行って来ました。三時半頃お墓に着くと、毎年早い方が一人か二人いらっしゃるのですが、今年は私が一番でした。供え物の野菜(胡瓜、茄子、人参、薩摩芋、トマト)を、半紙を敷いて墓前に並べ、線香を手向けます。後からすぐに御坊様が見え、御経を上げてくださいました。御盆の初めは、これでひと安心です。
 さて、盆行事について、小学館『日本大百科全書』で調べてみたところ、詳しい説明が出ていました。それによると……。
 旧暦七月は「盆月」「仏月」とも呼ばれ、御盆は七月一日から始まるとのこと。この日は《地獄の釜の蓋があいて先祖があの世を出発する日》で、「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」とか「閻魔(えんま)の口あけ」とか言うそうです。
 七月七日は七夕の星祭りとは別に「七日盆(なぬかぼん)」があり、墓場までの道草を刈り墓掃除をする。十一日(または十三日)は盆花を供える。十三日の朝に盆棚(先祖様の祭壇)を作り、夕に墓、四辻、門口などで盆火(迎え火)を焚く。
 その後のことは「送り火」の項に、
《16日または24日、25日に焚く火をさし、先祖の霊魂の去来の道しるべというが、ほかの火焚きの習俗から考えて、本来は、火の力によって危険な悪霊を追い払うという絶縁を意味する火といえよう。》
《京都東山の如意ヶ岳(にょいがたけ)の大文字焼(だいもんじやき)も、今日では夏の風物詩の一つになっているが、盆の送り火の名残であり、共同体全体で精霊を送ることを表している。》
 というようなことが述べられていました。
 まぁ難しいことは分かりませんが、要は先祖を迎えるための気遣いが大切だということですね。私などは戸惑う部分もありますが、常に親しい故人を想い浮かべ、優しさを心掛ければ大丈夫でしょう。そんな私たちを、ご先祖様も温かく見守ってくれるでしょう。



平成30年8月7日(火)

        精 霊 出 迎


 草地 夏空 西日受け

 野越え蹌踉めき 汗で濡る

 ふと見渡すや 稲も揺れ

 墓参り終へ 笑む御盆


       くさちなつそら にしひうけ
       のこえよろめき あせてぬる
       ふとみわたすや いねもゆれ
       はかまゐりをへ ゑむおほん


 今日は立秋ですが、この猛暑では「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」どころの騒ぎじゃありませんね! 真夏ですよ、真夏! というか、熱帯ですね……!
 さて、御盆の時季となりました。私の住む地域は昔から、八月八日の早朝にお墓参りをし、墓石の前で御坊様に読経していただきます。これは、精霊を出迎える儀式です。お参りが済むと先祖の霊は参拝者の身体に乗り移り、家まで一緒に帰って来るのだと、小さい頃にそのように教わりました。
 明朝はもう四時にお墓へ行くので、今日はその準備です。あらかじめ墓掃除をし、仏花は事前に立てておきます。御供えの野菜・果物を買いに行ったり、線香や半紙を用意したり、ほんとに大忙しでした。もう何十年も、いや、きっと何百年も続いて来た伝統なので、今度はそれを私自身が受け継いでゆかねばなりません。いろいろ大変な面もあるけれど、そんな私を、亡き両親も見守ってくれているような気がして、ほっと心の安らぐ時があります。やるべきことをきちんと行うというのは、やはり気持ちが好いものですね。御盆というのは、先祖を想い、なぜこの世に自分という人間が生まれて来たのかを見つめ直す機会を与えてくれる、自分のための行事なのかもしれません。
 暑いなか汗びっしょりになりましたが、お墓からの帰り道でふと見渡すと、実り始めた稲田がなおも青々と広がり、水色の空に浮雲が踊っています。爽やかだなぁ……。なんだか炎天下のサイクリングを思い出しました。暇ができたら、また自転車で和歌山にも行ってみたいなぁ……って。



平成30年8月6日(月)

        三 人 前 盛


 巨大ざる蕎麦 冷やすのを

 餉に選ぶべし お店居ぬ

 味ボリユウム 長く愛づ

 値も手頃と 我笑まん


       きよたいさるそは ひやすのを
       けにえらふへし おみせゐぬ
       あちほりゆうむ なかくめつ
       ねもてころと われゑまん


 手造り豆腐とそば料理の「京都・嵐山 清修庵」尼崎つかしん店へ、一昨日、昨日と、二日連続で食事に行きました。名物巨大ざる≠ニいうのがとても気に入ったのです!
 その名の通り大きな笊(ざる)に、三人前の蕎麦が一山に盛ってあるのです。汁はちゃんと椀が三つあり、葱と山葵が青々と香ります。私は一人で全部平らげてしまいました(最初からそのつもりで注文したわけですが。笑)。美味しかった! ざる蕎麦というのは本当にあっさりした味わいで、ズルズルッといくらでもお腹に入る感じがします。多少食べ過ぎても、時間が経てばすぐに空腹感が戻って来ます。それも、蕎麦の良い点ですね。
 ところで、ざるそば≠ニもりそば≠チて、それぞれ別の物なのでしょうか? 笊に盛ってあるのが笊蕎麦で、蒸籠(せいろ)に盛ってあるのが盛り蕎麦なのかと(つまり、容器の違いだけなのかと)、勝手にそう思っていましたが……。大修館『明鏡国語辞典』で「ざるそば」を調べると、
《もと、もりそばの角蒸籠に対して丸い蒸籠を使い、汁ももりそばの辛汁に対して甘汁を用いた。》
 との説明がありました。つまり、汁も一緒に飲めるようなのがざるそば≠ナ、汁に少しだけ浸けて食べるのがもりそば≠ニ言えそうです。
 蒸籠の形はともかくとして……。清修庵のはまさしく笊≠ノ盛られているし、汁の味も間違いなくざるそば≠ナした。これぞ正統派≠ニ呼ぶべきでしょう! まったく飽きるということがありません。
 ボリューム満点の巨大ざる=Aまた食べに行きたいです!



平成30年8月5日(日)

        涼 味 淡 雪


 かき氷映ゆ 氷山の

 峰をぞ想へる 我ら嘗め

 甘い口溶け シロツプに

 絶えず笑むや 店で居ぬ


       かきこほりはゆ ひようさんの
       ねをそおもへる われらなめ
       あまいくちとけ しろつふに
       たえすゑむや みせてゐぬ


 昨夕、伊丹市野間公園で行われた盆踊りを見に行き、帰りにガスト伊丹野間店でかき氷≠食べました。小学館『日本大百科全書』でその歴史を調べたところ、
《かき氷は古く、『枕草子(まくらのそうし)』に出てくるけずり氷(ひ)がその最初であるといわれている。》
《また、1841年(天保12)江戸で、かき氷にきな粉と砂糖をかけて食した記録がある。》
《1869年(明治2)横浜の馬車道で町田房造がアイスクリームとともにかき氷を販売したのが、かき氷店の始まりといわれている。》
 との記述がありました。そこでまず『新版 枕草子 上巻』(石田穣二 訳注、角川文庫) を当たってみると……。

《〔三九〕あてなるもの
 薄色に白襲の汗衫。かりのこ。削り氷にあまづら入れて、新しき金まりに入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。》

 要するに、上品なものとして、かき氷に甘葛(=甘茶蔓から採った甘味料)を入れて、新しい鋺(=金属製のおわん)に入れたのを挙げています。平安時代から、かき氷に蜜をかけて食べていたというのが意外でした。まぁ庶民の口には入らない、貴族の贅沢というものでしょう。
 明治初めの「町田房造(まちだふさぞう)」については、「アイスクリーム」の項に《馬車道通り常盤(ときわ)町五丁目で販売したのが最初》とありますから、その時にかき氷も同時販売されたということでしょう。
 暑い時季はついつい冷たい物が欲しくなりますからねぇ。今では当たり前の夏の季語ですが、冷凍庫のない時代は、冬の氷を氷室で何か月も保存したり、寒い地方からわざわざ天然氷を船で運んで来るわけです。それはそれは、大変貴重な味わいだったに違いありません!



平成30年8月4日(土)

        喫 茶 店 風


 アボカド 玉葱 チイズ載せ

 パン温めゐて 喜べり

 悦なる美味を 想ふ我

 湯気優しう 空に笑む


       あほかとたまねき ちいすのせ
       はんぬくめゐて よろこへり
       えつなるひみを おもふわれ
       ゆけやさしう そらにゑむ


 妻は昔、喫茶店でアルバイトをした経験があるとかで、ときどき朝に洒落たパン食を出してくれます。なるほどこれならお店に出しても充分通用するなぁと思いました(贔屓目かな?)。美味しいです。それで、今日はトーストの上に、微塵切りにした玉葱とアボカドをマヨネーズ和えにして載せ、さらにスライスチーズをかぶせ、レンジで温めたオープンサンドです。これを歌に詠みました。
 それにしても……。食べ物の歌って、ほんとに作りやすいです。今日の一首も、三十分とかからずすらすらと出来上がりました。味覚は心に訴えやすいから、自然に言葉が浮かんで来るのでしょうか。
 今回はまず、具材の「アボカド」「たまねぎ」「チイズ」、そして「パン」、以上の語を拾います。ここまでで、仮名の重複が全くありません。その後、「ぬくめ」「ゆげ」「びみ」の語を考え、常套手段として「よろこべり」「われ」「おもふ」「ゑむ」、用途の少ないア行の「え」を消化しようと「えつ(悦)」、ワ行の「ゐ」を「ゐて」としたら、もう歌の半分以上は出来上がったも同然です。
 終盤まで残っていた仮名「や」「さ」「し」「う」を、そのまま「やさしう(優しう)」とし、語句を整えてゆきました。簡単でしょう?
 ところで……。アルバイトの話ですが、私は昔、着ぐるみに入ったことがあります。炎天下、三十分も入ると汗だくのクタクタになりますが、仕事は一日三回程度だったので、逆に楽でした。そして、どこへ行っても小さな子供たちが「パンダさ〜ん!」と叫びながらニコニコ笑顔で私のほうに集まってくれるのが嬉しかったです(笑)。入っている本人は自分の姿を意識しないから、なんだか私自身が人気者になったような気がして……。変身願望ですかねぇ?



平成30年8月3日(金)

        江 戸 前 握


 胸は躍るぞ 威勢良う

 東の都 夢も咲く

 駅地下降りん 我餉にて

 並ぶ寿司食べ 微酔ひぬ


       むねはをとるそ ゐせいよう
       あつまのみやこ ゆめもさく
       えきちかおりん われけにて
       ならふすしたへ ほろゑひぬ


 東京駅に着いた時ちょうどお昼前だったので、駅構内で食事をしようと思いました。あとで京葉線に乗り換えるため、改札内のレストランを探したのですが、なかなかお店が見つかりません。さんざん歩き回り、地下街グランスタでようやくお寿司屋さんを見つけました。「築地寿司清」です。美味しかった!(上の画像)
 正直言って、最初は値段が高いなぁと感じました。お寿司が十種並んだおすすめ握り≠ェ千八百円、単純計算すると、一個百八十円です。ネタが良いから、やはり妥当な金額かなぁ、とも思いましたが……。子供は幼いから大して食べないけれど、妻と二人で三千六百円ですからねぇ。ちょっと一杯飲みたいし、こりゃあ五千円近くかかるなぁと(結局、六千四十円かかりました)。
 しかし、生ビールをクーッと飲んだら、みみっちい自分が恥ずかしくなりました。細かいことはどうでもいいじゃないか……。ほろ酔い機嫌で宵越しの金は持たねえぜ≠ンたいな気持ちになって(笑)、楽しむ時はお祭り気分だ、どんどん楽しめばいいんだ、そう思いました。飲み物と一緒に出て来た一品の鮹がとても味わい深かったので、生ビールセットをもう一つ頼みました。それも豪快に飲み干し、いよいよ待望のお寿司です。なるほど、旨い! 朗らかに心地好く、美味の余韻に浸りきり、充分満足できました(夕食ならまだまだ注文したいところですが、昼間ですからねぇ、そこは引き際を心得ました)。
 またいつか東京に来ることがあったら、再び寄りたいお店です。



平成30年8月2日(木)

        高 台 眺 望


 遠き屋根映え 家連ぬ

 日向の街よ 見下ろせり

 天空青し 夢咲かす

 笑む我今日も 其処に居る


       とほきやねはえ いへつらぬ
       ひなたのまちよ みおろせり
       てんくうあをし ゆめさかす
       ゑむわれけふも そこにゐる


 新幹線の窓から見えた日向の街≠題材に一首詠んでみました。
 上の画像は京都(東寺の五重塔が小さく見えていますネ)ですが、あれは名古屋駅付近だったかなぁ……、陽に照らされた遠い街並みを見ていたら、不意に歌のメロディーが心に浮かんで来たのです。

   日向のガラスの街
   モザイクの箱庭
   嵐が来るような予感がする
   ときめきのアクシデント 恋心は

 これは昭和五十七年に放送された、フジテレビ系『ねらわれた学園』の主題歌で、原田知世が歌う「ときめきのアクシデント」(来生えつこ 作詞、来生たかお 作曲) の一節です。私は残念ながらこのドラマを観たことがありませんが、歌はCD『原田知世ベスト+「時をかける少女」オリジナル・サウンドトラック』(ポニーキャニオン 発売) で何度も聴いていました。思いがけずも今胸にジーンと沁みて、青春のときめきと郷愁、初恋のような甘い痛みを覚えました。ほんとに懐かしいです。
 歌というのは好いですね。何年、何十年経っても、ふとしたはずみに当時のままの感動が心に甦って来ます。

   風になってあなたの 部屋にしのび込みたい
   耳へささやく呪文は
   私を大事にしなさい

   陽かげりのベランダで
   物想う私は
   空想ゲームから 抜け出せない

 そんな気持ち、私にもありましたねぇ……!
 もう戻ることのできない、ハイティーンの頃。「青二才」「青臭い」……。経験不足の未熟者という意味で使われる言葉ですが、私にとって、今はそんな青さ≠ェ輝いて見えます。
 若いって、いいなぁ! 青春て、やはり素晴らしいなぁ! 情熱的な思いを乗せて、新幹線のぞみ二一八号はひたすら東京を目指しました。



平成30年8月1日(水)

        御 伽 世 界


 今日夢多し パレエドに

 ちらつき美成す 電光ぞ

 色鮮やか 声を呑み

 胸へ迫りぬ 夜も居たる


       けふゆめおほし はれえとに
       ちらつきひなす てんくわうそ
       いろあさやか こゑをのみ
       むねへせまりぬ よもゐたる


 子供を喜ばせてやろうということで、親子三人はるばると東京ディズニーランドへやって来ました!
 新大阪駅から、朝九時十分の新幹線で東京へ。十一時四十三分、東京駅着。駅構内で昼食の後、京葉線で舞浜駅へ。まずシャトルバスでホテルヒルトン東京ベイへ向かい、三時にチェックインします。七階の部屋の窓からの眺めはとても良かったです。
 しばらく休憩したあと舞浜駅前へ戻り、今度はディズニーリゾートラインで、リゾートゲートウェイ・ステーションから東京ディズニーランド・ステーションへ。夕方五時、チケット売場に到着しました。入園料が大人七千四百円(1デーパスポート)のところを、六時からなら四千二百円(アフター6パスポート)だというのでそれを買い、小一時間待ちました。暑くて人が多くて疲れるなぁと思いながらも、東京方面へ滅多に来ることのない私にとっては、何もかもが新鮮でした。子供はもちろん大はしゃぎでした。
 園内アドベンチャーランドの一画で乗ったアトラクションは「ウエスタンリバー鉄道」です。アメリカ西部の雰囲気がよく出ていて、面白かったです。切妻屋根が目印の「プラザパビリオン・レストラン」にも入りました。宵闇の中、電灯のともるパティオで食事していると、なんだか外国にいるような気持ちになり、心地好いひとときを過ごせました。
 最も強く印象に残ったのが、夜のパレードです! ディズニーキャラクターの大名行列≠ヘ、午後七時四十分から約三十分間続きました。昼とは違う、色鮮やかなイルミネーションには完全に目を奪われてしまいます! 正直言って、ディズニーランド自体にはあまり興味のなかった私ですが、これは来た甲斐があったなぁ……! と、心底感じ入りました。
 これは、一首詠まねばなりますまい! ホテルのベッドで眠りに就く前、頭を捻った新いろは歌です。

  

  



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